第4話
公園のベンチに、長い影が伸びていた。
どの木々も、もう葉を落として、寒そげに立っている。
「本当に久しぶりだね。元気だった?」
会話らしい会話を切り出したのは、私の方だった。
「うん、元気。コウキは…?」
「元気だよ。今はこの先の服屋で働いてる」
「そうなんだ…。私は、実家の農業手伝ってるの」
「健康的な
彼女の肌は、もう冬だというのに、小麦色だった。
あの頃は、抜ける様に白かったのに。
「コウキは白くなってる」
「化粧だよ。でも前より白いかもね」
くすっと私は笑った。
そんな私の様子をじっと見ていたすみれが、呟くように言った。
「変わった、コウキ……」
「そう?」
「変わった」
すみれは視線を正面に移した。
「八年だもん。少しは変わるよ」
私の基準は全てすみれ、あなただった。
とっさに八年と出たのは、きっといつもその離れた歳月を数えていたからだ。
「前はこんなに喋らなかった。口下手だったし、絶対に本音を言わなかったし」
「何それ」
私は声をたてて笑った。
いつか、すみれがガチギレした時のことを思い出していた。
-八年前-
「ねぇコウちゃん、これ、この色可愛くない?」
二人でカーテンを購入する為に、近くのショッピングモールに来ていた。
「あ、いいね」
すみれが触れていたのは、深い緑色のカーテンだった。
「でも、こっちの青もいいなぁー」
「うん、それもキレイだね」
はしゃぐすみれが可愛いのと、正直、派手なピンク以外なら何でもいいやと思っていて、ほぼ全てすみれが選ぶ色を肯定していた。
だが、それがいけなかった。
「ねェ!」
いつも通りというか、気づけば彼女のご機嫌はナナメになっていた。
「いいよいいよって、コウキもちょっとは選んでよ!二人で選ぼうって来たんでしょ!」
「あ、ゴメン、じゃあ、私はこれがいいかな」
焦った私は、手近にあった黄色いカーテンを選んだ。
けれど、選んでから気づいた。
(あ、しまった)
それは、さっき店内に入ってすぐ、
『これだけはナイわ』
そうすみれが言い放ったカーテンだったのだ。
しかし、時すでに遅く、すみれは、
「もういいっ!」
店を出て行ってしまい、結局その日はカーテンを購入出来なかった。
「覚えてる?」
「覚えてる」
すみれは、肩をすくめた。
「私、いっつも怒ってたね」
「うん。でも、美人なんてそんなもんだと思ってた」
「何それ」
今度はすみれが笑った。けれど、すぐ俯いた。
「私が壊しちゃった。楽しくて幸せな毎日」
長い沈黙が流れた。
ふとすみれの指先に視線を移すと、左手の薬指に指輪がはめられていることに気づいた。
「結婚したの?」
「えっ」
すみれは、急いで指輪を手のひらで隠した。
「別にいいよ、驚かないよ。だってもう八年経ってるんだもん」
さっき逃げ出したことなどおくびにも出さず、笑顔でそう声をかけていた。男女問わず人気のあったすみれが、誰かと一緒になっていたとしても全く不思議ではなかった。
「時間……」
すみれは消え入りそうな声で呟き、やがて、
「仕事……戻らなきゃ…」
ちりを払う様な仕草をして、ゆっくりと立ち上がった。
「うん。じゃあ」
またね、と言い掛けて、その言葉を飲み込んだ。
「仕事、頑張って」
「ありがと。コウちゃんもね」
どちらともなく背を向け、私たちは別れた。
軽トラに戻ると、運転席からコウキの去って行く姿をバックミラー越しに見つめた。しなやかで美しいその後ろ姿を見ていたら、あれもこれもと、遠のいていた筈の記憶が蘇って来た。
やがて、コウキの姿が人波に飲まれて消えかけると、急に襲って来た悲しみと寂しさに、たまらず車から降りた。
「コウキッ!!」
その背へ叫んだ。
けれど私の声は、街の
私は八年越しに、コウキという人を想い、涙を流した。
「わー、ご馳走だね」
私の目の前に、今日買った野菜たちが料理となって並べられてゆく。
「さ、食べよ」
買った野菜をお裾分けしようと姉の家を訪ねたら、今日に限ってお
やがて姉妹水入らずの差し呑みも、中盤を迎える頃。
「あ、そういえばさー」
姉がビールの缶を開けながら
「昔、コウちゃんと暮らしてた
「……すみれ」
「あ、そうそうすみれちゃん。会ったのよ、少し前に。まなみの学校の買い出しでね、ちょっとお世話になったのよ」
まなみとは姉の長女だ。
「私のこと分かったみたいで、挨拶してくれて。しばらく話してて、そんでまぁ流れで聞いたのよ。『結婚してるのー?』みたいなね」
姉は空いた私のグラスにビールを注ぎながら、探る様に私の
「どっちだと思う?」
「したでしょ」
「ブブー! 結婚してませーん! 独身でしたー」
「嘘だ」
私はグラスを置いた。
「実は会ったんだよ、今日。そこの農産物売ってるお店で。指輪してたもん」
「私も見たよ、指輪。だから聞いたんだから。でもしてないって」
「じゃあ、恋人か何かじゃないの」
もういいじゃん、どうでも! すみれの話はやめて! そう言おうとした時だった。
「気遣いの出来る優しい人なんだね、彼女。大量に買った物を、店と車、何往復もして運んでたの。そしたらね、手伝ってくれたのよ、すみれちゃん。もう配達終えて帰ろうとしてたみたいなのに、わざわざ車から降りて来てくれて」
「………」
私は黙った。
今日、すみれと再会したのも、すみれが私を心配して声をかけてくれたからに他ならなかったからだ。
「それでね、私とコウちゃん、少し似てるでしょ? だからどうしても思い出しちゃったんだと思うの。呟く様に言ったのよ、彼女。『コウキに会いたい』って」
「………」
「独り言みたいだったから、それには何も答えなかったけど。でも…わかったの。あの瞬間は……、あの子の
「……まさか……」
そう反論したものの、私の声は台所の換気扇の音に消されてしまうほど弱々しく、小さいものだった。
「コウちゃん。自分が後悔している事をきちんと反省して、その後の人生を歩んでいる人を、私は、立派だと思うわ」
姉の言葉は短かった。
けれど、だからこそ私の心に突き刺さった。
そしてその言葉には、かえしでもついているかのように、私の心に刺さったままだった。
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