第2話

「ヒドイでしょぉ〜〜、ヒドイよねぇー」

「そ、そうですね…」

 いつもの理知的な瞳子の面影など微塵みじんもない。

「あーらめ〜〜、けいごぉ—」

「あ、うん、そーだね、課長そういうトコあるよね」

「じゃあ、イイコイイコして」

 私のももに頰をのせて、瞳子が私の腕を取った。

「……イイコイイコ。瞳子悪くないのに、我慢して偉かったね」

「……うん」


 子供を通り越して幼児のような彼女を見ていると、いつもとは違った母性のような感情が湧いてきた。


(そーだよね、私が甘えられてもいいんだもんね)


 彼女の髪を指で梳いていると、気持ちよさそうに瞳子が瞳を閉じた。

「ねえ瞳子、キスしてもいい? 私、ずっと瞳子のこと好きだったの。でも瞳子、結婚しちゃって、ずっとずっと心にフタをしてたんだ……」


「ろこにすんの?」

 瞳子がパチリと瞳を開け、そして私を見上げた。

「じゃあ…まずは頬とか?」

「らめ」

「じゃあ髪は?」

「もっとらめ」

「手」

「らめ」

「じゃあ、どこならいいのっ」

「ちすって言ったら、くちでしょーが」

 起き上がった瞳子が、がばっと私の頬を両手で掴むと、唇を押し当ててきた。


(…エエッ⁉︎)


「ちすしたったぁー。これでゆずきは私のものですよーだ」

 そう言って、再び彼女は私の腿に頬をつけて、今度は私のお腹の方へ向き直り、

「全部、私の」

 なぜかそこだけはハッキリとした滑舌でそう言い切り、そこで彼女の限界が来た。

 小さな寝息をたて、深い眠りへと落ちていった。

 私は。

 まだ唇に残る、瞳子の唇の感触の余韻に身を委ねていた。

「しちゃった……。瞳子主任とキス…」




 -翌朝-


 昨夜の残りのピザとコーヒーで朝食を取っている時だった。

「で、どうすんの? 私の醜態見たんでしょ」

 手についたパンくずを払いながら瞳子が私を見つめた。

「えっ」

「それでもつき合いたいって思う?」

「ええっ」

 もう、えっしか出て来ない。


「好きなんでしょ? 私のこと。いつからかは知らないけど」

「全部…知ってて…?」

「まあね。後から『こんなひとだと思わなかった』とか言われても、こっちも困るんだよ。だから私のほとんど全て見せたわけ」

「じゃあ、つき合いたい。私、瞳子の全てを見ても気持ち、変わらなかった。むしろ、弱いトコがあってほっとしたっぽいくらい」

「え? マジで?」

 今度は瞳子が驚いていた。


「んじゃ、まあ、いいけど…。でも青井、何でアンタ私にタメ口きいてんの? 名前も呼び捨てだし」

「えっ、だって瞳子……が敬語やめろって言ったんじゃん。まあ名前で呼んで欲しいって言ったのは私だけど…。けど、あの時まだ全然飲んでなかったのに、覚えてない…の?」

「うん、全く。だから私、外では飲んでないでしょ。お酒は家でケアしてくれる人が居なきゃ飲まないことにしてんの。前に友人から動画観せられて、血の気引いたわ」


 瞳子がお皿を持って立ち上がる。

 私も自分のお皿をキッチンへ運び、瞳子の後ろから、その細い腰を抱きしめた。

「私、瞳子さんが大好きです。昨日瞳子さん、私にキスしてくれましたけど、勢いとかお酒の力を借りてとかそういうのではなく、素のままのあなたと向き合って、それでそういう恋人同士みたいなこともしていけたらって思っているんです」

「えっ⁉︎」


 瞳子が水道の水を手の甲でキュッと止めた。

「私、アンタにキスしたの?」

「はい。どっちかって言ったらそうですね。でも、それも私がしたいって言ったんですけど…」

「じゃあ、わかった。たぶん私、青井のこと好きなんだわ」

「えっ?」

「どんなに酔ってても、好きじゃないヤツにはキスしないの。友人でも、友だち止まりな人には男女関係なくしない。キスした人と後々つき合ってるんだわ。ま、その分析も動画撮ってくれたコが教えてくれたんだけどさ」


 振り返った瞳子の表情は、それまで見たことのない、もう一つの乙女のような可愛らしいものだった。


「いいよ。つき合お。よろしくね、青井…じゃなかった、ゆずき」

 こうして私たちはめでたくつき合い始めた……のだけれど。



 -Aマンション-


「もー、今日初めて結ばれる夜にしようって言ってたのに何でまた飲んでるんですかぁー」

 私がシャワーを浴びて、バスタオルを巻いて出てくると、なぜかヘルメットを被って缶ビールを手にした瞳子がソファの上で正座していた。

「ちんちょーしたって……エヘヘ、ゴメンね」

「もおー!」


 三回トライして三回失敗。

 シラフの時の瞳子に尋ねたら、

「こんなに誰かを好きになったの初めてで、緊張しちゃったの。ごめんね」

 そう言って給湯室で抱きしめられて、その場で私がお湯になっちゃった。


「カワイイ下着だったのにねぇ、残念だねぇー」

 ぺらんとバスタオルの裾を瞳子がめくって笑った。

「次こそ飲まないで下さいね」

「ハイッ、でも、けいごはやめて下さいっ」

 瞳子が私に敬礼をした。


 ふふっ。

 あーあ、また笑って許しちゃった。


 ずりずりと、どこかから出してきた毛布で、瞳子が私を包み込むように抱きしめた。

「ごめんちゃい」

 そして私の肩に頭をもたせかけてきて、そのまま彼女はを閉じた。

「いいよ。楽しみが先に延びただけだもん。それに……」

 私は言いかけてゆっくり立ち上がると、瞳子の前へ立ち、眠れる美女の少し色づいた唇に、何かを尋ねるように腰をかがめてキスをした。


 今は胸をはって言えるの。

 私があなたを好きなほどに、あなたも私を好きでいてくれているって。




                完

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