第77話 撹乱と速攻

 名護屋城を取り囲むように何本もの煙の筋が空に向かって伸びていた。数刻前より、伊賀忍軍と黒脛巾組が各所で狼煙をあげているのだ。煙にはそれぞれ色がつけられているが、これには全く意味がない。本当の合図を隠すための偽装に過ぎなかった。


「よし、そろそろ始めるぞ!」


 三成が合図すると、横にいた伊賀者が更にもう一つの狼煙を上げた。この狼煙には緑に着色されている。この色を使うのは2回目だ。何も知らないものが見たら、他の煙との区別はつかない。しかし、2回めの緑の狼煙。それこそが、行動開始の会津であることは事前に、片倉喜多と藤林長門守に伝えていた。


 ここから、三成たちの攻撃が始まる。守備側は無数の狼煙を警戒しているであろう。煙が上がった山に部隊を向かわせるもの、奇襲を恐れ守りを固めるもの、謀反に巻き込まれた諸将は、既にそれぞれの本能に従った個別の行動を起こしている。


 こういうところから足並みを崩していく。そして、無数の囮の狼煙のかなにひとつだけ本物を紛れ込ませ、こちらが仕掛ける時機すらも惑わせる。こういう仕掛けは三成は大の得意だった。


「左近、半蔵、参るぞ!」

「おう!」

「承知した」


 この二人のみを三成の側に配した。天后を名護屋まで送り届けるのは三成を含めた三人の役割となる。藤林長門守と、片倉喜多、それに勾陳は忍びたちの指揮に当たる。


 同時撹乱と速攻。これが三成の立てた作戦だった。いや、作戦と呼べるほど複雑なものではない。合図を受けた忍者たちが一斉に騒ぎ立て、諸将が混乱した隙を突いて、三成たちが名護屋城本丸を目指して走り抜ける。それだけである。


 石田と徳川と伊達……さらには徳川に雇われているだけの伊賀忍軍。綿密な連携など望めるはずのない混成軍だ。作戦は単純なものにならざるを得なかった。

 が、それでもかなりの効果が望める。混成軍であるのは向こうも同じだ。百戦錬磨の伊賀者や黒脛巾組が、広い範囲で暴れ始めれば、敵も動けなくなる。


「しかも向こうは大名が調練という名目で兵を動かしているのだ、隣近所に迷惑を掛ける事はできない」


 名護屋城周辺は、日の本全土から招集された百を超す大名たちの陣屋がひしめき合っている。もし隣の陣屋に矢の一本でも射掛けられれば、それは両家の戦になりかねないのだ。そして大名同士の私戦は、惣無事令によって固く禁じられている。そのため、行動の自由度はこちらの方が圧倒的に高かった。


「まずは、山内家と伊藤家の陣屋へ。そこに強い【水】の気があるのは確かなのですね?」


 三成は天后に尋ねると、ロザリオを下げた天将は深く頷いた。


「間違いありません。あの丘から感じる気は他よりも強い。意図的に封じられていますが、この地域で最も強い【水】の霊気の源泉です」


 遠江掛川 (現・静岡県)の山内一豊やまうちかずとよと、美濃大垣 (現・岐阜県)の伊藤守景いとうもりかげ。この2将の陣屋は、林立する陣屋郡の中でも最南端に位置しており、三成たちの位置からも近い。

 2将とも、名護屋に連れてきている兵は少数だ。特に山内一豊は、秀吉の直属ではなく、関白秀次公の家臣であることから本格的な参陣は免除されており、殆どが軍船建造のための人足だという。

 戦力になりえないため、黒田官兵衛が彼らを引き込んでいるとは考えづらかった。


「よろしい。それでは、あの丘へ参りましょう」


 

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