第37話 退魔師として
「づぅ……!?」
突然呻き声を上げ、晶が膝をつく。
幽世が変化し、彼らが菫の姿を視認して直後のことだった。
「晶っ、大丈夫!?」
「ああ……」
咄嗟に一姫が彼の肩を支えるが、しかし晶の呼吸は乱れ、顔色も悪い。
こんな彼の姿は幽世でも、現世でも見たことがなかった。
「師匠、まさか何か視たんですか……?」
「何か……?」
「師匠はこの幽世の……そうだね、核を守るための世界とでもいうべきこの場所を解放するために、師匠の姿をした妖魔と繋がった……それはこの幽世と、そしてこの幽世を支配する妖魔が依代とする“彼女”に繋がったのと同じだ」
桜花の言葉に一姫も察する。
妖魔が取り憑き、成長するに至った少女の何かに、彼が触れたのだと。
「師匠、深入りすべきじゃない。最悪、彼女を犠牲にしても――」
「犠牲にしても、妖魔の肥大化を抑えるべき……か。桜花、お前も退魔師らしくなってきたな」
「っ……!」
疲れたように笑う晶の言葉に、桜花は顔を青ざめさせる。
彼の言葉を受けて初めて、自分がほぼ無意識に言ってしまったことを自覚したからだ。
「けれど、俺はそうはなれない……妖魔を殺す。完膚なきまでに。だから、誰一人犠牲は出させない……!」
支えてくれていた一姫の手を解き、立ち上がる晶。
しかし立ってもすぐによろめいてしまう。
「くっそ……中々にヘビーだったしな……」
「晶、いったい何を見たの?」
「なんだろうな……自分がどれだけ自分勝手で、余裕が無かったか、かな」
自嘲するようにそう言い、晶は菫の方へと歩き出す。
よろめきながら、しかし、その目に確かな意思を宿して。
「桜花。それに……一姫も。2人ともそこで待ってろ」
ここから先は自分だけでやる。
そう言外に込められた彼の意志に、一姫はもちろん、桜花もただ頷くしかなかった。
一歩ずつ、ゆっくり歩く。菫との距離は約25メートル、学校のプール1つ分程度の距離だ。
まるで生きているかのように怪しく蠢く肉の壁のトンネルを、晶が約半分まで進んだその時――
「うぐ……!?」
突然、晶の歩みが止まった。
(これは……重い……!?)
苦悶の表情を浮かべつつ、周囲へと目を向ける。
すると、いつの間にか肉の壁に無数の眼が浮かんでいた。ギョロっと血走った眼は全て晶を食い入るように、不躾に見つめていた。
「そうか……これが菫の……」
妖魔が菫と繋がり、そして手に入れた力というべきか。
彼女が畏怖する“周囲からの視線”。それがアイドルとしてのすみれの動きを制限し、菫としての価値を消失させた。
明星すみれ、田中菫にとって絶対の力。恐怖は正しく、他者なのだ。
「師匠!」
「来るな……! お前でも、一瞬でぺしゃんこにされるぞ……!」
晶であっても、いや、晶だからこそ、凄まじい重圧を受けながらも人の姿を保っていられる。
それほどに妖魔は強く、菫の闇は深い。
――あたしは、幸せです。子どもの頃からの夢だったアイドルになれました。最近は軌道に乗ってきて、ようやく全国帯のテレビに出て名前が売れて来て……本当に嬉しいんです。
晶の脳裏に、あの屋上で最後に菫と交わした会話が浮かぶ。
――頑張るのは当たり前です。頑張ったら、疲れもします。でも、そこで下を向いてしまうのは弱さなんです。あたしは、やりたくてやってるんだから。
彼の口から舌打ちが漏れた。
どうしてこうも、自分という人間は愚かなのかと。
(あの時、菫は笑ってたか。本心から、それが正しいと主張していたか)
菫は助けを求めていたのかもしれない。今だからこそ、晶はそう思う。
なぜなら最後の言葉を口にした時の顔と、屋上にいる晶を見つけた時の顔が、別人と言っていいくらいに違ったから。
(けれど……)
彼にできたことは、やはり無い。
彼は同世代の人間と関わった経験を全くと言っていいほど持っていないし、そして何より、人間として大きな、無視できない欠陥がある。
その場しのぎで菫の求める対応ができていたとしても、結局は良い結果に繋がらなかっただろう。
たとえ敏感だろうが、鈍感だろうが、彼は彼だ。ヒーローではない。
「だけど……!」
田中菫は不幸ではない。だからヒーローは助けに来ない。
彼はヒーローではない。ヒーローではないから、今、ここにいる。
菫が落ちようとしている昏い願望を、破壊できる。
「絶対に……見過ごしてなんて、やるか……!!」
菫と繋がった晶にはよく分かる。
彼女の他者への恐怖がどれほど大きいか、今全身を襲う重圧からも明らかだ。
誰にも言えないから、言ってはいけないから、苦しみはどんどんと膨らんでしまった。
きっと、彼女は自分と似ている。
そう思うから余計に深く、菫の影響を受けてしまう。
「田中、菫……お前が何者か……何者でいたいかとか……俺は知らない……!」
これが彼女の救いに繋がっているなどとは思わない。
彼は退魔師だ。その手は何かを救う為ではなく、妖魔を殺す為にある。
だから、妖魔を殺す。
田中菫をいいように利用する悪を、殺す。
「お前を……醜い妖魔なんぞに……奪わせるか……!!」
一歩、一歩。
菫へと近づくたびに、拒絶するかのように身体の重さが増す。
一度でも膝をつけばもう立ち上がれないだろう。そう、目の前で項垂れる少女が体現している。
だからこそ、折るわけにはいかない。
彼女を、田中菫を知る自分が折れれば、この妖魔はもう誰にも止められない。
『――――――!』
肉の壁が揺れる。
そして、突如として、眼と眼の間の壁から細い触手のようなものが伸び、まるで槍のように晶の身体を突き刺した。
「うぐ……!」
「晶ッ!!」
一姫が叫ぶ。すぐにでも飛んできそうな勢いで。
しかし、それでも直後に悲鳴が続かないことから、桜花が止めてくれているのだろうと晶は理解した。
重さと、痛みとで、最早振り向く余裕さえない。
「痛い……けど、縫い付けられたわけじゃない……!」
視線が動きを封じるだけでなく、痛みに変わる。
逸脱するというのは痛みを伴うことだ。それを菫は理解している。
「けれど、それで足を止めてこなかったから今のお前がいるんだろ」
僅かに、菫の肩が震えた。俯いたまま、顔を上げぬまま。
それでも、確かに、晶の身体が軽くなる。
「俺はお前を助けない。俺はお前に憑いた妖魔を殺すだけの存在だ。お前は、お前自身が救うんだ」
触手に開けられた傷から血が流れだし、肌を濡らし――
そんな状況で、晶は笑った。
取り繕うものでもない。皮肉でもない。
本心から、歪で不器用な……誰かを気遣う笑顔を浮かべる。
「五条、さん……」
「ようやく起きたかよ、寝坊助」
肉の壁に自由を奪われたまま、妖魔に取り憑かれたまま、菫が顔を上げる。
涙でぐちゃぐちゃになって、しかし拭くこともできなくて――そんな彼女の頬を流れる涙を、晶は血塗れの指で優しく拭った。
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