市場には、厳しい審査を乗り越えた安全な異世界由来食材も出回っております。※安全性には、個人の体質による一部例外もあります。

「さて」


 『お昼から用事がある』のは嘘から出た真というやつだ。

 ニルの実家と、ファンの下宿は距離が近い。単純な付き合いでいえば、ニルは晴光よりも長く彼女のことを知っている。ファンは、ご近所でも評判のお嬢さんなのだ。


 そのニルが思うに、あの内気で真面目な少女にとって、好きな男の子との逢引の時間はとても重要なミッションだったはずだった。



「前の彼女ならね、いろいろ考えたあげく、お洒落なんて恥ずかしくてできなかったはずなんだ。これは立派な進歩だよ」

「そうね。私もそう思う。下宿は門限があるし、彼女みたいな若い娘さんが、管理局職員と日が暮れるまで遊ぶなんてできないわ」

「その点、同族の僕がいるんだから解決だよね。同じ女性で、僕の実家でもお馴染みの君もいるわけだし」

「あの感じじゃあ、晴光のやつ、昼過ぎには解散してたわよね」

「確実にね」


 あの一瞬で考えていることがまったく一緒であることに、エリカは腕を組んで唸る。相棒に対し、改めて感心と尊敬をした。


 帰宅した二人の両手には、どっさりと袋詰めの食材が抱えられていた。

 自分達の昼食もそこそこにキッチンへ食材を並べ、二人して目を光らせる。これから夕食へ向けて仕込みをするのだ。


 エリカが本の少年ニルと暮らしているのは、バザールがある大通りの下流、枝のように伸びた住宅街のはずれにある地下室付きの古い一軒家である。

 エリカの副業は、魔術具を作って管理局に売ることだ。特許権を取り、商品がうまく目に留まることがあれば、場合によってはいい収入になる。


 ニルは近所に実家があるが、仕事柄、そして趣味もあって、蔵書が際限なく増える性質がある。エリカのドナーであることもあって、利害が一致した二人が一緒に暮らしはじめてすでに一年以上が経過していた。

 三世代が暮らす大家族の厨房を預かっていたニルはもちろん、元来の凝り性であるエリカも、腕は悪くないと自負している。


「たぶんあいつ、何か屋台で買ってくるわよね。なんだと思う? 」

 ニルは食材を広げながら唸った。

「晴光のことだから、自分が食べたものの中で美味しかったもの、じゃないかな。一人暮らしだろ? 片手で食べられる、けっこうジャンクなやつ」

「わかった。じゃあそれは避けて作りましょう」


 ふたりはそう広くはないキッチンで、まずは煮込み料理と、発酵が必要な主食の生地作りを手分けして始めることにした。


 家庭料理が中心のニルは、ボンと呼ばれる根菜を手に取る。

 冬に採れる大きな根菜で、採れたてはシャキシャキしていて、微かな苦みのあるみずみずしい淡白な味だ。

 薄切りにして、サラダなどの生食にも向くが、暗所で寝かせることで水分が抜けて、どっしりと固くなり、苦みが減って甘みが増す。

 火を入れると、芋に似たねっちりした食感になって味をよく吸うので、煮込むのも良いし、蒸かしたものを潰して、砂糖、穀物、卵などと焼けば、家庭的な菓子にもなる。

 春の終わりに採れて、夏の盛りまで。

 長く食べられるうえ、調理の幅が広いので、一族の食卓によく並ぶ野菜である。


 今は初夏。白い皮はやや水分が抜けてきたところか。

 輪切りにして、鱗のように重なった硬い皮に刃を入れて剥いていく。剥いた端から塩と水をいれた大鍋に入れ、下茹でをする。その間に、漬け込みのスジ肉の塊を処理する。脂身は分け、これも塩で下茹でをする。脂が出たゆで汁は灰汁を取って残し、煮物にすることにした。

 大なべから取り出したボンは水を変え、こんどは肉と調味料、ハーブや薬味を加えてとにかく煮込む。


 調理場の脇で、エリカは小麦粉に酵母と塩を加え、湯で練っていた。発酵の時間を逆算して主食になる生地の仕込みを終えると、今度は新しい器で、砂糖とバターの塊を練る。

 たっぷりの卵黄とバター、ナッツを使ったデザートだ。分量と手順さえ間違えなければ、子供でも作れる。エリカの国では、娘が母親と最初に作るお菓子の一つだった。といってもエリカは、それを母親から教わった覚えが無いのだけれど。


 作業を横で見ていたニルが、「そういえば」と、何やら出してきた。

「こういうのがあるんだけど……」

 ラベルの付いていない飾り気のない小瓶に、丸いオレンジ色をした果実らしきものが入っている。開けると、松の樹とオレンジを混ぜたような香りがした。

「シロップ漬けかしら? 」

「甘露煮……だから、どちらかというとグラッセ? ジャムかな。あ、ちゃんと保存用の魔術加工してあったし僕も食べたから大丈夫だよ。……実家でね、去年晴光と作ったのがいっぱい余ってたからもらってきたんだ。これ、彼の故郷にもあるものだっているから」


 一粒口に含む。果実を噛んだときの味と苦みはマーマレードに少し似ているが、杏子のような風味もある。

 バターと粉は、切らさないように多めに買ってあった。

「二つ作るわ」


 余熱は170度。タイマーは25分にセット。

 焼き上げた後は粗熱を取り、布でくるんで寝かせるほうがいい。そうすることで水分が回り、しっとりした舌ざわりになる。

(余れば持って帰らせればいいのよ)


 ニルは、肉を茹でた汁に、マーという果実の水煮と豆の缶詰を加えた。

 本の一族は、奴隷時代に多くの文化を失っている。郷土料理のレシピその一つで、これは異世界人との交流の中で定着した家庭料理である。

 塩とキノコ、脂身の残りを炒め、スパイスと香草を加えてまた炒める。ギトギトになった炒め物の中に、常備菜として置いてある唐辛子漬けを山盛りいっぱい入れる。ひと煮立ちしたら、湯気すら辛いこの炒め物を、豆の入った赤いスープに合流させる。甘酸っぱい果実と甘みのある豆のスープは、唐辛子の刺激と脂のしつこさを調和する。

 炒め物は三分の一残し、豆腐を加えて胡麻油を垂らした辛豆腐も作った。

 客人は炒め物や揚げ物を選んで持ってくるだろうと見越してのメニューだ。


「晴光、お米を炊いたの好きだったよね……炊き込みにする? 」

「白いほうがいいでしょう。味がしっかりしたおかずが多いもの」


 エリカは答えながら、ニルと入れ替わるように包丁を握る。

 香りの強い薬味になるネギ(ネギは特記することなくネギである。)や、油にあう野菜を選んで刻んでいく。挽いた肉をあわせ、つなぎの卵と小麦粉を加えてよく練る。


「この脂身、使っていいの? 」

「余ってるやつだからいいよ」

 思いついて脂身も加えた。


 発酵した生地を取り出す。膨らんだ生地のガスを抜き、一つがこぶし大になるように分ける。平たく伸ばして肉類を詰め込み、天板に並べる。

 生地はできた。しかしオーブンが空いていない。コンロは三つ。豆のスープと煮込みで埋まっている。

 そういえば、この古い家には煙突があることを思い出した。


「……火加減なら、魔法でどうとでもできるわね。ねえニル、燻製でも作る? 」

「燻製? お酒は呑まないから、今回はそこまで手をかけなくてもいいんじゃあないかなぁ」

「あ、そうね。こんどにしましょう」


 天板を抱えて地下に降りる。エリカがふだん工房にしている地下室だった。

 前の住人はこの地下室で煮炊きしていたらしい。天井近くにずらりと窓が並んでおり、換気に問題はない。

 煉瓦で組んだ穴が、ぽっかりと開いている。古いオーブン。下部にある竈は今も現役だった。実験では火を使うことも多いのだ。

 しばらくニンニク臭くなるだろうが、まあいいか、とエリカは袖を捲り上げ、鼻歌を歌いながら錆びついたオーブンの中に薪を突っ込んだ。

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