恋が愛にかわるまでに
【全五話】
第1話
-A高校 卒業式後-
「まるで追い剥ぎに遭ったみたいやな」
職員室で紅茶をすすっている私に、担任だった遠藤先生が、ベンチコートを羽織り掛けてくれながら笑った。
「どうも」
私はぺこりと頭を下げた。
私は、制服もバッグも、持ち物のほとんどを下級生にねだられ、ひと昔前のデザインのジャージを着て、親の迎えを待っていた。
「ま、ゆっくり待っとけ」
言い残し、先生が去ると、入れ替わるように入って来たのは、親友の月丘すみれだった。
「あ、すみれ」
「…探したじゃん」
なぜか不機嫌そうな彼女も、自前であろう、ジャージを着ていた。
「あ、やっぱすみれも?」
そして、大きく息を一つつくと、
「コウキ、私とつき合って。もしも無理なら親友やめる」
そう言い放ち、
「一分待つから考えて」
壁に掛かった時計を振り返った。
「エッ」
突然のことに私はパニックになり、一回パイプ椅子から立ち上がり、また座ると、手にしていたカップを
「えっと、それって、恋人同士…的なやつだよね?」
「十秒……」
(いやいやいや、囲碁の秒読みかよ)
すみれは本気だ。
いつになく緊張した彼女の表情がそれを物語っている。
「え、えっと……、ええー…」
私は頭を抱えて思案した。
すみれとは中学からのつき合いで、運動バカな私と違い、文武両道、そして気品のある顔立ち、歩き方、どれをとっても完璧なまでに美しかった。
地黒でベリーショートの私と並ぶと、色白で腰まである長い髪のすみれは、まるでどこかの国のお姫様のように映った。
「三十秒……」
彼女は容赦無く秒数を数えてゆく。
「……わ」
私は決心した。
「わかった。つき合って!」
立ち上がると、すみれを抱きしめ、そう叫んでいた。
「いいの? まだ二十秒あるよ」
「いい」
私より少しだけ低い、彼女の肩に耳をあてるようにして囁いた。
あの時の。
あの選択は、きっと間違っていなかった。
私の傍らでスヤスヤと眠る彼女の横顔を見て、改めてそう思っていた。
あれから3年が
「無防備」
「んん…」
すみれは、私の声に反応したのか、体を横にし、背を向けた。
一緒に暮らし始めて意外だったのは、私の方が家事全般出来たこと。しかも、性格もすみれの方が大雑把で男っぽかった。取り込んだ洗濯物もすみれがたたむとしわくちゃで、料理なんてお話にならないほど酷かった。
「もう、7時だよ」
彼女のおでこにキスをして、ベッドから出た。
「でね、うまーく残業逃げるのよ、彼女たち」
朝食の間中、すみれの仕事の愚痴を聞く。
働くというのは本当に大変みたいだ。彼女の話を聞くたびに、心底いつも思う。
やがてすみれの話が一区切りした時だった。
「次の遠征なんだけど、ちょっと移動が遠くて3日くらい帰れないんだけど、すみれ、実家帰る?」
今度は私が切り出した。
「え、ウソ」
「うん。どうする?」
この頃私は卓球での実業団入りを本気で考えていた。ケガとは無縁の健康体で、優勝は出来ないものの、毎回3位内に入賞し、成績はまずまずだった。
「いいよ。荷物整えるの、めんどくさい」
「そう?」
「うん」
お互い、実家は歩いて30分くらいのところにあるが、めったに帰らない。一緒に暮らして一緒にいることが、もう普通というか、このアパートの方が、ほっとするようになっていた。
3日後、私はすみれに見送られて家を出た。
「お疲れ様」
「ねえ、今日の大会ってこの時間だと3時には終わるんじゃない?」
ガシガシとタオルで汗を拭いながら、私はあやかを見上げた。
「そうだよ」
「帰るの?」
「バス用意してあるしねえ。いや、朝も言ったっしょ。残るのは練習の希望出した2年だけだって」
「うそ」
「聞いてないんだねぇー」
「そっかぁー、何だ。1泊2日なのね、うちら」
「表彰式あっても、6時には東京着くよ」
そう言い残し、あやかはまた忙しそうにダブルスのコ達の方へ、歩いて行ってしまった。
(なあんだー。じゃあ、ライン送っておけばいいや)
3位入賞。
いつも通りの、いつも通りな、まずまずな成績だった。
そして体のドコも痛めていない。
(私の中の予定より)1日早く二人のアパートに帰ることも重なって、私は子供みたいにはしゃいで喜んでいた。
私は単純で。
世間知らずで。
恋も、すみれのことも、何も理解していない、ただただ凡庸な大学生だった。
(あれ?)
アパートの敷地に足を踏み入れた時だった。
部屋の明かりがついているのに気づいた。
いつも7時すぎに帰るすみれが、この日に限ってすでに帰宅してるようだった。
私は結局、帰省が1日早まったことを、ラインで彼女に送らなかった。いや、送ろうとしたけれど、もう充電がヤバイのに気づき、『まぁいっか、たぶん私の方が早く家着くんだし』と、呑気にそう思い、家に戻ってから送ろうか、などと考えていた。
「———」
「———」
(ん?)
台所の格子窓にうつる影が揺れた気がして、私は階段の下で足を止めた。
二つ。
影は、確かに二つあった。
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