じゃじゃ馬姫と竜③
クッキーを摘まみながら、私はおっちゃんに訊ねてみた。
「ねぇねぇおっちゃん、どうして皆私のことを『馬』って言うの? 私、お姫様なんだけど、王女なんだけど」
「それは『じゃじゃ馬』のことだねぇ! ここにいる馬達もそうだけど、メスの馬は特に元気でねぇ、外に出すとあっちこっち跳ねまわって大暴れさ。まぁ良くも悪くも、元気なお馬さんみたいだねってことだろうねぇ」
おっちゃんは「はっはっは!」と快活な笑い声をあげている。
なんだ、結局馬じゃないか!
「元気なのは悪いことなの?」
「いやぁまさか、そんなことはないさ。ただ元気が良すぎても少し困ってしまうんだ。なにせなかなか言うことを聞いてくれないからねぇ」
「ふーん……」
確かに、私は言うことを聞かない。今日もアイラの目を盗んでお城を脱走しているし。
口をつーんと尖らせた私を見て、おっちゃんはまた楽しそうな笑い声をあげた。
「はっはっは! 姫様は『じゃじゃ馬姫』だから可愛いのさ! 普通のお姫様よりもうんと可愛いよ!」
「ほ、ほんとに⁉」
「あぁもちろんさ! 大きくなったらきっととんでもないべっぴんさんになっているだろうから、楽しみでしょうがないよ!」
「なるなる! 絶対王都で一番のべっぴんさんになってみせるんだから! あ、そうしたらおっちゃんにもチューしてあげる! クッキーのお礼!」
ほっぺにだけどね! おっちゃんはいい人だし優しいから、しょうがなく。
「はっはっはぁ! そりゃ一層楽しみだねぇ! 期待してるよ!」
そう言って、おっちゃんは厩舎の中に戻っていった。
馬たちの鼻を撫でて、一頭一頭に何かを話しかけている。馬たちは幸せそうに顔を摺り寄せている。奥さんよりも馬との方が仲良しじゃないか。
そんなおっちゃんを横目に、私もついつい笑みがこぼれる。
冒険を再開するべくベンチから降りて、再び大地を踏みしめて全身で日光を浴びてみる。
今日はきっと、一日中晴れているんだろう。
そんな気がして雲一つない青空に
二つの影は王都の外にある森の上の青い空の中で、何度も円を
やがて大きな影は、はるか遠くの空に吸い込まれるように飛んでいき、小さな影はひらひらと森の中へと降りて行った。途中で追いかけるのを諦めたようにも見えた。
一体なんだろう。王都の外にはあんなに大きな鳥がいるなんて、アイラは教えてくれなかった。
これもきっと何かの運命かもしれない。直感というやつだ。
気づいたときには私は王都の門をくぐりぬけて、木々が生い
***
王都の西門から少し離れたところにある、深い深い森の中。
空を見上げてもあったかいお日様は全然見えないし、焼き立てのパンの香りももうしない。何度後ろを振り返っても、さっきまで小さく見えていたお城はついにどこにも見えなくなってしまった。
「あれー? この辺だと思ったんだけどなぁ……」
さっきの大きな鳥が降りたのは、確かこの辺だ。
見つけたら捕まえて、お城の庭で飼ってやろう。そして私の子分にする。
じゃあ名前は何にしようか、そんな呑気なことを考えていた矢先、恐れていた事態は起きてしまった。
『グルルゥ……』
それはまるで、敵の喉元に飛びつく絶好の機会を
「ひっ……」
両手を口に強く押し当てて、飛び出そうになった悲鳴を必死に押し殺し、飲み込む。
王都の外の森にはオオカミやクマがたくさん潜んでいるので、ハンターの資格を持った大人たちですら、単独で足を踏み込むことは滅多にない。
どいつもこいつも弱虫な大人たちだとばかり思っていたけれど、これじゃあ当たり前だ。
こんな恐ろしい唸り声を前に冷静でいられる人間なんているはずがない。しかもまだその姿は見えない。暗闇のどこかから、ずっと何かに狙いを定めている。それが私かどうかも、わからない。オオカミに狙われているのか、クマに狙われているのか、わからない。
迫りくる未知という恐怖が、ひたすらに私を追い詰めた。
今から走り出しても、きっと追いつかれて八つ裂きにされてしまう。それに、パニックでどの道を通ってきたのかわからなくなってしまった。
「アイ、ラ……」
こんな怖い思いをするのなら、最初からしっかり言いつけを守ってご公務をしていればよかった。お腹もすいた。喉も乾いた。クッキーをもらってから、もう随分と時間が経ったように感じられる。今頃、アイラは私を探しているだろうか。
『グルルゥ!』
「ひゃっ……あっ……」
唸り声の正体が、草木の中からのっそりと顔を
それも、かなり大きい。
鋭い牙と真っ赤な歯茎をむき出しにして、口元からよだれを垂らして、頭の位置を低くしたままゆっくりと私の方へ近づいてくる。
「やだっ……いやっ……」
腰が抜けて、その場にみっともなく尻もちをついた。
そこから一歩も動けずに恐怖に震えた今の私は、目の前のオオカミにはちょうどいいおやつに見えているのだろう。
オオカミはそのまま唸りながら、私を睨みつけながら、ぐるぐると私の周りを歩き回る。
気を張り詰めて飛びつかずとも、目の前の獲物をすぐに絶命させることができる。そう理解しているからこそ、まるで弄ぶみたいに私を見ているんだ。
そう考えるとなんだか負けたみたいで、恐怖よりも怒りの感情がふつふつと湧き上がってきた。
私は王女だ。お姫様だ。お腹がすいたらみっともなくよだれを垂らして唸るだけのオオカミなんかよりも、ずっとずっと偉いんだ。
それにこんなところで怖がっていたら、将来立派な王様にはなれない気がする。
——こんなオオカミ一匹に、負けるわけにはいかない。
震える両足になんども握りこぶしを叩き下ろして、私は自分を奮い立たせる。
立ち上がり、負けるものかと睨み返す。
「あ、あんたみたいな汚い犬なんか、全然! これっぽっちも怖くない! 私に噛みついたって無駄なんだから! 思いっきり蹴とばして返り討ちにしてやるんだから!」
そう
けれどオオカミは怯まない。一歩、また一歩と私に近づいて、一気に飛び上がった。
「きゃあっ!」
もうだめだと思って悲鳴を上げ、しゃがみこんだ。
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