第38話 退魔師の戦い

「五条さん、どうして……」

「悪いが、ゆっくり話すのは後だ」


 晶は身を翻し、手に持った刀の峰で自身に食い込んだ触手を払う。

 触手は力なく宙を漂い、肉壁に吸い込まれていくが、また別の場所から新たに伸び出てくる。


「くそ……」


 ほんの僅かだけ身体は軽くなったが、全く良いとはいえない状況に、晶は舌打ちをする。

 彼がその気になれば、目玉も、触手も、この肉の壁でさえも切り伏せることができるかもしれない。

 しかし、今この妖魔は菫と強く結びついている。もしも危害を加えれば、菫自身にも甚大なダメージを与えるだろう。


 もしもここで菫が死ぬようなことがあれば、たとえこれが精神体であるにしても、現実の彼女は心を失い廃人となる。


「な、なんですか、これ……!?」


 最初は傷だらけの晶に気を取られていた菫だったが、今更周囲の異変に気が付く。

 大量の目が睨みつけ、そして壁から生えた生えた無数の触手が襲ってきているこの状況に。


「寝起きドッキリってやつかもな」

「こんなドッキリがありますか!?」


 軽口を叩く晶だが、雨粒のように絶え間なく襲い来る触手を打ち払う手は緩めない。

 攻撃は激しさを増し、しかし身体の重さはそれに反比例するように消えていっていた。


「あ、あの、五条さん!? じゃ、邪魔じゃなければ質問したいのですが!?」

「どうぞ」

「えとえと……これって夢ですか!?」

「さあ、頬でも抓ってみたらどうだ?」

「その、抓りたいのは山々なのですが……」


 菫の両腕は肉の壁に埋まっていて、当然自分の頬を抓るなんてことはできない。

 彼女に不快感が見られないのはそれだけ菫が無自覚の内に幽世と同化してしまっているからだ。


(ただそれも、俺という異物を自覚することで緩みつつある……)


 この幽世から菫を無傷で救い出すには、彼女に取り憑いた妖魔を引き剥がすしかない。

 それには、先ほど晶が見た菫の心の闇をどうにかして晴らす必要がある。


「あの、五条さん……あなたは、何者なんですか……?」

「これが夢なら、俺はお前が作り出した幻かもな」

「そう、なんですか……?」


 ずしっ、と一気に晶の身体が重くなる。


「違うっ! 嘘! 冗談っ!! これは紛れもなく現実だ! 俺は本物の五条晶だ!!」

「夢、じゃない」


 重さが元に戻る。晶は打ち漏らしかけた触手を刀の一振りでなんとか振り払った。


(夢より現実の方が良いのか……ああ、やっぱり妖魔を相手にしている方が幾分も分かりやすくていいな……)


 自身の身体が重くなるのは、それだけ菫が妖魔に引っ張られている証だ。その逆も然り。

 つまり、菫を救い出すためにはなんとかして彼女に晶を信頼させねばならない。

 しかし彼は当然カウンセラーなどではないし、むしろ人並み以上に人の心が分からない。

 だから手あたり次第、ぶっつけ本番を繰り返すしかない。


「それじゃあ五条さんは、何者なんですか」

「俺は退魔師だ。この世界――現実だけど、嘘みたいな景色の住人だ」

「退魔師……」


 菫は目を丸くするが、晶の身体を重圧が襲ってくる気配は無い。

 信じるかどうかはさておき、不審者扱いはされなかったようだ。


「なんというか、様になっている感じがします。退魔師なんて初めて見ますけど」

「そうか?」

「学校で見た時より、なんというか五条さんらしいです。その、凄く……カッコ、いいですし……」

「はぁ……?」

「さすがのあたしも、あの眼鏡はダサいと思ってました」


 ほんのちょっぴり、重さが増したと感じたのには幽世は関係無いだろう。

 一姫からも似たような反応を受けていた晶だが、こうもハッキリ言われればさすがに気にせずにはいられない。


「で、随分と調子良く見えるけれど、そこはそんなに居心地が良いのか?」

「どう、でしょう。なんだか、凄く疲れてはいます」

「力を吸い取られているんだ。不快感は薄いかもしれないが、確実に」

「力……ですか。さっきまで見ていた夢も、その……?」

「多分な」


 晶の相槌は実に教科書通りのものだったが、しかし菫は顔を顰める。


「多分って、五条さん。まさか、見たんですか……」

「……え?」

「その反応! やっぱり見たんですね!? あたしの…………」


 最初は怒ったように、しかし最後には尻すぼみにトーンを落としていく。

 自分の心を覗かれた。それも決して人には見せたくない醜い一面を。


 そして、彼に向けていた思いも。

 恋慕ではないが、それでも勝手な期待を抱いていた。

 それらを他でもない五条晶に知られたことは彼女に凄まじい羞恥を感じさせる。


「う……ッ!?」


 晶は今までで一番の重圧に呻き声を漏らす。

 菫が妖魔に、自身の闇に引っ張られていることによる影響だ。


 しかし、そんな状況でも触手たちは晶を排除しようとむしろ勢いを上げて襲い掛かってくる。

 その殆どを先ほどまでと同様に叩き落とす晶だが、落差ゆえに数本打ち漏らしてしまう。

 そして、その数本が向かう先は――


(くそ、足元見やがって……!)


 晶は重さに悲鳴を上げる身体に鞭打ち、今まさに無防備な菫を狙う触手へと回し蹴りを放つ……が、弾くことは叶わず足を貫かれてしまう。


「五条さん……!?」


 菫の顔を鮮血が濡らす。

 対し晶は苦悶の表情を浮かべつつも再び身体を捻転させ、無理やり触手を引き剥がした。


(切れれば楽だが、今は余計に菫と結びついてしまっているだろうし……くそ、自分が不甲斐ない)


 このまま綱引きを続けても追い詰められるのは晶の方だ。

 そもそも幽世は妖魔の領域。主導権を握られたままで、しかも直接的な手出しをできない状況は不利以外の何物でもない。


「あ、血……血が……」

「落ち着け、俺は大丈夫だ!」


 今更怪我が増えたところで大した違いはない。

 たとえ幽世にいても現実と相違ない痛みが彼を襲っているが、こんな痛みにも慣れている。


「菫、確かに俺はお前の中を覗いた。お前がアイドルとして抱えるもんを」

「う……」

「けれど軽蔑なんかしない。むしろ勝手に親近感を抱いたよ。初めて会った時から……お前は俺に似ている気がしてたんだ、勝手にだけれどさ」


 苦痛で呻かないよう、必死に平静を装いながら、晶は言葉を紡いでいく。


「俺、結構お前のこと好きだぜ」


 元々嘘がつけるほど器用ではない。屋上でもそうだったように、その場を取り繕っても菫には気付かれてしまう。

 そんな状況で晶にできるのは、ただ愚直に本心をぶつけることだけだった。

 

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