第32話
「あ、ああ……」
覚悟は出来ている。
後は、勇気だけだ。
早く、早くこいつを殺して一の所に行かなきゃ!
「あああああああああああああ!!」
絶叫と共に振り上げる両腕は涙と共に落ちていく。
手に持った短剣が鎖骨を削り心臓を突き付ける。
生暖かい血は掌にべったりと付いてしまい、頬にまで飛び散った血は擦る度に顔が汚れる。
「あぁ!もう!」
汚れた顔に苛立ち、二秒後に身なり何てどうでもいいと悟る。
「天守閣、よくやっ―――」
「―――早く、行かなきゃ」
先生の声も聴かずにダッシュでこの部屋を出た。
今は、一に会うことしか考えられない。
☆
「金剛翼」
「俺は人を殺さない」
名前を呼ばれ、ずっと心に決めていたことを口に出す。
「……それで、どうやって戦場に立つつもりだ」
「先生だって俺の戦い方は知っているだろ。敵の攻撃を防いで、防いで、防ぎまくる。そこに攻撃はいらない」
「考えが甘いぞ」
「そんなの分かっている」
真っ直ぐ先生の方を向き、自分の思いを伝える。
「自分が甘い考えなのも分かってるし、殺し殺されの世界なことも分かっているし、今自分が言ったことが殺すことよりも難しいのも分かってる。ただ……お願いだ先生、許してくれないか?」
一歩前に出て、頭を下げる。
自分が何を伝えたいか、全部は伝えきれてない。
でも、今自分が出来る精一杯の気持ちを伝える。
「……金剛、こっちを見ろ」
言われた通り頭を上げて先生を見ると、そこには俺を目掛けて剣を構える先生が―――
「―――っらぁ!」
頭に吸い込まれるように振り下ろされる剣は、【金剛不壊】によって『キンッ』という音と共に自分の腕によって弾かれる。
「……並大抵の考えじゃないことは分かった」
「へへっ、先生も色々考えてることが分かったよ」
普通の先生じゃ、まずこんなことをさせない。
きっと俺達の知らない所で色んなことを悩んだのだろう。
そう上で、この決断。
だから、俺に剣を振るった。
「皆の盾として活躍することを期待してる」
「おうよ!」
そんな先生をがっかりさせちゃいけないな。
人生最大の転機を導く恩師にしがみ付くだけの男にはなりたくない。
☆
「稲庭稲」
「【尾狐変化】」
名前が呼ばれると同時に、自分の姿を変化させた。
狐耳が定着してきた俺、もはやどの姿が俺なのか、自分でも分からなくなってきた。
今の自分の姿は、虚無だ。
真っ黒い靄が掛った黒い人型、今、自分がどんな行動をすればいいのか、どんな自分でいればいいのか分からなくないのだ。
人を殺す。
そんな妄想は何回かしたことがある。
特に、元カノと浮気相手。
不登校中に何度も妄想したし、今でも剣を振るう時にあいつらを何度も重ねた。
で、結局意味はあったのか?
答えは否。
結局、俺の思っていることは中二病の延長で、ただの痛い高校生で、浮気の傷も立ち直れない弱い男だ。
そんな俺が、人を殺す?
「やめてほしい」
見えない口が動いた。
「押し付けないでほしい」
心に止まっていた思いはずたずたに零れた。
「俺は弱いままなんだ、逃げて逃げて逃げ続けたんだ。
なぁ……そうだろう。
いつになったら、強くなる」
「お前は、強くなくていいんだよ!」
「!?」
後ろから、達也の声が聞こえた。
「お前は確かに逃げ続けたかもしれない!でも、逃げた先で何を見つけた!新しい趣味のアニメや漫画やアイドルだろ!金髪に染めて成功しただろ!」
「……」
「この世界に来て何を手に入れた!恵まれた能力だろ!自分に合った能力だろ!」
「……」
「弱いお前でも、優れてるところは沢山あるだろ!どんな逃げ方でも逃げ方が上手いお前は凄いよ!」
「いつまでもお前はお前自身に縛り付けられるなよ!!」
「うるさいのぉ」
声は女の声にして、人型の黒い靄を小さくさせた。
「弱い弱い、逃げる逃げる、挙句の果てには余の趣味をばらし、お主はいつになったらプライパシーを人の守る。一回殺すぞ?」
「えっ、あぁ……すまん」
「『すまん』の口が軽いが……まぁいい。許しはしないが許してやろう」
思い描いたのは強いキャラクター。
知ってる中で最強の吸血姫であり、最高に可愛く、最凶の魔王。
「お初目お目に掛かろう、余の名は『ラディ・ロイアル』誇り高き吸血鬼族の姫と呼ばれておる。余の事は敬意を示し『ラディ様』と呼ぶことを許してやろう。
さて、無様で哀れな汝よ、余で逝くことを嬉しく思え」
瞬間の血飛沫。
いつの間にか首が消えた死刑囚と、ラディと自負した少女は、死刑囚の座っていた椅子の後ろでその首を右手で鷲掴みしていた。
「それでは人間、ご機嫌用」
『パチンッ』
余った左手で指パッチンをすると同時、世界は
ラディの姿も、稲の姿もどこにもいなかった。
それだけならいいのだが、なんと死刑囚の首は戻っており、血飛沫なんてどこにも飛んでいない。
「……まさか!」
七先生が声を上げ、死刑囚の脈を測った。
「……死んでる」
そう呟いた時、周りの誰かが悲鳴を上げた。
そういえば、あいつ確か脳がそう思い込むとか言っていたな。
「えげつないな」
親友の凄さに驚かされてばかりだ。
☆
この世界に来てから、あまり弓を引かなくなった。
理由は簡単。
正しい射の打ち方が分からなくなったのだ。
唯一出来たのは訓練初日のあの一回。
的を貫き、木壁を貫き、初めて自分の弓を『武器』として認識したあの一矢のみ。
経った一矢。
経った一矢だけで、自分の中の『弓道』が崩れたのだ。
「次、
「……はい」
この世界の人間は『弓道』という単語を知らなかった。
恐らく、魔物を狩る、人を殺すというのが日常的な世界で『武道』という概念がない。
そりゃそうだ。
理にかなっていた。
理にかなっていたからこそ、悩んで、訓練をサボっていた。
『正射必中』なんて言うけれど、実際は当てようと思えば当てられる。
ちょっと練習した普通の人間はそうだ。
そして、俺は普通じゃない。
「『ビイィーン!』」
矢は外れた。
気味の悪い弦音が聞こえた瞬間から、いや、指を話したその瞬間から、外れることが分かっていた。
殺そうとした。
前の人達を見ていて『殺す』という概念に囚われちゃいけないと思って、慣れ親しんだ『的』を思い浮かべてみたけれど、やっぱり外れた。
もう一度、何本もある矢筒から矢を一本取り、引き分けて、会の姿勢に移る。
「『ビイィーン!』」
また、外れた。
ここ最近、ずっとだ。
『どうして』なんて思っても『心が異世界に付いていけてない』というのは分かってて、この思考は冷静なのか冷静じゃないのか分からない。
(もう、矢を直接刺した方が早いか)
「どいて」
声が聞こえた時には、既に蹴られていた。
声の主は
生まれた時から苦楽を共にした、最高のパートナー、だと自分は思ってる。
「弓に向き合う姿勢も無ければぐちゃぐちゃな動作で矢も当たらず、最近サボりすぎじゃない?」
「お前に言われたくない」
「じゃあお互い様。ただ、一つだけあんたと違う所がある」
俺の手から無理やり弓と矢を奪い、そのまま素早く弦を引く。
「おま、待っ―――」
俺の叫びも虚しく、止める前に放たれた矢は真っ直ぐ的に……いや、死刑囚のおでこを射抜いた。
顔は布のような物があるが、矢の刺さった場所から赤黒い血が飛び散り、柔らかい肉と貧弱な骨で支え切れなかった矢はポトリと落ちる。
今日何度目かの血の気が引くこの感覚。
「……」
「……ね?」
「……何がだよ」
「私の矢は当たる」
「……」
わざわざ人殺してまで言う台詞がこれか。
何も言い返せない自分が……普段ならムカつくと思っても、なんだろう。
凄く、虚しい。
「新しいの用意してください」
「分かったわ」
淡々と告げ、死体は運ばれ、新しい死刑囚がまた椅子に座る。
誰も喋らない静寂としたこの空間。
「……ねぇ」
「……」
「早く、あんたも私の事、馬鹿にしてよ」
泣きそうな声。
そう言えば俺、ここに来てから一度も右美の目と合わせてない気がする。
ただ、今は顔すら見られない。
「ねぇ、早く言ってよ。お前の弓道は弓道じゃないって」
俺は未だ蹴られた時と変わらない、地べたに尻餅付いて座ったまんま。
いつまでも下を向いてる俺の顎を弓矢で突っつく。
「次はあんたの番」
「……ああ」
目の前にちょろちょろとウザいくらい主張する弓を奪うように取り、のっそりと立ち上がる。
人間、お前みたいに簡単に人を殺せると思わないでほしい。
内心苛立つ心を押し隠しながら真っ直ぐ的の方を見る。
「……」
こういう不調子が続く時、どっかのタイミングで思い出す。
祖父ちゃんが初めて弓道を教えてくれた時のことを。
『―――いいか流麗、弓道はただ当てるだけじゃ駄目なんだ』
『当てるだけじゃ駄目?』
『そう。お前は今は、玩具の弓を引いて矢を飛ばして……楽しいか?』
『うん!』
『そうか、その気持ちだけは忘れてはならんぞ』
弓道が楽しい?
馬鹿言わないでほしい。
『ただ、お前が弓道が楽しんで行った先、どこかで必ず躓く』
『転んじゃうの?』
『そう。痛いぞ、泣いちゃうぞ。寂しいぞ?』
的を得てる。小学一年生相手に言うことじゃないと思うけど。
『そういう時は、基本を思い出せ。お前、パパになんて言われた』
『……はち!』
『そうだ!八!射法八節、つまり基本が一番大事って事だな』
基本が一番大事。
本当にガキの頃から何度も言われてる。
つまらない、つまらない言葉だった。
つまらなくて、つまらなくて。
そうは思って、何度型から外れたことをして、的から遠のく矢を見て来ただろう。
『そして、次に大事なのは何だと思う?』
『しんぞう!』
『お、おう。間違ってない……のか?流麗の言った通り、弓道において大事なのは心だ。』
心とは何か、何度考えたか。
祖父ちゃんは分かっているだろうか。
馬鹿だから分かって無さそうだな……。
この思い出は、時に役に立ち、時に役立たずな思い出。
気持ちなんて色褪せて、情熱なんて沈下して、魂なんて注ぎきる前に尽きてしまう。
もう、高校二年生なのだ。
……いや、高校二年生だったのだ。
高校生で四段が凄い?
これしか取り柄の無い馬鹿に、何が凄いんだ。
『そして、な?』
ふと、思い出の中の祖父ちゃんが語り掛けてきた。
こんなこと、言っていたっけ。
『もしも弓道が嫌になったら、一度離れてみなさい。勉強に集中してみてもいいし、ゲームばっかしてもいいし、寝てばっかでもいい。一度疲れた翼をしっかり休ませないさい』
祖父ちゃんが、弓を引いた。
普通は、喋りながら弓なんて引くことなんて出来ないのに。
孫に格好つけるためだけに、そんなことしてる。
でかい、でかすぎる。
身体も、弓も、なにより心も。
『そして、また飛んでみなさい』
弦音が、狭い部屋の中で響いた。
いつの間にか自分は弓を引き矢を放っており、その矢は―――
―――顔面ど真ん中を綺麗に貫通させ、矢の終着点は壁の中。
死刑囚、だった物はもはや見てられない姿に生まれ変わり、突き刺さった矢は大きく割れ目が出来ている。
「ぐっろ」
右美の気の抜けた声が脳に入ってくると、意識が現実に急に引き戻された感覚が襲う。
まるで長い睡眠を取ったかのように頭がスッキリしてる。気持ちも、殺したことへの罪悪感も、ゼロとは言わないけれど思った以上に心が軽かった気がする。
「やれば出来るじゃん」
「……ハハッ」
「何よ急に笑って、気持ち悪い」
「なんでもない。先生、帰りますね」
「あ、あぁ。気をつけて、な?」
何故か疑問形を付けて送る先生と未だ黙ってるだけの皆を置いて俺達はこの地獄のような場所から出た。
「大変だったね」
「……だな」
「どうしたの、疲れちゃった?」
「そうかもな、雨に濡れて臭い所は行って人殺して、精神的に疲れない方がおかしい」
「そうねぇ」
「……お前も疲れてるんだろ、本当は。全部装ってるの知ってるんだからな」
「……あっそ」
右美がそっぽ向いて小さく呟いた。
雨は先程よりも弱まっているが、夏も終わりかけて秋に向けて寒くなってくる時期だ。下手したら風邪ひいてしまう。
「あっ、そうだった。傘が無いって思ったけど、魔法があったんだ」
「あー……もういいよ。さっさとお風呂入っちゃお」
「それもそうだな」
そんなこと話して城に戻り、俺と右美はお互いの部屋に戻るべく階段で別れる。
「流麗は温泉入るの?」
「いや、部屋のシャワーだけでいいかな。めんどい」
「そ、そう……ねっ、ねぇ!流麗!」
急に大きな声を出した右美は、顔を見るとどこか赤く、髪も雨で湿っており、そのー、なんだ。
エロい、いや、色っぽい。
「お風呂入った後…………あんたの部屋、行くから!」
「は?」
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