第3話

 -八年後-


「長谷川さんなら、どっち?」

「んー、私なら赤かなあー」

「そっか。じゃ、青と赤を五枚ずつもらおうかな。それぞれのサイズで」

 真冬にアロハシャツを広げて、メーカーさんと雑談を交えての商談をしている。


 私はすみれと別れた後、夢の実業団入りは果たせず、アルバイトを経てショップの店員になった。

 そして今は支店を任されるまでになり、それなりに充実した毎日を送っていた。


「しっかし、真冬にアロハですもんね」

「私も初めはビックリしたよ。今は慣れちゃったけど」

「慣れるんスよねー」

 メーカーの南要なんようさんも、アロハシャツを大きなバッグに詰め込みながら笑った。

 今年は、この色が来るとか、この形が来るとか。そんな話をメーカーさんから聞くのは、なかなか楽しいものだった。


「あ、そう言えば」

 戸口まで南要さんを送った時だった。

「店長は自炊って、します?」

「まあ、少しは」

「最近この道の先に、結構大きな農作物売るお店出来たでしょ。試しに直帰の時買ったら、どれも甘くて美味しかったですよ」

「へえー、じゃあ今度行ってみようかな。アパートと逆方向だから全然行かないんだよね」


 自炊は、したりしなかったりだった。

 一人分を作るのは、なかなか面倒で、ついお惣菜を買って適当に済ませることも多かった。けれど、その後そのまま料理の話で盛り上がったからだろうか。その日、私は少し遠回りして、メーカーさんの言う新しく出来た農作物を売るお店へと足を向けた。



(ここか)

 大きい駐車場を備えたその店は、東京の外れを思わせるぐらい広々としていて、地元野菜を中心に、お惣菜やちょっとした食品も置いてあり、厳選したつもりだったが、たちまちカゴいっぱいになった。


 レジを済ませ、大きめのリュックにそれらを入れ、肩にかけた時だった。

 一台の軽トラが滑る様に入って来て、店舗の横の関係者用の駐車場に停車した。運転席のドアが開き、鮮やかな青のツナギの作業服が目に飛び込んで来た。

「あっ」

 手際良く台車に野菜の入ったケースを積んでゆく、作業服を着たその人は、まぎれもなく、すみれだった。


『すみれっ!』


 思わず心の中で叫んでいた。

 もしかしたら、声はこぼれていたかもしれない。けれど、私は二人の間を隔てているガラス窓に気づき、そしてすぐにホッとしていた。

 会いたくて、会いたくない人だった。


 すみれが、台車を押して店内に入って来ると、反対側の入り口から私は外へ出た。

 懐かしさで、胸がいっぱいだった。

 でも、どうしても会いたくない気持ちの方がまさっていた。八年では、まだ覆い尽くして癒せない疵痕きずあとだった。

 それでも、心のふたが開いた瞬間、いろんな感情が溢れ出した。


 涙が、とめどもなく流れた。


 ハンドタオルを手にして、目頭に何度も当てた。

(やばい、止まらない)

 私は隣接する公園に水飲み場があったことを思い出し、ゆっくりと足を向けた。



 タオルを濡らし、目元を拭い、大きく息をついた。

 少しだけ、落ち着いた。

 時だった。

「大丈夫ですか?」

 背後で声がした。

(えっ)


「ご気分……優れないんですか……?」


 懐かしい声だった。

 ああ。

 私たちはまた出会ってしまった。

 そして、私はまだ嘘つきかもしれなかった。


 ゆっくりと振り返った私に、いつかのようにすみれは悲鳴の様な声をあげた。

「あっ」

「久しぶりだね、すみれ」


 私は心のどこかで。

 足掻く様に、祈る様に。

 すみれ、あなたをただ、求めていたんだ。

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