第14話 夫婦の営み

 周囲への警戒は怠らずに歩を進める。


 次に会ったら接触してみようと決めていたのだが、美少年と会うことはなく、シーナの追っ手と遭遇することもなかった。


 僕らが接触したのは魔獣、そして野生の動物くらいのものだ。ひとりなら苦しい旅路だったが、デジーさんがいればなんのことはない。


 アデュバル・力の加護の曝露事故経験者であるデジーさんの狩りは、見事、その一言に尽きる。ケルベロスのような強力な魔獣であっても、オークのような巨大な体躯の魔物であっても関係ない。


 破裂音だけを残して地面を蹴る、一瞬で対象との距離は詰まっている、殴る。どんな脅威に対してもそれで終わってしまう。


「デジーさんを見ていると、彼らが加護持ちを怖れる理由がよくわかります」

「アデュバルは特に人間離れしていますからね」

「なにもデジーさんだけじゃないさ。精霊の加護を持った生物はあきらかに他とは違う。僕みたいな外れ精霊以外は脅威です」


 わずかな沈黙の後、デジーさんが言う。


「私はジャバさんの精霊の力を外れだなんて思いません。一緒に行動して間もないですが、あなたの結界には何度も救われてきました。誰かを護るための能力を授かったのが心根の優しいあなただったことにも、なにか理由があるのだと思います」

「僕は優しくなんてない。自分本位な人間なんだ。その証拠に母の忠告を無視してレナンの棘を受け、化け物になってしまった。僕が普通に生きていれば、人生はもっと違っていた」


 ピタッと立ち止まったデジーさんは、まっすぐに僕を見つめた。


 彼女の純粋な瞳を向けられると、どうもダメだ。なにも考えられなくなってしまう。


「それでも……。それでも私はあなたを誇らしく思います」

「デジーさんがそう考えてくれるのなら、自分の行為にも多少の意味があったように感じられるよ」

「私には力がある。そしてあなたには弱者を護る結界が」


 デジーさんはアホである。


 だから無駄なことを考えないし、言葉も太く、たくましい。


「いい組合せなのかもしれませんね」

「はい、間違いありません。最近思うんです。私の怪力はあなたを支えるために授かったんじゃないか、って。あの時、ウラムの教えを破ってまでお酒を飲んでしまったのは、あなたの妻になるために精霊が導いてくれたんじゃないかって」

「精霊はそこまで計算していたんですかね」


 この世界を創造した偉大な精霊たちは知っているのだろうか、加護持ちが苦しみ抜いて死ぬことを。虐げられ、悲しみと絶望に包まれながら人生の幕が下りる瞬間をまっていることを。


「精霊は知っている、って言葉をご存知ですか?」

「ウラム教徒がよく使う言葉ですね。僕の母も言っていました。悪いことをした時も、良いことが合った時も母は言いました。精霊は知っている」

「私とあなたが夫婦になることも、そして互いに大切に思い合っていることも、彼らは知っていたのですよ」


 いい側面に着目すれば、よく見える。悪い側面ばかりを眺めていると、人生が暗くなっていく。


「感謝せねばならないんでしょうね、精霊に」

「ふふふ。その必要はありませんよ。感謝というのは心の底から湧いて出るものだから」

「ウラムの教えに逆らうことになるのでは?」

「おかしなことを言う人ですね。あなたはウラム教ではないじゃないですか」

「でもデジーさんの夫でもある」

「立場と思想になんの関係があるのですか? 私はこんな身になっても精霊に感謝しています。見世物小屋にいたことも、ジャバさんと出会えたことにも意味があるのだと思う。しかしあなたまで私の考えに流されることはないのです。あなたのお母様はウラム教徒だった、でもお父様は違ったでしょう」


 たしかにそうだ。


 僕の両親は考え方も優先順位も違ったが、ずっと仲が良しだった。


「互いの考えを尊重できればそれでいいのかもしれませんね」

「その通りです。私がいてあなたがいる、そして夫婦として互いに支え合っている。それだけで充分じゃないですか」

「考え方や思想は些末な問題」

「はい!」


 風に揺れるデジーさんの髪。


 キラキラと輝くデジーさんの瞳。


 魂を揺さぶるデジーさんの声。


「僕はもう、手に入れたのかもな……」

「なにを?」

「完璧な幸せ」

「獣の肉ばっかり食べてるし、シーナの追っ手から逃げているのに?」


 きっと、なにをしているかは重要じゃないんだ。幸福の本質は誰と一緒に人生を歩んでいくかなのかもしれない。


「デジーさんを知れば知るほど大切だと感じる。日々、あなたへの愛情が強くなる。僕はウラム教徒じゃないけれど、デジーさんと一緒にいれる今日この日を精霊が授けてくれたとしたのなら、精霊に、そして人生に感謝してもいいかもしれない。こう思えることが完璧な幸せなのかもしれません」

「私もおなじです。惨めな日もありました、悲しい日もあった。信仰が試されているのかなと考えてしまう日もありました。でも、ジャバさんの妻になった日から、本当の意味で精霊に感謝することが出来るようになったのです」


 感謝、愛、大切な人。


「デジーさん、祈り方を教えてくれませんか?」

「いいですよ」


 僕はデジーさんを真似て膝をつき、手を握り、目を瞑った。


 そして、ひと言だけ、念じた。


 ありがとう、と。


 美味しい物を食べる、綺麗な女性と遊ぶ、お酒を飲んで酔っ払う。そんな喜びが陳腐なものに思えるほどの、安らかな幸せを感じさせてくれて、ありがとう。


「上手な祈り方ですね」

「祈り方に上手も下手もあるんですか?」

「ありますよ。あなたの祈りは素晴らしく美しかったです。どんな宗教家よりも誠実で、正しかった」

「僕の特技がひとつ増えました」

「えぇ、誇っていいことですよ」


 簡単な祈りを終えた僕らはまた歩き始めた。


 遭遇した獣を狩って食べ、追跡されないように埋めて川で体臭と足跡を消し、休める場所を探して目を閉じる。


 いつものように僕が出口付近で結界を張り、デジーさんは奥の方で眠るのだ。彼女の体温は感じられないけど、他の夫婦にはないほどの愛を抱きながら。


「おやすみデジーさん」

「おやすみジャバさん」


 一日、生き延びることが出来た。


 僕らに明日がある保証はない。僕らはいつか暴走し、自我を失い、命を落とす。


「ごめんなさいジャバさん。私が力をコントロール出来ないばかりに、妻の役目を果たせなくて……」


 静かな暗闇のなかで、デジーさんが呟くように言った。


「妻の役割なんてありませんよ。宗教の話と一緒です。僕はデジーさんの心や思想、体と背景を尊重する。それに僕らが夫婦の営みを出来ないのは僕の体が貧弱なせいでもあるんです。手を握っただけで関節が外れるくらいのモヤシ野郎ですからね。もっとタフな男だったら夫婦の営みも出来たかもしれない」

「ジャバさんは悪くない! 私が……」

「僕は悪くない。そしてあなたも悪くない。誰も悪くない」

「でも……」

「精霊は知っている。僕もデジーさんも悪くないと」


 結界を挟んで休む僕らは、虫の鳴く暗い夜のなか、ふたりだけで取り残された。


「ごめんなさい……」


 デジーさんが、謝る。


「ねぇデジーさん。目を瞑ってくれますか?」

「え?」

「そして約束してください。僕がなにをしても動かないと」

「は、はい。わかりました」


 僕は結界を解き、隣で休むデジーさんの傍に寄った。


「危ないですよ、私に触れたら怪我をする」

「静かに。動かないで」

「はい……」


 指でデジーさんの輪郭をなぞって、唇を探し、重ねた。


 デジーさんは柔らかくて、温かかった。


「いまはこれで我慢しましょう」

「はい……」


 いつか精霊の謎が解き明かされて、デジーさんの力の加減が上手になったら……。


「おやすみデジーさん」

「はい、ジャバさん」

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