第42話 鬼哭啾々
『大変だよね、こういう主人公って』
それは汐里に、読み終えたライトノベルの感想を話している時のことだった。
晶は学生モードながら率直な感想を口にする。頭には描かれたイラストのキャラクターと、また現実世界に生きる佐崎京助の姿が浮かんでいた。
『たくさんの女の子に囲まれて、好かれて……その誰しもを幸せにしなくちゃいけないんでしょ』
それは晶からしてみれば途方もない話だった。
汐里に明かすわけにもいかないが、彼は自身の境遇を思えば、たった1人でさえ幸せにできる自信も湧かないというのに。
『もしも現実にこんな奴がいれば……って、いるわけないか。創作だしね』
佐崎京助にはそんな力が備わっているのだろうか、とそんなことを思いつつ晶は苦笑する。
ちょうど菫を傷つけたかもと不安に思っている時だ。彼も随分と弱気になっていた。
そんな彼の心労を察したのだろう。汐里はほんの一瞬驚いたように目を見開き、しかしすぐに柔らかで控え目な、彼女らしく他者を気遣う笑顔を浮かべた。
もちろん、具体的に彼に何があったかには届く筈もないが、それでも――
『そんなこと、ないよ』
彼女は自分の言葉で、そう語り掛ける。
『別に彼には、彼を慕う全員を幸せにしなくちゃいけない義務なんかないと思うな。結末を話しちゃうとネタバレになっちゃうけど、でも、彼は誰か1人だけを選んでもいいと思うし、それこそ全員を選んでもいい……後の方は現実的に考えたらアウトかもしれないけど』
もしも現実にいれば、という言葉を汲み取って、そう苦笑する汐里。
そんな彼女の言葉を、晶はただ黙って聞いていた。
『役割なんて、誰にも無いと思うんだ。例えばそうだなぁ……その小説の作者さんもその作品を、ううん、そもそも小説家にならない可能性だってあったと思うんだ。もしもその作品が世に出なければ、私達はそんな世界を当然に生きて、けれど、今みたいにこうやって話せることは無かったかもしれない』
『そう、かもな……』
『だからね、たとえ誰か1人の手によって描かれたストーリーでも、その結末は必然じゃないんだよ。その時の作者さんの心境とか、好みとか、読者さんの反応とか……色々なことが重なって、偶然紡ぎ出された物語が本には詰まってるの。だから、主人公だって1人の女の子を選んでいいし、全員を幸せにしようと欲張ったって良くて……それは義務なんかじゃなく、主人公だけじゃない、誰にも与えられる権利なの』
汐里は興奮したように、早口に前のめりでそう熱弁する。
眼鏡のレンズの奥でキラキラ光る瞳にほんの少し圧される晶だが、しかし、その熱に当てられたのか真剣に聞き入っていた。
『私、本が好きなの。だって、この世に出ている本の全てが偶然でできていて、少しでも違えば、この世に存在していない筈のものだから。あの日、持ち込まなかったら。あの日、本を書こうとしなかったら。いくらでもこの本が存在しない未来が有り得た筈なの。それほどのものが、私の人生全部を使っても読み切れないくらい沢山、今も、この世に現れ続けてる……そして、私が出会えるのもまた偶然で……だから、ええと……な、なんか変なこと語っちゃったね』
『いや……そんなことないよ』
『だって、こんなこと本だけじゃない、何にだって言えるもの』
『そうだな。なんにでも、言える』
この世に主人公は無く、全て偶然が生み出したものである。
それは常識であり、当然であり、しかし人はどうしたって必然を、それが存在する意味を求めてしまう。
そんなもの、本当はどこにも、何にも在りはしないのに。
そしてそれはきっと晶自身にも当てはまるのだろう。
彼はまだ、そのことをほんのひとかけら、可能性を小指の先程度拾ったにすぎないが、それでも、こうして汐里と話すことが無ければ得られなかっただろう気付き――偶然の産物だ。
なぜ、今この状況で、そんな汐里とのやり取りを思い出したのか、晶にははっきり分からない。
ただ、ようやく、汐里との会話が腑に落ちた気がした。
菫のことや、自分の宿命や――様々なことに気を取られ、思考を塞がれ、本当の意味で受け止め切れていなかった彼女の言葉が、ようやく心に染みたのかもしれない。
この青空の下で、菫が闇から解放され、一姫と桜花も守られ、そして今、退魔師としての自分として、妖魔と対峙している。
命を取るか取られるかのこの状況において、晶の思考は限りなくクリアになっていた。
「はああああああああああっ!!」
彼を退けようと妖魔がまたもや触手を伸ばす。
その全てを、晶は容赦なく切り飛ばした。彼自身も、そして当然彼の背後でその姿を見守る3人も、傷つけさせるつもりはない。
(俺はヒーローじゃない。それでも――)
それは与えられた役割なのかもしれない。
しかし、今の晶を作り出した、もう消えてしまった過去の晶が自ら定めた道でもある。
そして、消えていった記憶に報いるために、剣を取ることを決めたのは今の自分だ。
だからこそ、菫は解放された。
だからこそ、彼は今の彼の世界を守れる。
その事実が、彼の身体をこれ以上なく軽くする。
『――――ッ!!?』
晶が刃を振る度、巨大な妖魔の身体に亀裂が走る。
(全ては偶然だ。けれど、俺がここにいることで生まれる意味もある。そして、俺には今、確かに妖魔を殺したいという意思がある)
それだけで十分だ。
今、五条晶という退魔師が刃を振るう理由にはこれっぽっちも不足は無い。
「少なくとも……くくっ、そうだな。ラブコメ主人公の真似事をするよか、よっぽど俺向きだ。分かりやすくていい」
まるで寝起きのいい朝、つい鼻歌を歌いながら散歩するご機嫌さで晶は完全に、妖魔の動きを封殺する。
菫の悪感情を喰らい、巨大に成長した妖魔だ。
もしかしたら菫から人間を学び、喋りもするかもしれない。
だが、それを披露することは叶わない。
仮に真の力や、第二の形態や、最後の切り札を隠し持っていようとも――今、晶と対峙する妖魔は指一本動かす余裕さえ与えられていない。
赤子の手を捻るよりも圧倒的な、それほどの差が両者の間にはあった。
「あの男は、俺を戦場で叫ぶ鬼だと評したけれど……ああ、確かにそうかもな」
最後、叩きつけるように刀を振り抜いた後、ガクガクと震える妖魔に背を向け、言い捨てる。
妖魔の身体は、最初腕を吹っ飛ばされた以外は、身体に無数の線が走っているだけ。綺麗に見える。
対し、晶は菫を守る際に流した血がまだ固まってもいない。この幽世では、休めば傷が癒えるなどという理屈も通用しないのだが。
「お前は叫ぶことさえできない。そんな余裕さえ、与える気はない。つまり、叫ぶのは俺だけってことだ。馬鹿みたいに、たった一人でな」
遠くから、一姫と菫が心配そうな眼差しを飛ばしてくる。桜花はただ呆れたように肩を竦めていて。
そんな彼女たちの反応を見つつ、晶は口角を上げた。
「さようなら。名も無き妖魔くん。この幽世と共に、塵一つ残さず消え失せな」
もしかすれば、この妖魔にも名があったのかもしれない。ただ名乗る機会を与えられなかっただけで。
これも偶然の結果だ。
もしも、この妖魔が彼の全く知らないどこかの誰かを依り代とし、ここまで成長を遂げていたら、菫と同様に、その心の闇を晴らせたかは分からない。
そもそも京見ヶ浜に妖魔が集まりやすいという土地柄は無視できないが、それでもこの五条晶の前に現れさえしなければ、こうも何もできず、何にも成れず、出来損ないの肉塊のような姿で死を迎えることはなかっただろう。
しかし、五条晶という退魔師に敗北は無い。
それは偶然が積み重なり、いつしか必然となった。
そして今日も、その必然は揺るがない。
晶はいつの間にか腰元に現れた鞘に慣れた所作で刀を修める。
彼を知る同業者たちは――あくまで一握り程度しかいないが、それでも彼らにとってこの姿は印象的なものだった。
実際、その数少ない1人である桜花も、まるでショーケースを前にした子供のようにキラキラと目を輝かせている。
なぜなら晶の戦いはいつも一瞬だ。雑魚も、親玉も、すべて簡単に切り捨ててしまう。
だからこそ、この最後の姿が強く目に焼き付く。
そして、このどこか儀礼的で、物悲しさのある精錬された所作こそが、彼の二つ名の由来だと信じる者も多い。
妖魔は苦しみの底に沈み、幽世には静寂だけが残り、そして――
――キンッ。
金属がぶつかり合う音を最後に、世界は妖魔ごと崩壊した。
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