百合の花束
a.kinoshita
主任の背中
【全二話】
第1話
「えっ」
コーヒーカップを持ったまま、私は台所の母を凝視した。
「本当みたいよ。玉の輿だって、持田さん喜んでたのにね」
「………」
朝っぱらから聞いた母の話は、いつものご近所の愚痴や野良猫の類ではなかった。
いや。
母にしてみれば、いつも通りの話をしたに過ぎない。
『となりの
その、母が軽々しく口にしている瞳子ちゃんなる人物は、私の会社の先輩で、直属の上司にあたる、主任の広瀬瞳子その人だった。
その日一日、私はコピーを取りながら、チラチラと瞳子さんを盗み見た。
上からフロアを見て、数字の11の形で並んでるヒラのデスクの上座に、こちらを向いて、主任である瞳子さんのデスクがある。
サラサラの髪が肩のあたりで跳ね、意思の強そうな、理知的な容貌をしていた。
私は。
私は、入社以来、密かに瞳子さんに憧れを抱いていた。
でも、彼女が結婚をして、苗字が変わった瞬間、その気持ちを封印した。
(けど)
今は違う。
手を伸ばしたら届きそうな所に、彼女は来てくれた。
給湯室で紅茶を淹れながら、私は決意した。
「よし!言おう!瞳子さんに伝えよう!」
「何を?」
ブワッと振り返ると、そこに瞳子さんが立っていた。
「私にも淹れて。私も紅茶でいいから。で、私に何を言うの?」
愛用のカップを私に差し出しながら、瞳子さんが迫ってきた。
(ヤバイ)
どうあっても言い逃れ出来ない状況が、私を猫に壁ドンされた鼠に変えた。
「好……、いや、まだ早いか…。じゃあ、えっと、私と…、一回とりあえず、デートしてくれませんかっ」
私は、カップごと、瞳子さんの手を握った。
「私が?青井と?別にいいけど…」
「えっ本当に?」
「デートとかよくわかんないから、ウチに来て飲むのでいい?いろいろ聞いてんでしょ、オバさんから。マンション、まだ解約してないんだ。こっから歩いて3分だし」
「えっと…ハイ、大丈夫です」
ここでいろいろ言ってダメになる方がマズイ。
「じゃあ今日仕事少ないし、今日来なよ。急すぎる?」
「いえ、ぜひっ‼︎」
-A マンション-
「マジ⁉︎ ここですか……」
「そう」
管理人さんに一礼して二人でエレベーターに乗り込んだ。
(億ション…)
エントランスだけで、実家の団地の一棟分より広かった。
「その辺座って」
私と自分のコートを掛けながら、瞳子さんが言った。
大きめのソファが逆コの字に配置されていて、三十畳ほどのリビングと、奥に一段高くなった畳のスペースがあった。
「わっ畳なんだ」
トコトコと側に行くと、小さいコタツまであった。
「そ。カッコつけて言ったけど、普段はそのコタツで一人で丸まってんの。寂しいとカーテン開けて外眺めたりして」
「えっ」
「知ってんでしょ。いいよ、実家隣同士なんだし、すぐわかることだから。離婚したんだわ、最近。でも、このマンションは私が貰ったの。売るか売らないか考え中。でも、あの実家にずっと居れないし」
瞳子さんは話しながら、手際良くワインやピザを温めて、ソファの前のガラステーブルに並べていった。
「それより、いいの? 外泊」
「あー、瞳子さんとこに泊まってくって正直に言ったら、むしろ機嫌良くOKでした」
「そっかー。そうかもねー」
瞳子さんの揺れる唇を、私はじっと見つめていた。
私達は幼馴染ではない。
私が小学生の頃にあの団地を購入して住み始めたが、瞳子さん家族はそれから数年して引っ越して来た。
五歳年上の瞳子さんはすでに高校生で、挨拶くらいしかした事が無く、私の中では、ただ『隣のキレイなお姉さん』なだけだった。
しかも、転勤族だった瞳子さん家族は、団地をそのままにしてまるで別荘のように使っているだけだったから、正直、会社の面接で気づくまで全く瞳子さんのことなど存在として意識したことなど無かった。
(それが今や…)
「ん?」
ワイングラスに
「いえ、別に。あ、それより、今日だけデートなんで、青井じゃなく、下の名前のゆずきって呼んでくれませんか」
お酒を飲んでいたからだろうか。私はかなり大胆になっていた。
「いーよ、ゆずきね。じゃあ、私も言うわ。敬語やめて。自分が30歳の職場の上司って再認識させられんの。さんもやめて」
「いい…よ、わかった」
私は頷いた。
……のだけれど。
-1時間後-
「でねぇー、課長がねぇ、自分でやったミスなのー、なのにねぇ、『広瀬がやりました』とか言うのぉ〜〜ヒッドくな〜〜い」
誰?
私の膝に
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