第41話 青空
菫は真っ暗な世界にいた。
胸中に恐怖と、それ以上の後悔を渦巻かせながら。
晶の言葉が嬉しかった。拙く、練られたものではない。しかし、だからこそ彼らしい不器用な優しさと本心を真っすぐに感じることができたから。
けれど、邪魔をしてしまった。
ここは普通の世界ではなくて、彼は敵から菫を守ってくれていたというのに、感極まって抱きしめてしまった。
いつの間にか身体の拘束が解けていることにも気が付かないまま。
結果、彼は自分のせいで身動きを取れず、押し寄せる触手の波に飲み込まれるしかなかった。
(ああ、私は、最後の最後でなんて……)
「菫」
温かな吐息が、菫の耳をくすぐった。
「ありがとう。お前が良い奴で、本当に良かった」
とても穏やかな優しい声に、菫は閉じていた目を開く。
「あ……」
呼吸も忘れる、という感覚を、菫は初めて味わった。
いつの間にか彼は正面にいて、涙で濡れた自分の顔も正面から見られてしまう……けれど、
(な、なに……この感じ……)
心臓がバクバクとうるさい。
いつの間にか赤黒とした肉の壁が消え失せ、空には清々しい青空が広がっている――けれど、そんなものも彼女の目には映らない。
ただ、目の前の少年だけが彼女の心を支配していた。
どこにでもいる平凡な、むしろ地味めな少年だと思っていた。
しかし、今目の前にいる彼は、彼女が見てきた何よりも輝いて見えた。
同じアイドルグループの仲間達とも、両親とも、学校で会う同級生たちとも、自分を応援してくれるファンの誰とも、違う。
とにもかくにも、全てが彼女にとって初めてだった。
ただ彼しか見えず、他のものなど見ようともせず、状況も時間も忘れて、ただただ見入っていた。
「五条、さん」
「ああ」
「あの、その、ええと」
取りあえず呼んでみて、しかし次の言葉が続かない。
逃げ出したいような、ずっとここにいたいような、妙に照れくさく、痺れるような感覚を覚えながら、菫は晶の腕の中に収まっていた。
「あれ? 菫、お前そんな服着てたか?」
「えっ」
名前を呼ばれたことに胸を跳ねさせつつ、菫は自分の格好を見て、ギョッと目を見開く。
彼女が着ているのはアイドルの衣装だ。しかし、自分のものではない。
フリフリと可愛らしい意匠のドレスは、ばっさりと胸元が開いていて、普段ロリ系天然妹キャラで通している彼女が着るはずのないものだ。なぜなら、キャラを守るために胸をつぶしているのがバレてしまうから。
そんな彼女が、成長期にすくすく膨らむ胸を、わざわざ谷間まで見せつけるような衣装を着るなんて。
(まるで……まさか……!?)
まるで、見て欲しい自分のありのままの姿。
まさか、現実とは異なる世界で、そんな自分の望みが投影されてしまっているのか。
疑念が予想として形になると同時に、恥ずかしさとが込み上げる——
「俺はこういうの詳しくないけど、うん似合ってると思う。可愛いな」
が、すぐに嬉しさが勝った。
可愛い、という言葉が彼女の中で延々と響き続ける。
「晶ーっ! 明星さーん!」
「一姫、桜花」
「大丈夫ですか、師匠」
「なんとかなったみたいだ。薄氷を踏む思いだったけど、こいつに助けられた」
晶もテンションが上がっているのか、ごく自然に菫の頭を撫でつける。
それに喜びを覚えつつ、菫は初めてこの世界に自分と晶以外がいることを知った。
「御堂さんに、生徒会長……!?」
咄嗟に胸の谷間を手で隠し、どさくさ紛れに晶に身を寄せ彼の体で自分を隠す。
その仕草に、一姫は目を見開き、桜花は鋭く細める。
それだけで、三人は共通した想いを察した。
「ああ、知ってるかもしれないが、こいつは菫だ。田中菫。アイドルでもあり、芸名は明星すみれ。そんでこっちは御堂一姫と二鶴桜花。一姫とは学校で話してたよな。桜花も生徒会長らしい。俺は知らなかったけど」
そしてその中心にいる晶だけが、何一つ察することなく呑気にそれぞれを紹介していた。
「お二人は、どうしてここに……?」
「あー……なんと言うべきか」
「私は彼の監視者なので。つまるところ、パートナーと言うべきかしら」
「僕は彼と同じ退魔師だよ。ここいらの退魔師の中じゃ、一番信頼されてる自負はあるかな」
一般人の菫に話していいものか窮する晶を尻目に、そう赤裸々に、マウントを取るような自己紹介をする2人。
晶もあれだけ自分の本質を語ったので、配慮をするのも今更だが。
「へ、へぇ……」
そして菫は、割とガッツリ気圧されていた。
「それにしても晶。この世界、どうなってるの? いきなり肉の壁が消えたと思ったら朝になってるし……」
「監視者さん、これは夜が明けたって意味じゃないよ。この青空が広がる世界は、幽世が結びついていた彼女——菫ちゃんの心象世界だ」
心の靄が晴れ、青空の広がった澄んだ世界。
それは妖魔と、そして彼女の中に渦巻いていたドロドロとした感情から解放された今の菫に相応しいものだった。
「ここが、私の、世界……」
「ああ。凄くキレイだ」
晶としては何気ない感想だが、自分の心象世界を褒められることは即ち自分の心を褒められるようなもので、菫は顔を真っ赤に染めてしまう。
そんな反応から、やはり一姫と桜花は敏感に察するも、あえて触れることはしなかった。
「あ、あの、五条さんっ! でも、さっきのその、妖魔ですか……あれはいったいどこに……というか! 触手みたいなのにぐわわって襲われたと思うんですけど!?」
「ああ、あれなら斬った」
「斬った……って、え……? でも、さっきまでずっと防戦一方だったのに」
「あの時はお前と妖魔が強く結びついていたからな。妖魔にダメージを与えれば、お前にもそれが伝播しちまう可能性が高かった。だから、あくまで防御に徹してたんだ」
未だに全身から血を滴らせながら、晶はそう言い――振り向く。
「あ……!?」
「まさか……!」
「っ……」
菫が顔を青ざめさせ、一姫が目を見開き、桜花が身構える。
青空を引き裂き、ぼたぼたと破片を零しながら、ドロドロの肉を纏った巨大な人骨が姿を現していた。
その体長は約20メートル――高層ビルに匹敵する。
誰しもが察する。菫の力を吸っていた妖魔だ。
「なぁに、図体がデカいのは、見てくれでビビらせようっていうコスい戦法だ。お前らがビビることじゃない」
晶はそうくつくつと喉を鳴らしつつ、前へ出る。
一切臆することなく、淀みない足取りで妖魔へと向かっていく。
「五条さん……!」
「桜花、2人を頼む……っつっても、さっきよりも遥かにマシだけどな。人質はもういない。そして、ここから先がようやく俺の専門領域ってやつだ。3人仲良く、コーラでも飲んで見物してるといい」
そう軽々と言う晶は、いつの間にか消え、そしてまたいつの間にか現れていた刀を右手で軽く振るう。
素振りでもない軽すぎる仕草――だが、その遥か先、妖魔の右腕がぱっくりと切り裂かれた。
「……え?」
「ああ……いいな、これは。本当に分かりやすくて」
呆気にとられる菫の反応を知らず、晶は清々しい気持ちで空を仰ぐ。
「やっぱり俺はヒーローじゃないから……退魔師として、敵を殺すに尽きる」
そう晶は先の、悲痛な身の上話が事実とは思えないほどに楽し気な笑顔を浮かべ、妖魔に向かって駆け出した。
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