第48話

 あれは、四月。

 定年退職をされた方を埋めるように私はこの学校に転任して来た。

 新任なりたてから三年間生徒を見守り続け、ようやく『慣れた』と思えばすぐ転任で不幸とも思ったが、当時はそんな不幸とか考える余裕はなかった気がする。


 初めて銀子に会ったのは始業式の日。

 教壇に立ち、自分の自己紹介をした後に生徒一人一人の自己紹介をさせた。



 四月七日。入学式。

 初めて銀子達と出会ったのはこの日だ。

 することは三年前と一緒、と言っても、まだまだ若く経験も少ない私は一年生の担任を任されるのは二回目で、なんとなく緊張したけれど。

 式をして、自分の自己紹介をして、獅子山先生副担任の自己紹介をさせて、新入生達に自己紹介をさせる。


 速水は、確かこう自己紹介をした。


「速水銀子です。趣味とかはありませんけど、友達と遊んだりするのが好きです。よく気まぐれとか気分屋とか言われます。仲良くしてくれると嬉しいです」


 それは、もしもこの世界が電子世界だったらコピーアンドペーストしたような自己紹介だった。

 それが印象的だったわけじゃないし、悪いことでもない。やる人間はやるし、自己紹介するたびに「えーと」とかいうやつよりかはよっぽどマシだと思ったくらいだ。

 どこにでもいる高校生、なんて、変な生徒だと嫌だったが。



 五月三十日。

 速水と出会ってから二カ月が経った。

 私達は特に三者面談と二者面談以外で話し合うとかもなく、ただの生徒と担任の関係だった。 

 二カ月での印象は、他のやつよりも友達付き合いが上手いと思った。授業もしっかり聞く優等生。

 どこにでもいる高校生。

 そう思っていた。



 午前の部活が終わり、一人でご飯を食べながらメールを確認していた。

 一通、馴染みのやつからメールが届いてきた。


春飛はるひ


 そいつは高校の頃、私が唯一と言ってもいいほどの友人だ。

 大学卒業後、突然「あたし海外行くわ!じゃあな!」と言い残し消えていった。

 まぁ消えたと言っても、メールのやり取りは月一でするし、海外で元気にしてる春飛の写真は見ている。

 なんだなんだ、また愚痴かと思いながらメールを開いて見て見ると、そこには。



『あたし、到着!!』

 というメッセージと共に送られてきた空港の写真と春飛の実家の写真。



「は?」



 午後の部活指導は散々だった。



 その後、いつもの所で飲みに行こうというメール。

 適当に『はいはい、今行く』とメールを返し、電車に乗って目的地に向かう。

 わざわざ電車使ってまで行くことは普通しないんだけどな。


 やってきたのは、春飛の実家でもあり、居酒屋でもある『桜道』。

 春飛の実家と言うこともあって、大学生の頃は週一のペースで通っていた。


「おっ、来た来た。お久☆」

「……お久じゃないよ。全く」



 そこからは、二人で長々と飲んだくれていた。

 酒には弱い方だったが、こいつが「久しぶりに飲んで楽しいね」とかほざくもんだから、調子乗った事を覚えてる。

 ただ、蝶に乗ったこともそうだけど。


 二人共、大人になったのだ。


 積もる話は、結局積もりすぎてどかせなかった。



 そこからは先は、あんまり覚えてない。

 帰らされ、気持ち悪くて道路のゴミを見続けた私。

 そして、そのまま連れられて帰って行った。





 人生で最悪な目覚めと言われたら間違いなく五月三十一日と言う。

 頭にアラームが鳴っているかと思うほどの頭痛、胸の中にある吐き気をそのまま出してしまいそうな程の吐き気、胃の中に蜂の巣でも出来たのかと思うほどの胃もたれ。


 過去最高の二日酔い。

 いや、自分の体調なんてどうでもいい。



「あ、おはようございます。先生」


 肩までの伸びている茶髪、見た事の無い私服に私が使っているエプロン。

 童顔のようにも、大人びたようにも見えるそいつは、週に五回は見ている。


 何故、私の部屋に。


 何故ここに、速水がいる……!



「先生、凄くお酒臭かったから二日酔い酷いでしょ。お味噌汁作っておいたので、良かったら食べてください」

「……」


 速水はそう言うが、くらくらとした頭では状況が理解できていない。

 ゆっくりと立ち上がり、起き上がった瞬間の眩暈に襲われながらも壁に手を付けながらおぼつかない足で速水の元まで歩く。


「どうして、お前がここにいる」

「あー、やっぱり覚えてないですか。昨日夜に消しゴム買いに行ったら、べろんべろんに酔ってる美咲賀先生とお友達の方がいたんですよ。先生はその人の肩を貸して貰っていた様子何ですけど、私を見つけるなり住所と先生とお金渡してきたんですよ」


 春飛……あいつ散々飲ませた挙句、生徒まで巻き込みやがって。


「で、まぁ家ついて先生の鞄から買ってに鍵貸して貰って、ベッドに寝かせて……その時の時間が十二時を回ってたんですよ。流石に補導されたくないなと思い、そこのソファで寝かせていただきました」

「そう、か……いや、そうかじゃない。本当に、本当にすまない。迷惑を掛けた。」



 自分が失態したのを確認し、恥を忍んで頭を下げる。

 言いたいことは沢山ある。

 だが、言わなきゃいけないことを優先した。



「先生って、謝る時はちゃんと謝りますよね」


 感嘆とした声が聴こえ、思わず顔だけ上がる。


「だいたいの大人って、普通は『勝手に鍵使うな』とか『そういうのは普通帰るぞ』とか『まず夜出歩くな』とか。恥ずかしい所見られて、認められたくなくて、変に見栄を張りたくて、怒りますよね」

「……まぁ否定できない。私は感謝や謝罪を忘れない大人になりたいと思っているから……かもしれない」

「そんなことは無いって言わないんですね」

「父親がそんなやつだったからな」

「ふーん」


『関心』と分かりやすい高い声の相槌、それでいて興味の無さげな目線。

 ご飯の匂いが鼻孔を霞めた。


 そう言えば、味噌汁を作ってくれたと言っていた気がする。

 胃の中はぐちゃぐちゃで、喉は焼けるように乾いている。


「食べていいのか」

「はい。口に合うか分かりませんけど……私の好みで味濃いめだし、あとあと、勝手に冷蔵庫の食材使ってすみません」

「お前が謝るなよ。私がなんて言えばいいか、何で返せばいいか分からなくなる」

「私が勝手にしたことなんでいいですよ……って言っても、貰える物は貰いたいですけど」


 苦笑いしながらそう言った。

 正直なやつだ。

 だがその正直な所が、私に気を使ってくれているのかもしれない。


 テレビ前に運んでくれる食べ物は、THE朝ご飯みたいな食べ物。

 白い米、二つの目玉焼きとソーセージとベーコン、さっき言っていた味噌汁。

 味噌汁の具材は、本当に冷蔵庫にある物を使ったんだろう、豆腐とネギとわかめ、玉ねぎなどが入ってた。盛り沢山過ぎるだろとツッコミたい。


「盛り沢山過ぎるだろ」

 声に出ていた。


「えへへ……ぶっちゃけ先生ってどれくらい食べるのか分からなくていっぱい作りました。作ってしまいました。あと味噌汁の分量ミスって後五人分くらい残ってます」

「文句を言う立場じゃないのは分かっているが、作り過ぎだろ」

「これに関してはガチですみません」

「……別にいい。が、小食だからあまり食べれない」


 教師になり、だんだんと食が細くなった。

 量の代わりに、バランスや食材の質を上げたので、体調面などの問題は無いと思う。


「食べていいのか」

「はい、召し上がれです」

 冷静に考えてみると、自分の生徒に朝ごはんを作ってもらうなんて、今後生きててないだろうと思った。

 というか、今この状況は法律的に大丈夫なのだろうか。

「いただきます」

 だが、そういうのは諸々食べてから考える事にした。

 この頭痛や吐き気では、考える物も考えられない。


 味噌汁椀を傾けて汁を飲む。

 口いっぱいに広がる味噌の味、確かに速水の言う通り味はかなりしょっぱい。

 健康に悪いという言葉が頭をかすめるが、そんなの知らないとばかりに私の口の中に入り込んでいく。

 箸を使い玉ねぎやわかめを取り、口に入れる。

 暴力のような具の多さだが、味の濃さも相まって今はそれが助かった。

 米、味噌汁。米、味噌汁。

 サイクルが完成した。腹が一気にずっしりと感じるようになった。

 味噌汁椀の中身が空になる。


「あははっ、おかわりいりますか?」

「……頼む」


 自分でも「何が小食」だと思うほどの喰いっぷり。

 アルコールが糖を分解してるのか、糖がアルコールを分解してるのかは忘れたが、昨日それだけ飲んだと言う事だろう。

 いや、記憶無くした状態で生徒に送った貰っているから、私は思っている以上飲んだのだろう。


 米はまだ残ってる。

 米の上に目玉焼きを乗せ、醬油を少しだけ垂らして食べる。

 何も味付けされていない目玉焼き、先程の味噌汁も相まってシンプル故に味気なく感じる。箸休めとしてはちょうどいいかもしれない。

 ソーセージもベーコンは、米と一緒に食べてしまえばすぐに消えた。


「はい、どうぞです」

「ありがとう……お前も食べるのか?」

 私にお代わりの味噌汁を置くと同時に、速水も味噌汁と米を用意していた。

「私もお腹空いたので」


 至極真っ当な理由だ。

 無意識に時計を見て見ると、既に九時を回っている。

 今日は授業も部活も無いためアラーム鳴らさずこんな時間に起きていたが、朝飯を食べる時間となれば少し遅い。

 速水は高校生だ。女子とはいえ部活もしてないとはいえ普通に食べ盛りの時期だろう。


 飯を食べていると、だんだんと目が覚めてくるのをを感じる。

 まだ頭痛はするが、先程よりかは大分楽になった。塩分が身体の中に入ってきたからだろうか。


 このあたりから、私はやっと「目が覚めた」気がした。


「なぁ速水」

「なんですか?」


「私はどうしたらいい?」



 なんでこう言ったかは、今でもはっきりと覚えている。

 本当に、自分が何をすればいいか分からなかったからだ。

「このことを他の人に人に告げるな」と言うのも速水からしたら旨味の無い話だろうし、かと言って「詫びに何かあげる」と言うのも、上から目線のようで気持ち悪い。

 それならば、さっさと出てもらってこのことをうやむやに?

 アホか。そんな人間関係が可笑しくなるようなことをしてはいけない。




「先生って、やっぱりおかしいですよね」


 あっけらかんとした表情でそう言った。


「普通はそんなこと言いませんよ。なんですか『私はどうしたらいい』って、ほんと……ふふっ」

「速水?」

「あぁいえ、本当におかしいから……後から笑いが来たじゃないですか」

「そんなにおもしろくないだろ」

 こいつの笑いのツボが分からない。意味が分からない。


「別に、私は何もしませんよ。誰かに告げないし、弱みに付け込むこともしない。何もしないから、先生もしなくていいじゃないですか」

「……だが、それだとお前に悪い。こんな、こんな迷惑掛けたんだ」

「そうですよねー、そう言うと思ってましたー」

 語尾に伸ばし棒を付けたような口調。



 速水は味噌汁を啜った。

 私も、味噌汁を啜った。


「じゃあ、今日一日だけ言う事聞いてください」



 怖いこと言うなぁ。


「…………あぁ。善処する」


 自分のプライドがそう言った。


 腹は八分を通り越して九分だが、満たされた。

 このご飯が、私の氷を溶かしてくれた。

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