じゃじゃ馬姫と竜④
瞬間、後ろの草陰からガサガサと大きな音がして、私の喉元に噛みついてくるはずのオオカミは何かに弾き飛ばされ、近くに生えた大きな木の
『キャウゥン!』
よろけながらも体を起こしたオオカミは、さっきとは全然違う情けない鳴き声を発しながら、森の奥へと逃げ帰っていった。
そうして私の目の前に現れたのは、見慣れない一匹の獣の姿だった。
「な、なに……?」
『クアァッ!』
「ひぃっ!」
こちらを振り返って、大きく鳴いた。見た目に似つかわしくない、少し高くて可愛い声だ。鳥に近いかもしれない。
大きさは、正面から向かい合えば背丈は私と同じぐらい。隣に寝そべったら、全然この変な生き物のほうが大きい、というか長いと思うけれど。
体表はごつごつしていて、若葉色の固そうな
顔はトカゲと蛇を混ぜたような見た目で、真っ黒な瞳がくりくりしていてどこか愛嬌がある。鼻の頭にある、尖った小さなこぶみたいなものは……角だろうか。
筋肉質でがっしりとした四本の脚。そこから伸びる鎌のような爪。前足の方が、少し
そしてなにより目に付くのが、背中から生える大きな翼。
「あなた、もしかして……」
間違いない。こいつはさっきの鳥だ。
鳥というかトカゲというか、なんだろう。本当にこんな鳥は見たことがない。もしかしたら鳥じゃないのかもしれない。
『クアーッ!』
また、変なのが鳴いた。口の中がちらりと見えたけれど、舌が細長くて蛇みたいだ。牙もあった。変なの。
でもどうやら悪いやつではないらしい。こうして向かい合って目を合わせていても、さっきのオオカミみたいによだれを垂らしたりしていない。お腹が空いていないだけなのだろうか。
「私のこと、食べたりしないの?」
変なのは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせて、不思議そうに首を傾げる。どうやらその心配はなさそうだ。
「じゃあ、触ってみてもいい? 急に噛みついたりしない?」
『クルルゥッ!』
変なのが鳴いて、こちらへ近寄ってくる。
目の前で止まると、頭を下げて首を伸ばしてきた。『なでろ』という意味だろうか。
恐る恐る、その額に手を伸ばしてみる。
こんな変な生き物は触ったことがないので、とりあえずエレンのおっちゃんが馬の顔を撫でる様子を思い出しながら、私もそれを真似てみた。
触れた指先から伝わるのは、木の皮みたいにごつごつした、思っていた通りの固い感触と、じんわりと温かい生命の温もり。
『クルゥ……』
こぼれたような静かな鳴き声は、まるで子供が母親に甘えるときのような、そんな声に聞こえた。
私が触れると、変なのは自分からぐっと頭を押し出してくる。
うっとりと目を閉じている様子をみるなり、私に対する敵意のようなものは全く感じ取れない。
「もしかして、私を助けてくれたの?」
そう訊くと変なのが地面に体を伏せたので、私もしゃがむ。
『クルルゥァ~』
言葉が通じているかはわからないけれど、『そうだよ~』と答えてくれた気がした。
嬉しくなった私は、その体をぎゅっと抱きしめてみた。
「ふふふっ! ありがと! あなたは私の命の恩人ねっ!」
『クルァーッ!』
変なのが声高らかに鳴くと、急に視界がふわっと暗くなった。
気付くと、広げられた大きな翼がそっと私の身体を
「……なんか変な匂いがする。あなたちゃんとお風呂に入ってる?」
『クルゥ……?』
お風呂? 何それ? と言っていそうだ。そりゃまぁ、そうか。
「ふふっ。でもいいや! あったかい! ありがとうっ!」
『クァーッ!』
ごつごつした恩人の身体を、私は力いっぱい抱きしめた。
さっきの怖さも、寂しさも、森の不気味な冷たさも、その温もりが全てを忘れさせてくれた。
***
ぽつりぽつり、冷たい雫が肌に落ちる。——雨だ。
「うぅ、朝はあんなに天気がよかったのに……」
『クルルゥ……』
小一時間森の中を
歩き疲れて、痛みもひどくなって、眠くなってきた。
雨粒が葉っぱを叩く音がこれ以上大きくなる前にと、どこか雨宿りできそうな場所を求めて三百六十度見回してみる。
「あ、あそこ! あの大きな木!」
『クルゥッ!』
ちょうど近くに、大樹の幹が見えた。
大樹の前まで走り寄ると、変な生き物は我先にとその根元に体を降ろして丸くなり、片方の翼を大きく広げて私を見上げている。
『クゥーッ』
静かな声でそう鳴くと、丸めた尻尾をぱたんぱたんと地面に叩きつけてみせた。
座って、という意味だろうか。
「……いいの?」
『クルゥ!』
多分、そういうことだろう。
私は変なのの身体に包まれるように、その場に腰を下ろす。
広げられた翼はちょうど屋根のようになっていて、雨も風も当たらない。それに、なにより温かい。この変な生き物はとても賢い。一体何者なんだろう。
「あなた、とっても優しいのね」
『クルルゥ~?』
ごつごつした鎧のような背中を優しくなでると、変な生き物が不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。こんなに大きな翼が生えているのに、やっぱりトカゲみたいだ。
こうして見ていると、不思議の塊そのものだ。
「あなたは鳥なの?」
『グルゥ~?』
「どこから来たの?」
『グルル~ァ』
「何歳なの?」
『クゥアッ?』
多分、会話になっていない。
謎が謎を呼んで、私は深い深い森の中で、謎の渦のど真ん中に放られた気分だ。
けれども、この変な生き物が寂しそうな顔をしたのはすぐにわかった。
「さっきのおっきいのは、お母さん? お父さん?」
『クルゥ……』
細めた大きな瞳は少し潤んでいるようにも見える。
人以外の動物が
けれどもそこに抱くのは好奇心だけじゃない。
ほんの少しの好奇心と、今はただただこの温もりに寄り添っていたいという、思いやり。アイラはこれを、『
「よしよーし、寒いねぇ……」
『クゥ……』
木の葉を叩く雨粒にも負けてしまいそうなほどに、力のない、か細い声だ。
けれど私には、私の心にはちゃんと届いている。
さっきの大きな鳥は、お母さんだったのかもしれない。仲良く遊んでいるように見えたけれど、違ったのだろうか。あの鳥はまた……いや、もう帰ってこないのかもしれない。
直感というやつだ。
変な生き物はただ黙って、私に頭を摺り寄せる。
私は優しく、その額を撫で続ける。
雨で濡れた私の小さな手は、この変な生き物の爪よりも小さい。役に立っているだろうか。冷たくないだろうか。そんなことが心配だけれど、変な生き物はうっとりと目を細めたままだ。
「あなた、とっても強いのね」
『グルルゥ……』
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