最期の竜騎士

亜咲

序章

   


「今日から私がこのクラスの担任になります。『リリー=アレクトリア』です。えっと……」


 いざ自分が教壇きょうだんに立つというのは、なんというか、想像していたよりも全然緊張する。

 ——ここは都立エルヴィス騎士団付属騎士養成学校きしだんふぞくきしようせいがっこう。今はその入学式を終えて、各々おのおのが自分の教室へと戻ってきたところ。

 一クラスはだいたいどの教室も三十人。用意されている席も、三十席前後。

 私を見つめるのは、夢と希望に満ちたなんともきらびやかな、まるで宝石玉のような若々しい瞳たち。計算すると……六十もあるじゃないか。

 そりゃ当然、こうして言葉を選びあぐねて口ごもってしまうわけだ。


 ——なにせ私は、ついこの間まで大空をけていたのだから。


「ええっと、自分のクラスを持つのも、他人に何かを教えるのも初めてなので、至らない点もたくさんあるかと思います。初心に戻ったつもりで、皆さんと一緒に一から学んでいけたらなと思いますので、ど、どうかよりょしくおぬ……あっ」

 途端とたん、背中から変な汗が噴き出て、教室中は若い笑い声に包まれた。噛んでしまった。みっともない。

 火が出そうなほどに熱くなってしまった顔を、どうやって隠そうかと視線を泳がせた、そんな時だ。

「——はいっ! リリー先生! 質問していいですか!」

 窓際の一番前の席。奇麗な金髪の、活気あふれる声音と瞳の少年だ。名前は——まだ把握できていなかったので、「えっと、どうぞ」


「先生って、竜に乗ってた騎士さんですよね⁉ 『アレクトリア』って、あの竜騎士『リリー=アレクトリア』ですよね⁉」


 少年の高らかとした声に、教室中の瞳は一層丸く輝いた。

 なんとなくこうなるのはわかっていたけれど、いざそうかれると、少し辟易へきえきしてしまう。

「そうだけど……その話は長くなるからまた今度ね」

 少し申し訳ないなと思いながらも、私はその質問には応じてやらない。第一、話せば本当に長くなる。きっと授業どころではない。なので言い訳を探して逃げているわけでは断じてない。心苦しくはあるが、これも教育の一つだろう。

 さて、私の自己紹介は済んだ。少々不服な結果を産んでしまったが、教師としての印象そのものは悪くない気がする。ドジっぽくて取っつきやすい教師だと思われることができたのなら、結果オーライというやつじゃないだろうか。なめられている、とも言うだろうか。

 じゃあ次は皆の自己紹介をしてもらおうかな、と喉元まで出かかったところで、先ほどの活発な少年に遮られた。

「先生! 俺先生と竜の話聞きたいよ! 俺たちの自己紹介は休み時間にやっておくからさ!」

「え、えぇっと……それはまた今度にしてもらえると……」

「お願い先生! ねぇ、皆も聞きたいよね⁉」


『聞きたい! 教えてせんせー!』

『俺も知りたい!』

『僕も僕もー!』


 ——やれ、これは参った。

 一度火が付いた好奇心というのはなかなか簡単に収まってはくれないらしい。十二歳というのはそういう年頃だろうか。

 しかし、これは今まさに教師としての器が試されている場面でもある気がする。大人しくはいはいと言うことを聞いていては、それこそなめられてしまうに違いない。

 ここはひとつ、私も心を鬼にしてガツンと言ってやるべきだ。

 パンッ、パンッ! 再び教壇に乗った私は、二回手を鳴らした。

「その話はまた今度! みんなはこれから騎士になるのだから、今からそんなわがまま放題じゃ強くなんてなれません! いいですか?」

 少し、声を張り過ぎてしまっただろうか。

 先ほどの活発な金髪少年も、しゅんとした面持ちで「すみませんでした……」と着席。

 なんだか私はすごく悪いことをした気分になった。

 幸先さいさきのいいスタートとは言えなさそうな雰囲気だ……。


『——あの、先生』

 

 静まり返った空気感の中で、一人の生徒が手を挙げ、声を上げた。

 静謐せいひつとしながらも可憐で女の子らしい声音に、私の視線は吸い寄せられる。

 ほっそりとした華奢きゃしゃな体格。『騎士』というよりかは『お姫様』、といった印象を抱く人間の方が多いかもしれない。背丈は、今は他の男の子たちとそう大差はないが、四年後の卒業式にはきっと一番小さい存在となっていることだろう。

 今気づいたが、この教室の女子生徒は彼女だけみたいだ。

 なんだかいつの日かの自分を見ているようで、懐かしくなった。笑みがこぼれた。ようやく私は緊張が取れたらしい。

「どうしましたか?」

 私がくと、少し間を置いて、少女がゆっくりと口を開いた。


『——強くなるって、どういうことですか』


 落ち着いた声だった。けれど同時に、どこか追い詰められているようにも見えた。

 ——強くなるとは、どういうことか。

 それは、私がこれから彼女たちに教えようとしていることそのものである、とも言える。

 じゃあ、私は彼女たちよりも強い人間であり、強い騎士であるか。

 力比べだけなら、恐らくまだ負けることは無いだろう。やいばを交えれば、その戦闘技術はもちろん私の方が上であるに違いない。体術のみでもそうだ。

 がしかし、私がここにいる三十人に教えたい強さというのは、果たしてそういうものか。

 ——多分、違う。


『……先生?』


 教師でありながら黙り込んだ私に、生徒たちはただただ困惑の眼差しを向け続けた。

 だから私は、自問自答を繰り返す。




 ——私が強くなろうとした理由。


 ——王族として生きる道を捨て、今ここにいる理由。


 ——溢れかえる憎悪に突き動かされても尚、剣を振らなかった理由。




 その全てを、私はここにいる若き騎士たちに話さなくてはならない。


 そのために、私はここにいるのだ。

 それをまだ剣もまともに触れぬような、か弱い女の子に気付かされてしまうなんて。


 私はまだ——弱いままじゃないか。


 一度深呼吸をして、私は古びた教卓の前で姿勢を正す。

 顔を上げると、やはりみなの表情は真剣なままだ。

 そうして私は、何よりも大切な思い出の一ページの一番最初の一行を、そっとつむぐ。


「あれは、私がまだ、王都エルドーアの第一王女として、毎日奇麗なドレスを着ていた頃」


 いたずら心で迷い込んだ深く暗い森の中で見つけた、命の灯火ともしび




 これは一人の王女と一匹の竜の、目も眩むような長い長い——奇跡の冒険譚ぼうけんたんだ。

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