第75話 家康の誘い
「半蔵、お前の予測は当たったようだ」
「は」
服部半蔵……十二天将・白虎もこの陣の大将を黒田官兵衛と見ていたか。しかし……
「それならそれでおかしい事もございます」
「黒田殿は朝鮮にいるはず、そう言うことですな?」
「ええ」
官兵衛は外征軍の軍監として朝鮮に渡っている。名護屋駐留軍を扇動することなど出来るはずがないのだ。
密かに帰国している? いや、激戦が繰り広げられる前線に大将の1人が離脱できるような余裕などないだろう。それは奉行衆に届けられる支援物資要請の数字が物語っている。
「そうか。そう言うことか」
何かに気づいた様子で、左近がつぶやく。
「主殿、可能じゃ。馬鹿げた話だが、ひとつだけ手立てがある」
「なんだと?」
「あの島で太陰とやり合った時、見たんじゃ。奴の額に開いたもう二つの眼をな」
「四ツ目の相……?」
「千里眼か!?」
勾陳と白虎には思い当たるものがあるようだった。
「そう。わらわもよく
三成も、そういう術があるというのは知識として知っている。しかし技法を記した文献はいくら探しても見つからず、失われた術だと思っていた。
「あの鼻っ柱の強い
「しかし青龍、黒田殿は今朝鮮なんだろう? いくら千里眼なんて名前がついてるとはいえ、そんな遠くから使えるものなのか?」
「だから馬鹿げた話なのじゃ。よほどの霊力がなければ出来ん」
「しかし、私が蝦夷の族長を征伐した時、晴明公は京の屋敷から千里眼を使っていた。朝鮮国の広さはわからぬが、日の本の端っこであるこの名護屋ならば不可能でもあるまい」
「しかし、そこまでしてオレ達の戦に首を突っ込みたがるのか?」
あの方ならそうだろうな。天将たちの話を聞きながら、三成は考えた。軍配術の師として、太閤殿下を支える同志として、さらには潜在的な敵として、さまざまな視点で黒田官兵衛を見てきた。そして三成が出した結論がある。
官兵衛は戦闘狂だ。戦そのものを手段ではなく目的として生きる男だ。平穏や発展を勝ち取るために戦をするのではなく、いかに平穏と発展を使い倒して新たな戦の準備をするか。そこに心血を注ぐ男だった。
ある意味、武人としては正しい心構えではある。兵と領地を持つ大名なら多かれ少なかれそう言う思考はする。が、官兵衛の場合、それが度を越しているのだ?
そんな男だからこそ、今は前線にいる。けど、背後で天将達の戦が起きたとあれば、それもつまみ食いしたいと考えるのかもしれない。
「石田殿」
家康が口を開く。
「あなたが太閤の命を全うするには、名護屋城に入らねばならない。そのためには黒田殿の指揮する軍勢をかい潜る必要がある」
「…………」
「手を組みませんか? 半蔵の下には伊賀の忍びがおります。また、片倉殿も九州に黒脛巾組を連れてきているそうです」
伊賀者と黒脛巾組。たしかに忍びを上手く使えば、黒田官兵衛とて出し抜けるかもしれないが……。
「それで、徳川様は何を得ます? 何故、私に手を差し伸べるのです?」
わからないのはこの男の真意だ。日の本第二の実力者。その座にいつまでも収まる男ではない。三成はそう睨み、徳川家康という男を警戒し続けてきた。
海道一の弓取りと称された今川義元に従属していた弱小大名。それが、桶狭間で義元が討たれると、その混乱に乗じて独立を果たした。その後は織田家を巧みに利用し武田家の侵攻を退け続け、その信長公が本能寺で横死すると、またも混乱に乗じて旧武田領を支配。この男自身がが海道一の弓取りと呼ばれるまでに至った。
今は旧北条領250万石を支配し、豊臣秀吉に唯一対抗しうる存在となっている。そんな男の恩を買うべきなのか?
「私は太閤殿下にとにかく尽くしたい。今はそれだけです。あなたを助けることが殿下のためになると信じています」
誠実な言葉だが、三成には白々しく聞こえる。こんな言葉を信じるほど馬鹿ではない。
「ですが、そうですね……」
家康は少し考える仕草をする。
「この謀反に参加した諸将の罪を不満にしていただきたい」
「……ほう?」
そうか、それが狙いか。いかに官兵衛に操られてるとはいえ、奉行としては謀反を咎めないわけにはいかない。しかし、家康が取りなしたとなれば……。
諸将に恩を売り、自身の派閥を広げる。そうやって、政権内の地位を固めるつもりか。やはり危険だ。しかし……
「左近。すぐに天后殿を連れてこい」
「承知した」
すぐさま左近は陣幕から出て行った。
不本意ながら、今は徳川や伊達と組むしかあるまい。それによって生じる不利益は理解した。ならばそれ以上の益をこいつらに生ませれば良いだけだ。
デキる奉行は、利用する。三成はそう己に言い聞かせた。
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