第5話 妖精のとまり木亭

 町外れの入り江。見張りのために作られたのだろうか、そこには2階建ての小さな砦があった。

 入り江に突き出した形で建てられているそれは、長年放置されていたせいだろうか壊れている場所が見受けられる。

 だが、それを補強するかのように大きな樹が覆い被さっていて、樹木と融合したその様がまた幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「どう? おにーちゃん。すごいでしょ」


 言葉を失ってい立ち尽くす俺に、傍らの少女――十才にも満たないくらい――が語りかけてきた。

 満面の笑みを浮かべている。


「ああ」、そう答えようとするが、同時に俺のおなかがぐぅと鳴り、その言葉をかき消した。


「も~、まだおなかがすいてるの? さっきユエのクッキーあげたばっかりなのに」


 ユエちゃんが腰に手を当て、頬をふくらませる。


 そうなのだ。町に戻ってすぐ、空腹で倒れそうになった俺を見かねて、彼女がクッキーを分けてくれたのだ。

 どうやらこのゲーム、空腹値が設定されていて、定期的ものを食べないといけないらしい。

 しかも、激しい動きをすると腹の減りも早くなるという仕様だ。

 いやまあ、当然と言えば当然なんだが……。


「おにーちゃん? ぼーっとして、そんなにおなかすいたの?」


 ユエちゃんはこちらをのぞき込むように見上げ、「仕方ないなぁ」とつぶやくと、俺の手を引いた。


「それじゃあ早くお父さんにご飯作ってもらお」


 そう言ってユエちゃんは砦の扉を開けた。「妖精のとまり木亭へようこそ」の言葉とともに。




 妖精のとまり木亭。その内装は、砦めいた外観とは違いしっかりと食堂の体をなしていた。

 いくつかのテーブル席にカウンター席。その奥には厨房、そして階段が見える。

 砦に融合するように生えていた樹が中にも張り出してきているが、それがまた一種の味を出している。

 ただ客はおらず、カウンター席に案内された俺は、一人ぽつんと座っていた。ユエちゃんは二階に上がっていっってしまったのだ。

 外観から察するに砦を改装したであろう店内は存外に広く、それがまた心細さを助長させる。

 飾りらしいものもそんなにはない。せいぜい壁に銃と細剣が交差して飾られているくらいだ。

 開拓の前線であるこの町らしい飾りともいえるだろうが、それだけしかないとなると、余計な物寂しさを感じさせる。


 ――ドスン。


 キョロキョロとあたりを見ていた俺の目の前に皿が突き出された。

 その上にはパン。そして一口サイズに切り分けられた大きな、それこそ500円玉ぐらいの太さはあるだろうソーセージに、茶色いケチャップソースをかけたものがのっている。

 これを差し出したのは、ひげ面のおっさんだ。体格もごつく、皿を持つ手なんて俺の太ももくらいはゆうにありそうだ。


「娘が男を連れてきたから何事かと思ったら、腹すかせた客かよ。ったく……、今日は忙しくて店休みにしてたからな、こんなもんしかだせねえぞ」


 おっさんはガリガリと頭をかいた。


「あ、でもお金が……」


 逡巡する俺の頭を、おっさんがぱしりとはたく。


「あほう。ユエが連れてきたんだ、こんなんで金取ろうとは思っちゃいねえよ。いいからさっさと食え」

「あ、はい。いただきます」


 おっさんに促されるままに料理に手を出す。まずはソーセージだ。

 口に入れると、ケチャップの上にかけられているカレー粉の風味が広がり、その後にケチャップの酸味が舌を刺激する。

 だがソーセージだって負けてない。カリカリに揚げられたソーセージの皮はパリッとしていてかみ応えもあり、肉忘れんなよ!、とばかりにそのスモーキーな味わいを主張してくる。

 そんな個性的な二人をまとめているのがタマネギさんだ。小さく刻み炒められたタマネギがケチャップに混ぜ込まれていて、その甘みがこいつらをまとめ上げている。

 うまい、うますぎる。

 ただ惜しむらくはソーセージの量に対してケチャップソースの量がかなり多めなことか。これではどうやってもケチャップが余ってしまう。

 このタイプの食事では、ソースは多めにつけているものだろうが、それにしたってちょっと多すぎではないだろうか。

 ……いやまてよ。そうか、そういうことか。

 おもむろにちぎったパンにケチャップをつけ口に運ぶ。思った通りだ、うまい。なるほど、このための多めのケチャップか。


「…………」


 ふと視線を感じて顔を上げると、おっさんがこっちを見ていた。


「えっと俺、おじさんに見つめられて喜ぶような趣味は無いんで、困るんですが……」


 ごつり。

 今度はげんこつが落ちてきた。


「あほう。俺にだってそんな趣味はねぇよ。だいたい俺はおじさんじゃねえ。一応まだ20代だし、ガンツっつー名前もあるんだ、覚えとけ」


 ……いや、そのひげ面で20代とか詐欺じゃないですかね。しかもさっきユエちゃんのことを娘って言ってたよな。あの子とおっさん、もといガンツのおっちゃんがおんなじ遺伝子を持ってるとかありえんだろ。

 ……待てよ。ユエちゃんは奥さん似だと言うことはないだろうか。幾分業腹ではあるが、それだとなんとかつじつまは合う。


「なんでぇ、なんか言いたそうな目じゃねえか」


 おっちゃんが再度拳を振り上げている。


「いえ、なんでもないです」


 マジで痛かったから勘弁してください。HPは減ってないのに、芯に響く痛さがあるとかどういうことだよ。

 拝む仕草の俺を見て、おっちゃんはフンと鼻を鳴らした。


「……今回は勘弁してやる。まぁおっさん云々はともかく、やけにうまそうに食うと思ってよ。見てたわけさ」

「いや、実際においしいんだから仕方ないじゃないですか。あ、でも……」


 俺は口ごもる。


「なんでえ。なんかあるなら言ってみな」

「いや、一つ欠点があるなら、ビールがないって事かなっと……」

「はっ、なるほど。ちょっと待ってな」


 破顔一笑。おっさん、もといガンツのおっちゃんは店の奥へと歩いて行った。

 いやほんとにね。この料理おいしいんだけど、無性にビールが飲みたくなる。むしろこの料理ってご飯のお供って言うより完全に酒のあてだよね。


 そんなことを考えていたらおっちゃんが戻ってきた。手にはジョッキが二つ。それはあふれんばかりの白い泡で満たされている。

 ビールだろうか。


「ほらよ、特別におごってやる。一杯だけだけだぞ」


 ごとりとジョッキを一つ、目の前においてくれた。


「ありがとうございます。あ、ちなみに手に持ってるもう一杯は?」

「あほう、こっちは俺の分だ」


 俺の問いに笑いながらおっちゃんは答えてくれた。


「はは、ですよね。それじゃあ、ありがたくいただきます。乾杯」

「おう、乾杯」


 ガチリ。


 ジョッキを合わせ、ぐっと飲む。

 鼻に抜けるフルーティな香り。そして広がるすっきりとした苦みが口の中を洗い流していく。

 ソーセージを口に含む。

 再び広がる香辛料と肉の味わい。肉を噛みしめ嚥下すると自然にジョッキに手が伸びる。

 やばいぞこれは、手が止まらない。ビア・ブルスト・ビア・バゲットのエンドレスループだ。

 肉が、パンがビールを飲めと促し、ビールが肉を食えとせっついてくる。


「――――あ……」


 気づくとビールもソーセージもなくなっていた。しかも皿の上はまるでなめたかとでも言うように、ケチャップも含めてきれいに拭われている。


「ははっ、まったくいい食いっぷりだったぜ。なにせ話しかけようにもその隙が全く見当たらなかったぐらいだからな。料理人冥利に尽きるってえ奴だ」


 おっちゃんは腕を組み笑った。


「いや、ホントおいしかったですから。この料理とビールのコラボレーションがたまらないですよ。ごちそうさまでした」


 改めて頭を下げる。

 いやあ本当においしかった。食べてる間はここが仮想空間だっていうことをすっかり忘れてしまってた。

 最新のVRゲームっていうのは、本当にすごいんだなぁ。

 何しろ、リアルでは夕食を食べたばっかりだったっていうのに、こちらでは全くそれを感じない。

 体感時間はともかく、現実ではそんなに時間はたっていないだろうに……。


 時間といえば、エルがキャラメイクの時に気になることをいってたな。たしか、外部時間で3時間、内部時間で2年だったか?

 さすがに誇張はあるだろうが、現実と内部の時間の流れに差があることは間違いないだろう。少なくとも10倍の差はあるはずだ。

 まあこれにつては後でフジノキにでも聞いておこう。心のToDoリストにメモっておかないとな。


「さて、落ち着いたところで、ちぃと話いいか?」


 おっちゃんは居住まいを正した。まぁ、右手のジョッキには新しいビールがなみなみとつがれているんだが……。

 俺はそんなおっちゃんに対し、いいですよと答える。


「そうか。いやなに、難しい話じゃねぇんだ」


 そう一言おいて、おっちゃんは聞いてきた。


「なんでおめえ、初日から腹すかせて行き倒れかけてんだって、不思議に思ってな。ユエが気づかなかったら町に入ったところで行き倒れてたかもしれないっていうじゃねえか。おめえは今日この大陸に着いたエインヘリヤルなんだろう? だったら開拓使庁舎で飯食わせてもらえるし、宿舎だって用意されてるはずじゃねえか。まさか飯も忘れて遊んでたわけでもあるめえし」


 いえ、まさにその通り。空腹度のことを忘れて、何も用意せずに外に出てました。

 ――なんてことは口に出せないので、「それがですね……」と、開拓使庁舎であったことを話した。


「なるほどねぇ」


 おっちゃんは髭をしごいた。


「まぁ開拓使の連中のいいたいこともわかるぜ。戦闘クラスのないエインヘリヤルが魔物と戦いに行くなんて、自殺しに行くようなもんだわな」

「確かに……。昼間実感しました」

「だろう? だから開拓使は無理にでもクラス取得の方向性を決めるようにしてるんだと思うぜ。ま、過保護な長官の考えそうなこった」


 長官……?

 ああ、港で演説していたコルネリウス長官のことか。確かに、開拓使からあぶれた人に自費で支度金を用意したりと、過保護なのかもしれないな。


「で、おめえさん。これからどうするつもりだい?」


 おっちゃんが、ぐいと身体を乗り出し聞いてきた。


「こ、これからとは?」


 のけぞるようにして答える。


「いやさ、戦闘クラスがないとつらいってのは今日わかったんだろ? これから転職して戦闘なり生産なりに特化させるかって話よ」


 ああ、なるほど。そういうことか。

 それならもう決まっている。


「いえ」


 俺は首を横に振った。


「ほう、なんでだ?」


 おっちゃんが俺を試すような目で見る。


「いや、そんな強い信念とか理由があるわけじゃないです。ただ単純に意地というか……。だって悔しいじゃないですか。せっかく自分で選んだのに、それが無駄だったってなるのは」


 ここで転職するくらいなら、エルに言われた段階で変えてた方がましだ。

 馬鹿なことだ、効率が悪いことだってのはわかってる。でもまあベータの間くらいは意地を張らせてもらいたい。


「地雷スタートでも英雄ヒーローになれるって証明してやりますよ」


 初代のゲームの主人公の台詞をまねて言ってみた。ヒーローになりたいっていうのが口癖だったからな。

 それを聞いておっちゃんは笑った。


「くっはっは。なんだそれは、伝説の英雄のまねか? はっはっは」


 いや、そんなに笑わないでもいいじゃないか。

 自分でもちょっと青臭すぎると思ってるんだ。


「いや、そんな顔をするんじゃねえよ。俺は気に入ってるんだぜ」


 おっちゃんがバシバシと肩をたたいてくる。

 地味に痛い。


「昔はな、おめえみたいに自分の選択に誇りを持って突き進む奴も結構いたらしいんだわ。もちろん失敗する奴も多かっただろうし挫折する奴もいた。でもな? 中には大化けする奴もいたんだ。だけど今はな……」


 おっちゃんは腕を組みうなった。


「別に安定志向が悪いわけじゃないが……。どうにもみんながそうだとな。なんつーかこぢんまりしてていけねぇや。ま、俺はおめえの選択を応援してやるよ。応援ついでに弁当くらいなら作ってやるから、明日から持ってけ」


 おっちゃんはそっぽを向きながら、そう言った。


「え? でもそれって……」

「何度も言わせんな。俺も昔はエインヘリヤルだったんだ。そのよしみだ。おめえが軌道に乗るまで屋根裏くらい貸してやるし、仕込みついでに弁当作ってやるっつってんだよ」


 おっちゃんが俺の頭をはたく。

 チラリと見えたその顔は赤い。決して酒だけのせいじゃないだろう。


「今、かみさんとユエが屋根裏片付けてんだからちょっと待ってな」


 さすがにそれはと言いよどむ俺に対しおっちゃんはさらに続けた。


「おっと、勘違いするんじゃねえぞ。もちろんただじゃねぇ。対価はもらう。とはいえ、使ってない屋根裏だ。安くしといてやるよ。何なら取ってきた肉とかの現物で払ってもいいぞ」

「それはその……、ありがとうございます。お言葉に甘えます」


 俺は頭を下げた。

 おっちゃんはそれでいいんだとばかりに、うんうん頷いている。


 だけど本当にありがたい。

 昼、町を出る前に軽く一巡りしたけど、宿屋らしきものは見当たらなかった。最悪テントでも買って野宿しようかと考えていたところだ。

 おっちゃんと、あと俺を拾ってくれたユエちゃんには感謝だな。

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