なお協定により【本】を害する行為は、厳しく罰せられます。

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 しゅう 晴光せいこうは異世界人である。周が苗字で、晴光が名前。どことなく大陸の香りがするのは、実家がお寺さんで、父親がそこの住職だったからだ。


 この世界における人口の過半数は、異世界人である。

 異世界人たちは『管理局』(なお俗称)に所属して、衣食住と労働を保証されている。

 生物の進化の可能性を感じるくらいバリエーション豊かな混沌の街。そこがこの『ホンの国』。


 管理局は小山の上にある。

 敷地の広さは晴光の体感でUSJくらい。街を貫く目抜き通りのドン詰まりにある、赤レンガの洋館風ビルディング群だ。

 大学のキャンパスにも似た構成をしているのは、ここが行政機関であり、教育施設であり、研究施設でもあるからだろうか。


 昼からの晴光の予定は、処方箋を握りしめて、この広大な敷地内を一人の人物を探して歩き回ることだった。

 局内の道は広く、街と違って洋風のおもむきである。今日はからっとした青空で天気がいい。


「教室かなぁ」


 局内は、おおまかに五つのむねに別れている。それぞれを第一から第五と名前がついていて、思い当たるのは、第五の名前が付いた一番大きな中央の棟だった。


 正面玄関としても利用されるこの中央棟は、局員以外の姿も多い。

 異世界から持ち込まれた植物の中で、安全だと判断された作物は、ここで申請すれば苗をもらえる。

 異世界の技術を使った道具の製造を申請する町工場や、そうして出来た道具の販売をしたい人たちも集まる。産業の中心地なのだ。

 学舎として動いているのは、そんな役所のような場所の反対側。裏庭に面した静かな廊下にあった。


 開けっぱなしのドアの中を覗き込む。『本』の人たちは、成人男性でも150㎝ほどしかない。女性となれば140㎝より小さい人も多く、14歳の華奢な女の子ならなおさらだ。

 並ぶ机の大きさは、小学校を思い出す。休憩時間なのか、ばらばらに座る色とりどりの頭の中に埋もれるように、特徴的な淡い桃色の髪があった。

「ファン、『大きい人』が迎えに来たよ」

 目が合った青い髪の少年が、勝手知ったるとばかりに彼女を呼んでくれた。



「ど、どうしたの? 晴光くん」

「すまん! 今回の検査に引っかかっちまった! 」

 背を屈めて、晴光は顔の前で手を合わせる。

 くりくりとした赤い目を丸くした少女、ファンは、「なんだぁ」と花が開くような笑顔を見せた。処方箋を渡すと、大きく頷く。

「久しぶりだね。き、気にしなくていいのに。かっ、帰りに採血出しておくね」

「助かる」

「た、たった20mlだもん……なんてことない、よ? 」

 お下げにした桃色の髪の先をいじりながら、ファンははにかんだ。

「薬になるんだから。や、役に立てて、嬉しい、よ? 」


 『本』の人たちは、強力な治癒の力を持つ。血肉を食べて不老不死になった人もいたという。

 その血は、適応度の数値を上げる血清として、この国ではおもに用いられている。


 六年前。

 雪の降る街をふらふらしていた晴光を助けたのが、このファンという桃色の髪をした女の子だった。

 流れるままに晴光のドナー提供者になり、以来の仲だ。


「ね、ねえ。晴光くん」

 イチゴの飴のような明るい赤の眼が晴光を見上げてくる。

「ア、明日、ひま? 」

「休みだけど、あ、なんかして遊ぶか? 」

「う、うん。ごはん、どうかなって。そのあと、か、買い物し、したくて」

 しっかり者の彼女が、買い物の同伴までお願いしてくるのは珍しい。

「いいぞ。なんか重いものでも買うのか? 」

「う、うん。つ、机をね。買いたいの……いっしょに来てくれる? 」

「もちろん」

 笑った口元を隠すように手で覆って、ファンはにこにこして言った。

「うふふ、やったぁ」



 帰り道に本屋に寄った。屋台料理が文化のこの国だが、そろそろ自炊にも挑戦してみたいと思ったのだ。


 部活動に精を出すタイプで良かったなぁと思う。

 同級生には、洗濯機の電源もわからないやつがいた。家に帰るとユニフォームを自分で洗うのは、晴光にとって義務だった。年二回の本殿の大掃除で掃除だって手慣れている。

 それでも、自分一人で自分の世話をするのはまだ慣れない。誰もいない部屋に帰るのも、まだ、あんまり慣れていない。

 部では、冬休みに二泊二日の合宿があった。合宿では一年生が二年生の指導のもと食事を作る慣習があり、晴光はそれがけっこう好きだった。二晩カレーが定番だったものを、自分から発案して、牛丼だとか親子丼だとかを作ったりしたのだ。

 そういうことを、またやってみたい気分になった。余裕が出て来たということだろう。


 妹がいた。うるさくて、男の子みたいに髪が短くて、兄貴をすぐに蹴る二つ下の妹がいた。

 あの日も、「帰りにアイス買ってきてよ」と言われた。あの時ハンドルに引っかけていたガリガリ君は、どこに飛んでいったんだろう。

 きっとどこかの道端で、溶けてゴミになってしまってたんだろう。

 投薬のあとは、ちょっとだけ体がつらい。感覚が鋭敏に。情緒も不安定になるし、古傷も疼く。

 晴光の左腕は義手だ。管理局の技術でつくられた義手は、ほとんど普通の腕と変わらないが、それでもまったく後遺症がないわけではない。


 本屋の前まで来て、足を止めた。


『アン・エイビー事件。悲劇からの脱却。特集・復興が進む街。人々は今……』

 大きなポスターだ。

(……もう、六年かぁ)

 妹は、一人になったあの和室で、今も過ごしているのだろうか。


 周 晴光は、元召喚被害者。今は管理局所属の異世界人である。

 また冬が来たら、二十歳になる。

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