第38話

 むかし。

 一人の女の子が越してきた。

 確か、五歳の頃だった。

 その子のお母さんから、言われた言葉。


「この子といっぱい遊んであげて」


 何気ない言葉。

 その子のお母さんは仕事が忙しく時間が取れないから。自分の母親に言われた。

 外で遊ぶのも好きだけど、中で静かに過ごすのも好き。

 おもちゃをいっぱい持ってて、良く貸してもらったし、貰った。

 三人グループから四人に増えて、チームという言葉を知った。


 いっぱい優しくしようとした。

 いっぱい遊んであげようとした。

 

 優しくしようとしてしばらくして、なんで優しくしたか忘れた。


「お前、速水の事が好きなんじゃねーの?」

 いつか言われた呪いのような言葉。

「そんなのじゃない!!」

 強く反応した。

 強く反応したけど、そんなのじゃないと反応したけれど。


 それが、恋と錯覚した。

 錯覚が真実に変わったのは、いつだったのだろう。

 彼女の事を想い続けたのは、いつからだっただろう。

 一年前。

 四月になって、高校生活が始まった。

 家が近くて、偏差値普通の学校。

 学生服は可愛くて、勉強は少し難しくて。

 周り三人も高校生になっても関係は変わらなくて、中学一緒の子も新しくできた友達も面白くて。



 今までで同じでつまらないと思うのに時間は掛からなかった。

 いつもと同じ顔。

 いつもと同じ会話。

 いつもと同じ勉強。


 そして、いつもと同じ、空っぽな家。


 たまに三人が来てゲームする。ゲームしてる時は凄く楽しい。

 たまにお母さんがリビングで寝ている。たまに話す時間が凄く楽しい。


 それだけ。

 ほんの一瞬楽しくて、すぐに終わる時間。

 もちろん、音楽を流して鼻歌交じりにする家事は楽しい。

 静かな場所で出来る勉強は、集中が出来て楽しい。

 でも、それだけ。


 幸せではあった。

 お母さんは忙しいけれど、その分稼げる職業らしいから、高校生になって使えるお小遣いは増えて、物には困らなかった。

 困らなかったけど、虚無感だけが残ってた。


 楽しいけど、楽しくない。

 幸せだけど、幸せじゃない?

 なんとなく、自分自身が我儘なことを思っているなーって、自分でも思って。

 意味が分からないまま嫌な気分が重なった。



 そんな時に、見つけた。



 五月三十日、二十二時半。

 コンビニで消しゴムを買いに行って、家に帰る時。


「―――あれ?美咲賀……せん、せい?」


 それまでの先生に対してのイメージは、顔が怖いかったり、淡々としてて、でも、真面目でちゃんとした良い先生だなと思った。

 小学四年生の頃の先生は本当に駄目だった。あの頃はそうは思わなかったけど、大人になっていくにつれてその……ヤバさというか、そういうのが分かってきた。

 アレに比べればやっぱりマシで、私達の事をあんまり興味ない感じで、私としては凄く助かった。ついでに授業も凄く分かりやすいポイント。


 そんな、そんな真面目そうで怖いイメージででもいい先生だよねって先生が。


 そんな先生が。




 まさか、酔いつぶれて友達の肩を借りてるとは思わないだろう。



「あれ?お前、斗琴のこと知ってんのか?」

「え、いや……うちの、担任の先生ですけど」

 友達と思わしき女性が、見ていた私に話しかける。

 少なくても、うちの学校の先生ではなさそう。見たこともない。

「あー、そういやこいつ先生やってたな。じゃあ、生徒か」

「は、はい」

「すまん、こいつ預かってくれないか」

「えっ?」


 えっ?


「あたしそろそろ移動しないと迎え間に合わなくてさ。用事パンパンで死ぬから、こいつを家まで届けてくれないか。住所はこれに書いてある場所、これは私の連絡、これは迷惑かけた料!じゃっ!」

「えっ?えっいやちょっと!」


 よく分からないまま先生と紙とお金を手に握らされ、声を荒げる前に走って逃げられる。

 未だ状況が呑み込めないまま、右腕に掛かる重みに意味も分からず、ただ棒立ちしていた。

 先生の真っ赤な顔と、住所と連絡の書かれた紙と万札と、走り去った方向を順番に見た後、私は溜息を付いた。


 今思えば、先生との出会いを言うならあの場所を言うだろう。

『初めて会った』は教室だけど、出会いを語るならあの土曜日の夜。

 人生の転機で、愛という幸せを知った。

「で、お前のその金髪幼女っ子はなんなんだ」

「『なんなんだ』とはなんなんだ。いい加減慣れろ」

「お前の馬鹿げた能力に付き合ってあげてる俺の身を少しは考えて欲しい。それと、俺とお前で趣味が違うのは分かってんだろロリコン」 


 お互い強い口調で話す。

 胡坐かいて鶏肉を貪る佐藤達也。

 片や、もう既に食べ終わったと語る稲庭稲。

 いや……。


「この姿は、一年前からハマりにハマったソシャゲキャラ『ラディ・ロイヤル』だ。ほれ、この角度で、こう……ええぇい、こう!すれば見覚えはあるじゃろ」


「こう」と言いながら、姿を変えた。見せた姿はソシャゲのイラストそのまんまだった。


「あー!それか!なんだっけ、限定とか言ってめっちゃ喜んでたやつ」

「そうじゃな…………一旦戻るわ」


 そう言うと、稲は黒い靄が掛かりながら、元の金髪の青年に戻った。


「なんだよ、そんな見て」

「いや……久しぶりだろ。耳すらないの」

「あー、確かに。最近は維持のためだけに寝る間も使ってたし、たまにはいいかもな」


 寝てる間も能力を使っていた親友に内心驚くが、一週間ぶりに見る狐の耳もない普通の姿の稲の方が驚いた。


「あれ、チキン……」

「あぁそうそう、アレだけど本体の俺はチキンに齧りついて、ラディの方は普通に会話してるように見せてただけだから、まだ俺は食事中だ」

「そんなこともできるのかよ!」

「言ってしまえば全部幻だからな。声も幻だから喋ってるわけじゃない。ちゃんと授業受けてるように見せて早弁してるようなもんだ」

「例えが的確なのか俺には分からないけど、とにかく凄いとしか言えない」

 もしゃもしゃと、鶏肉の皮を伸ばしながら食べる光景は先ほどのキャラクターと同一人物なのかと疑ってしまう。

「ぶっちゃけ、美少女の方がよくない?男と喋るよりは」

「じゃあなんでお前はその姿に戻ったんだ」

「え?ラディを紹介するんなら、俺が俺にならないと説明しづらいかなって」

「すんなすんな長くなるだろ。お前みたいなオタクに喋る機会与えたら駄目なんだよ」

「それはそうだな」

 チキンの骨を投げ捨て、タオルに水魔法で水をほんの少しだけ出し、お手拭きにする。

 稲の能力は強力だが、こういう魔法の調整はクラスの中でも一番上手いんじゃないかと達也は思う。


「ご馳走様でした」

「ご馳走様」

「……」

「……」


 チキンを食べ終わっても、達也は帰る気にはなれなかった。

 話したりないというか、なんというか。

 放課後駄弁る感覚に近かった。


「私はさぁ」

「私?」

「癖だ、気にすんな」

「……」

「嬉しかったよ、ああ言ってくれて。自由になれたよ」

「そうか、それは良かった」

「そっけなく返しやがって。結構感謝してるんだぞ?」

「そうか」

「……」

「……」


 それからお互い喋ることは無かった。

 気まずくなったのか、達也が稲の部屋から出た後。

「―――これからよろしくな」

 誰かに向けた言葉が部屋の中で木霊した。

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