第15話 殺戮兵器

 急に辺りが騒がしくなったのは、朝、目覚めてささやかな食事を摂った後だった。


 叫び声、なにかがぶつかるような音、悲鳴。


「デジーさん」

「はい、あっちから聞こえてくるみたいです」


 デジーさんが指さした方角から響く、不穏な音。なにかとなにかが戦闘している。


「シーナの追っ手と魔物、あるいはマキナ・シーカリウスでしょうか」

「かもしれません」

「一刻も早く逃げましょう。僕を抱えてくれますか?」

「もちろんです」

「すみません、あなたに力を使わせて」

「生きてこそ、でしょ?」


 デジーさんの動きで怪我をしないように小さな結界を張り、運んでもらう。


 僕の足と筋肉デジー号では進む速さが違いすぎる。ちんたら逃げていたら敵に取り囲まれて余計に力を使わなければならなくなるだろう。いま、頑張っておかないと後で辛くなる。


 音の発生源から離れ、川の水で体臭を消して、さらに山の奥深くへと逃げた。


 戦闘が不可避ならやむをえないが、僕らの体は力を使えば使うほど死に近づく。最も理想的なのは負担をかけず、精霊の力に依存せずに逃げ切ることだ。


「ジャバさん」


 しばらく移動した後、デジーさんが寂しそうな表情で僕に声をかけてきた。あまりいい予感はしないけど無視するわけにもいかない。


「なんですか、デジーさん」

「もしあの子が……、マキナ・シーカリウスなら……」

「シーナの追っ手と戦っていたのかもしれない。もしかするとすでに破壊されているかも」


 深く考えこむデジーさん。


 一緒にいた期間こそ短いが、濃密な時を共に過ごしてきて、デジーさんという女性を深く知った。性格とか、魂の高潔さとか、優先順位なんかを。だからいま、彼女がなにを考えているのかが手に取るようにわかる。


「助けに、行けませんかね……」


 やっぱりそうきたか。


 僕らはマキナかもしれない物の姿を目にしてしまった。魔物を圧倒するほどの速さはもっていたものの、その体格は華奢で繊細。まるで子供だった。


 心根の優しいデジーさんは、あんな子供がシーナの軍人を相手にしているというだけで、胸が締め付けられるのだ。


 なんとか救いたい。どうにかして護ってあげたい。そんなところか。


「あれがマキナ・シーカリウスである確証はないんですよ? それにさっきの物音がシーナの追っ手だというのも確定していない」

「そう、ですね……」

「デジーさんの気持ちはなんとなく理解できますが、いま戻るのは身体的な負担も増すし、リスクも大きい。わかってくれますか?」


 デジーさんは微笑んだ。


 胸の奥底をえぐるような、悲しい微笑だった。


「頭では、理解しているのですが……」


 僕の妻は限りなくアホである。


 なにか行動を起こす時は、身の安全や自分の立場などを考えない。ただそれが正しいかどうか、自らの魂に恥じる行為でないかだけを考えている。


 まったくもって非効率な性格だと思う。


「それでも助けに行きたい、そうですか?」

「はい……」

「きっとあなたひとりなら、なにも迷わずに突っ込むのでしょうね」

「かもしれません」


 僕の仕事はきっと、アホのデジーさんの暴走を止めることなのだろう。彼女はアデュバル・力の精霊のせいで知能や危機回避能力が低くなっている。


 誰かが導いてやらないと、いつか……。


 いつかどうなるんだろう。


 加護持ちはいつか暴走して、人様に迷惑をかけ、討伐される。


 先のことを考えて行動するのが、果たして僕らの幸せだと言えるだろうか。


 いま、この瞬間に悲しむ妻に我慢させ、効率的に生きて、それでどうなるのだろう。


 僕がすべきことは……。


「ちょっとだけ、様子を見に行きますか……」

「いいんですか!?」

「よくないです。危険だし」

「でも……」

「僕らは完璧な幸福を得なければなりません。一点の曇りもない幸せです。僕はなにひとつ諦めない。あなたの魂が求めるのなら、そうしよう。ベストを尽くすんだ」

「ジャバさん!」

「ですが約束してください。もし僕が手遅れだと判断したらすぐに退きます。間髪入れずに。それで構いませんか?」

「はい!」


 将来のことを考えて我慢する。それが賢いってことなのかもしれない。


 冒険をせずに安全に生活する。そして、いつか幸福が訪れてくれるのをひたすら待つ。


 大半の人間はそうやって生きているし、いままでは僕もそうやって生きてきた。時間があったから。このままの生活がいつまでも続くだろうと、頭のどこかで考えていたから。


 いま、やりたいことをやらなかったら、いつかこの瞬間が僕らの胸を締め付けるだろう。挽回する機会も少ないのに、後悔ばかりが積もって惨めな気分になるだろう。


「なんだかジャバさん、変わりましたね」

「そうですか? なにが変わったんだろう」

「なんだか……、かっこよくなりました。昔のあなたは寡黙で陰気な人だったと思うのですが……」

「立場が、僕を作ったのかもしれませんね。山賊に襲われた時に決意しました。絶対に幸せになってやると。あなたの夫になり、世界中を敵に回して逃げ回ってる。そういう一連の物語が僕を強くしたのかもしれない。昔の僕といまの僕、どちらが好きですか?」

「断然、いまのあなたが好きです」

「それはよかった。さぁ、行きましょう」


 デジーさんと一緒に来た道を戻ってみた。完璧な幸せのために。


「ところでジャバさんはなぜ、こんな険しい山道を迷わずに進むことが出来るのですか?」

「そんなのは簡単ですよ。地図があるし、地形を見ればなんとなくわかるじゃないですか」

「道なき道を進んでいるのに?」

「特別なことじゃないですよ。木の感じとか斜面の具合を記憶しているだけです」

「うぅん、私には全部一緒に見えます」

「得て不得手がありますからね。僕に出来ることとあなたに出来ることは違います。結界しか張れない僕と力持ちのデジーさん、道に迷わない僕と推進力のあるデジーさん」

「なるほど、そういう考え方もありますね」

「僕らが力を合わせれば敵なしですよ」

「はい!」


 とは言ったものの、不安だらけの現状は変わらない。


 僕の体の一部は結界になっているし、デジーさんがいつ精霊に呑み込まれるかも不明。どのタイミングで暴走するかわからない以上、力を温存しておきたいという気持ちはある。


 あの音の発生源がマキナ・シーカリウスとシーナの追っ手の戦闘だと仮定してみよう。


 最も力を使わずに乗り切れるのは相討ちになっていたケースだ。マキナが破壊されてシーナの兵も瀕死。これが理想的だろう。デジーさんは悲しむかもしれないが、能力は使わずに済む。すでに手遅れなら諦めがつきやすく、メンタルの負担は少ない。


 シーナの戦力に余裕がある状況だったらかなり辛いかもしれない。いや、マキナが僕らに敵意がないと決めつけるのも危険だ。どちらが生き残っていてもそれなりのリスクは伴う。


 そもそも、あれがシーナとマキナであるとは限らないし、あの子がマキナだと決定したわけでもない。なにがあっても対応できるようにしておかなければ。


「デジーさん、とりあえず上をとりましょう。上からアデュバルの投擲をお見舞するだけで相当な脅威だ」

「はい、わかりました」


 敵味方の判断は早めにしようか。対応が後手に回ればおもしろくないことになる。


「デジーさん、攻撃の合図を決めておきましょう」

「合図?」

「いちいち口に出すのはタイムロスだし、敵も身構える。警戒されないうちに物を投げて潰した方が効率が良い。そうですね、僕が手を挙げたら目のまえにいる生物を攻撃してください」

「わかりました」


 ここまで確認し合うと、先程、音がした方へと移動した。


 そこに広がっていた光景は……。


「マキナ・シーカリウスの仕業ですかね……」

「どうでしょう。ですが少なくとも魔物の類いではないようです」


 地獄絵図だった。


 倒れていたのはシーナの軍人。僕とデジーさんの追っ手だろう。


「刃物、でしょうか……」

「怖ろしい精度だ」


 すべて一撃のもとに、抵抗する間もなく葬り去られている。戦闘の訓練を受けたプロ集団が、だ。


 殺戮兵器マキナ・シーカリウス……。


「あの子は……、いないようですね」


 残念そうに呟くデジーさん。


 これは想像以上にまずい。ここまでのことをやってのけるとは……。


 マキナ・シーカリウス、大国の追跡。


 僕らはシーナを脱出するまえに僕らは……。

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