第82話 八門金鎖

「今、黒田流と申しましたな?」


 三成は宙に浮かぶ太陰の首に向かって尋ねた。千里眼。式神が持つ四つの目のうち上の二つは、契約者の眼と通じているという。


「官兵衛殿ともあろう方が、よもや自ら名乗りをあげるとは。この石田治部に謀反の告白をするようなものですぞ!?」

「くくっ、何を申す」


 太陰の首は口を開く。この少女の姿をした神のものだが、言葉の手前の息づかいや、笑い方、声の抑揚などが、師のものに似てるように感じた。


「今、この名護屋の地に展開している布陣を見て、即座に我が名が思い浮かばぬ貴殿ではあるまい。徳川殿と結託したのも、この黒田官兵衛が相手であったからだろう?」

「確かに。ですがあなたは今、海の向こうにいる。この乱の鎮圧が終われば大規模な捜査が必要となるが、今あなたが自白したのならそれも行わずに済みますゆえ」

「くっく……いかにも奉行らしいものの考え方だ」


 太陰の首は……それを通して三成と対峙する官兵衛は笑う。そして


「石田殿。一つだけ訂正させていただく。これは謀反などではない。太閤殿下のために必要な"儀式"なのだ」

「儀式?」

「左様。そのために、この八門金鎖の陣も作り出した」


 八門金鎖の陣。聞き覚えのある名だ。三国志。唐土もろこしの歴史書であり、読み物としてもこの国に伝わっている太古の軍記物語。その中に、迂闊に攻め込んだものを死に至らしめる必勝の陣形が登場する。


「記録など殆ど残っていない術だ。私の半生で培った軍配師としての経験と、亡き竹中半兵衛殿と共に体系化した理論。この陣を使えるのは天下に私のみであろう。これであの方の望みは達せられる」


 広範囲にわたって気の流れを偽装し、敵を特定の位置に誘い込んで潰す。人であろうが神であろうが、罠にかかることが可能で、むしろ強い気を放つ神や軍配しにこそ有効。確かにかの物語で軍師たちが築いた、無敵の陣形そのものだ。


「島左近どの、並びに服部半蔵殿であったな? ここにいるのは当代随一の武者2名。存分に殺し合って頂こう!」


 浮遊していた神が舞い降りる。赤銅色の素肌に虎皮の袴と鱗鎧という派手な出立ちの大男。そしてもう一人は、対照的に暗い色の質素な着流し一枚の老人。


「ハハッ、玄武に朱雀か。程よく四神が二対二に分かれたわけじゃな!」

「再会を懐かしむつもりなぞないぞ。今の私には大望がある」


 左近と半蔵はそれぞれの得物を手に身構えた。


「青龍、お前勾陳を一度喰ったらしいな。あいつ健気に失った力を取り戻そうとしていたみたいだが、まるで歯応えがなかった。お前を殺して、都合2人前いたいだくとしよう」

「無益な戦は好まぬ。と言ったところで、お前たち3人は承服すまいな。それに黒田の殿様も……」


 対峙する2人も構える。話を聞く限り、こいつらが朱雀と玄武だろう。京の四方を守る4体の霊獣。その名を冠した4人は十二神将の中でも、秀でた力を持つと、かつて左近が自慢げに話していた。


 三成は改めて天を見上げる。太陰の首越しに今から起きる戦いを眺めているだろう黒田官兵衛。闘争こそを生き甲斐とする、危険な師。彼の目的は、どこにあるのか? 三成はそれを考え続けている。

 ただこの4人を戦わせるために、八門金鎖なる大仰な陣を拵えた? この4人のためだけに、諸将を騙し太閤殿下に弓を引いた?

 いや違う。目に見えるものの内側に、真の狙いを潜ませる。それが官兵衛の軍配術だ。それに謀反ではない、という官兵衛の言葉も引っかかる。儀式とはなんだ? さまざまな疑問が渾然一体となり、軍配師としての本能が警鐘を鳴らす。彼の思惑に乗るな。ここで戦ってはならない。


 だが、しかし……


「十二天将朱雀、又の名を前田慶次郎。ひと暴れ致す」

「十二天将青龍、改め島左近。推して参る」

「十二天将玄武、人の名を富田勢源と申す。数百年来の決着を今こそ」

「十二天将白虎。主に与えられし名は服部半蔵。主の御世の障壁となるものは全て排除致す」


 この4人が会した以上、衝突は不可避。もはや、何者にも止めることはできなかった。

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