第一章 じゃじゃ馬姫と竜①
「もう疲れたぁ! 毎日お勉強ばっかりで嫌になっちゃう! たまにはお外でぱぁーっと遊びたい!」
握っていた羽根ペンを放りながら、まるで背中から飛び込むみたいに椅子の背もたれに寄りかかってみる。首と肩が重くて痛くて、動かない。骨と一緒に鉄の剣でも入っているみたいだ。
「姫様、ご
部屋のドアの横に立っていたアイラが、また無表情で何かを言っている。今、命令されたような気がした。
アイラはアレクトリア家のメイドさんだ。朝お母さんがアイラに『今日もかんしをよろしく』と言っていたのが聞こえたけれど、難しい話はよくわからない。
「まだ十分⁉ 嘘よそんなの! もうこんなに肩も頭も目も痛いっていうのに! あと七時間五十分もやらないといけないなんて地獄よ! 耐えられない! 死んじゃう!」
私は椅子の上で膝を抱えて小さくうずくまって、これ以上は肉体的にも精神的にも限界であることをアピールしてみる。何をするにも健康が第一だって、お父さんはよく言う。
「……姫様、それではまたこの間みたく、私が御父上方と母上に叱られてしまいます」
「私が怒られないなら別にいいわっ」
「もちろん姫様も一緒にですよ」
「げっ」
どうしても逃げられないらしい。このご公務とやら、楽しくないし難しいし楽しくないし楽しくないし、嫌いだ。
なんというか、人間はもっと自由に生きるべきだといつも思う。
「はぁ、お昼ご飯はビーフシチュー、おやつはブリオッシュ。それなら頑張ってあげなくもないわね」
食べたいものだって、自由にたくさん食べてこそだ。
椅子をくるくる回転させながら、私はアイラにいつも通りわがままをぶつける。
アイラもため息をこぼしているけれど、「ダメだ」とは言わなかった。
「はぁ……、約束ですからね?」
よしきた。話のわかるメイドで助かる。
「おっけーい、約束約束!」
椅子からぴょんっと飛び降りて、私はアイラと指切りをしに行ってみた。
「ゆーびきーりげんまん、うーそついたらはりせんぼんのーますっ!」
これは昔アイラが教えてくれた、約束の魔法。東の小さな島国では流行っているらしい。
もしもアイラがビーフシチューじゃなくてカレーを作っていたら、針を千本飲ませてやろうと思う。
「まったくもう……では私は昼食の準備をしてまいりますから、姫様は引き続きご公務を」
小指がそっと解かれると、アイラはそう言って回れ右をした。
「え、もう行っちゃうの?」
心にもないことを、つい言ってしまう。
「えぇ、ビーフシチューは少し作るのが大変ですし、今ちょうど牛肉を切らしておりますから」
「そっかぁ、わかった。ちゃんととびっきり美味しいビーフシチュー作ってよね」
「はい、お任せを」
ぺこりと一礼して、アイラは部屋を出て行った。
——これはビッグチャンス到来だ。
閉められたドアに耳を押し当てて、アイラの足音が遠くなっていくのを確認してみる。
——あれ、足音がしない。
と、思った。その時だった。
「……うわぁっ!」
急にガチャリとドアが開いて、さっき出て行ったはずのアイラが現れた。このメイド、手ごわい。
「お、驚かせてしまって申し訳ありません! えっと、姫様、ブリオッシュにはコーヒーとお紅茶、どちらを合わせますか?」
な、なんだ。そんなことか。
「こ、紅茶に決まってるじゃない! とびっきりいい香りのするやつ!」
無理難題を言って買い物を長引かせてやろうと思う。
紅茶のお店は確か王都の市場からは少し外れたところにあったはずだ。
「かしこまりました。お紅茶の方も何種類か揃えてまいりますね。それでは」
目の前で扉が閉まり切るのを見て、もう一度耳を押し当ててみる。
アイラは今度こそ遠くに行ったみたいだ。
——これで舞台は整った。
「ふっふっふーん」
つい鼻歌が漏れてしまうほど、私は今最高にワクワクしている。
ベッドの下に手を入れて、隠していた長いロープを引っ張り出した。
カーテンの中に潜り込んで、窓を開ける。
そして引っ張り出したロープをベッドの脚に結んで、窓からロープを放り投げた。
このロープを伝って下に降りると、城の裏庭に出ることができる。裏庭から城の外へと出るには背丈よりも全然大きい柵を越えなければならないが、私にかかればそのぐらい余裕だ。毎日アイラの目を盗んでは、城の三階からこのロープを上り下りしているので慣れている。それに裏庭は警備の騎士さんもいないので、別に急ぐ必要もない。
私はロープにしがみついて、少しずつ体の位置を下へ下へと落としていく。
緑の芝生がかなり近づいてきたので、思い切って飛び降りる——着地成功だ。
私はそのまま、少し遠くにある柵を目指して勢いよく芝生を蹴る。裸足のまま芝生の上を
そのまま思いっきり飛んで、冷たい鉄の柵にしがみつく。
あとはさっきのロープとそんなに変わらない。少し滑りやすいので注意しなければならないが、同じ要領で体を上に上にと持ち上げていく。
柵の一番上に足をかけて、飛び降りる。着地成功。
——脱 出 成 功。
私の冒険は、いつもここから始まる。
見慣れた大地を駆けているだけなのに、まるで翼が生えたようで、空を飛んでいる気分にもなれた。本当に空を飛んだら、一体どれぐらい気持ちいいだろう。
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