第70話 疑念

 3日後、名護屋より迎えの船2隻がやって来た。式神のカラスを飛ばして要請したものだ。

 行きに秀久が雇った水軍衆は全員無事だった。島民に保護された彼らは、天后の指示で手厚く遇されていた。迎えの2隻のうちの片方は、商売道具を沈められた彼らに対する補償の意味もある。


「それじゃオレはこいつらと一緒にこっちに乗るわ」


 秀久は鐘を船に運び入れてる水軍たちを見ながら言う。浜に隠していた清姫の鐘は、水虎に見つかることもなく無事だったようだ。


「一緒にって……名護屋には戻らないのか?」

「ああ、ちょっと思うところあってな」

「思うところって……アンタ一応五万石の大名なんだぞ!?」


 日の本全土の大名が唐入りに尽くしているこの時期に、勝手に務めを放棄されてはかなわない。今回の戦には皆、多かれ少なかれ疑念を抱いているのだ。秀久の離脱を認めたら諸侯に示しがつかない。


「悪いな、そこはカンベンして欲しいんだ!」


 秀久は、たはは……と笑いながら頭を下げた。


「なあ、石田殿。あんたが誰よりも太閤殿下を敬愛していることを知ってるからこそ敢えて聞きたい。今の殿下は本当に殿下か?」


 その言葉に、三成は心臓を鷲掴みにされるような思いがした。


「……一度だけなら聞き流してやる。だがもう一度言ったら」

「何度でも言ってやる。近頃の秀吉様はどこかおかしい」

「貴様!」


 三成は反射的に刀の柄に手をかけた。それとほぼ同時に殺気が飛んでくる。少し離れたところにいた清姫が三成を鬼の形相で睨んでくる。そしてさらに、その清姫を牽制するように左近が太刀を抜いていた。


「……………」

「……………」


 束の間、三成と秀久は睨み合っていたが、その先に何も益がないことを悟った三成は、刀から手を離した。すぐに清姫の殺気も消え、左近も納刀する。


「オレとて、秀吉様との付き合いは古い。それこそあんた以上に、だ。だからこそ、言わせてもらう。オレは最近の秀吉様が怖い。何か、別人になってしまわれたようで……」

「…………」


 実の所、三成も同じ思いを抱いていた。お世継ぎであった鶴松様が亡くなられてから、殿下はどこか変わったように思う。

 唐入りの決定自体が、それを象徴していた。確かに兼ねてから天下統一以後の構想の一つとして明国への進出は考えられていた。しかしこれほど性急に、かつ独断的に行われるとは思ってもいなかった。仮に行うとしても、三成たち奉行衆が綿密な計画を立ててからと考えていた。しかし実際には、秀吉本人が全てを決定し、奉行衆は事務的な補佐をしているに過ぎない。

 さらには今回の天后確保の極秘任務。これまでの秀吉には考えられない行動だった。明らかにそれまでの殿下とは違う。


「そなたの考えすぎだろう?」


 一応は、そう答える。しかしそんなことはない。そして、その理由にも三成は思い当たるものがあった。あの日、秀長様より託された使命と秀吉の秘密。豊臣秀吉の内に潜む神の存在……


「考えすぎならそれでも良い。オレ目が曇っていただけだからな。それがどちらかを見極めるためにも、オレはしばらく独自行動を取ろうと思う」

「……独自行動で何をするつもりだ?」

「今、迎えにきた水夫たちに聞いたんだ。清洲が少しキナ臭いらしい」

「清洲だと!?」


 秀吉の甥で、現関白の秀次様の領地だ。秀次様ご自身は京の聚楽第に住まいを移しているが、彼の基盤は尾張にある。


「怪しい連中が、尾張の港に出入りしていると船乗りの間では噂だそうだ。聞いた感じでは、恐らくは物の怪がらみ……」

「そうか……」


 船乗りにとって情報は何よりも重要なものだ。海路を通してやり取りされる報せは、時に奉行衆が持つ情報網を早さ、質ともに上回ることがある。


「わかった! アンタのことは私の兄上の預かりということにしておこう。それでアンタが不在でも多少は便宜をはかれる」


 三成の兄、石田正澄は名護屋城の普請や、前線への補給の管理を任されている。彼の指示で動いているように書面を細工すれば、秀久が名護屋にいなくても兄の指示で動いているように見せることが可能だ。


「そいつはありがてえ!!」

「ただ何かあったら、すぐに私に知らせろ」

「ああ、了解した」


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