第23話 餅は餅屋
「はいぃ?」
菫はとても女子高生が浮かべない、ましてアイドルなら決して浮かべてはいけない類の歪んだ表情を浮かべる。
それはもう、心底晶をバカにしきった感じで。
「なぁにが世界を影から救っているヒーローですかっ! そういうの、中二病って言うんですよね。夢を見るなら中学で卒業しておいた方が良かったのでは? もしかしたらそういう純粋な気持ちでいたらサンタさんがプレゼント持ってきてくれるって思ってるかもしれないですけど! あー! しょーもなっ!!」
一応屋上ということで、校庭にいる生徒に聞こえることも加味しつつ、声量ではなく語気で思いっきり侮辱するような言葉を吐き捨てる菫。それもほぼ一息のため、後半は内容というより肺活量的な意味で鬼気迫るものがあった。
そんな一方的な発言を、晶は涼しい顔を浮かべつつ受け止める。なんてこともない。まったく菫の言う通りだと思ったからだ。
晶とて、自分がヒーローだなどと言い出す者がいれば、近しい感情を抱くだろう。
それに、退魔師は世間から隠された存在。それに従事する自分などいないも同然だ。
子供が抱く空想の如く、虚しい存在なのだと、晶ははっきりと認識している。
「あ、あの」
晶としては実に正直なリアクションだったのだが、しかし、むしろ菫の方が困惑していた。
「あ、あの、五条さん? あたし結構酷いこと言ったと思うんですけど……なんで怒らないんですか」
「いや、全くその通りだし、むしろ清々しいとさえ感じたけど。なんだ、怒って欲しかったのかよ?」
「いや、その……ごめんなさい」
菫は深々と首を垂れる。
さっきまでの勢いが完全に削げ落とされ、ただの気弱さだけが残っていた。
「ちょっと、ふざけてみようと思って……でも、なんだか駄目ですね。こういうの、慣れてなくて」
「そうだったのか。悪い、俺もあまり対人経験はないから」
「なんか、余裕ありますよね。まるで本当に、ヒーローみたいな」
「馬鹿言え。さっきのこそ、ただの冗談――悪ふざけだ」
「分かってます。仮にヒーローがいたとしても、あたしの前に来るはずがありません」
「そりゃあどうして」
「別に、困ってませんから」
単純で明快。ヒーローは常に困っている弱者の味方だ。
困っていない人間に手を差し伸べるヒーローはいない。なぜならそれはまったくドラマチックではないからだ。
たとえ全を救う善良なヒーローがいたとして、その全に彼女は含まれない。
「あたしは、幸せです。子どもの頃からの夢だったアイドルになれました。最近は軌道に乗ってきて、ようやく全国帯のテレビに出て名前が売れて来て……本当に嬉しいんです」
「……」
それは殆ど独り言で、晶は口を挟むことなく黙って聞いていた。
菫に嘘を吐いている様子はない。口調、表情、そして身体の細かな所作からも同じだ。
しかし、それでも違和感は拭えない。
もしも彼女が現状に納得し、全てを良しとしているのならば、そもそもこんなことを口にする筈は無いのだ。
晶は黙って聞きながら考える。
今、明星すみれ、田中菫の中に起きている何かを。
「頑張るのは当たり前です。頑張ったら、疲れもします。でも、そこで下を向いてしまうのは弱さなんです。あたしは、やりたくてやってるんだから」
「……そっか」
晶は少し考え、しかし答えが出る前に疑念を放り出してしまった。
彼女のアイドル姿など知らないし、顔には出せない後ろ暗い事情があったとしても、本人が良かれと思っていれば第三者である晶が偉そうに何かを言える筈もない。
そもそも晶は彼女の抱える何かを受け止める技量も度量も持ち合わせてはいないのだ。
(餅は餅屋って言うしな)
晶は中途半端に足を踏み入れようとしてしていたことを心の中で恥じた。
特異点――佐崎京助の交友の中に彼女がいたことで神経質になっていたことは否めない。
彼は妖魔に関するプロフェッショナルかもしれないが、しかし高校生の悩みを解決できるカウンセラーではない。むしろ、精神的な面は未熟もいいところだろう。
彼女という存在が、自分の中にある何かに触れた気がした。退魔師やアイドルと高校生の二重生活……そこに親近感を覚えたのは晶も同じだ。
そして、殆ど初めての同年代の子どもとの交流――相手が菫でも、汐里でも、一姫でも。
たった1か月弱で、4年以上かけて築いてきた“自分”が変容を始めている。
そう、晶は感じずにはいられなかった。
(危険だな……俺は、退魔師だ。彼女達とは住む世界が違う。俺の居場所は、あそこなんだから)
晶は改めてそう自身に言い聞かす。
高校生活に真剣に向き合っている菫は自分とは違う。自分にとって高校生活はただの足枷でしかない。
そんな思いが、彼の思考を塞ぐ。深く暗い闇の底へと落としていく。
晶は自身の右手に視線を落とし、何も乗っていないそれをグッと握り込む。
目を閉じ、一度、深呼吸する。気持ちを、思考をリセットするように。
そんな何気ない所作を見せる晶を、菫はじっと見つめていた。
目を閉じ、集中する晶はそれに気が付かない。彼女の目を見ればはっきりと分かる、その感情に。
「ふぅ……」
閉じていた目を開く。その時にはもう、晶は仮面を被り直していた。
「なんか大変だな、アイドルっていうのも」
碌に菫の表情も見ず、仮面越しに出たその言葉は、今まで同じことを言った2回と比べても空虚で、当然菫にも伝わってしまう。
それでも晶は目を逸らす。菫の表情から、彼女に生まれた感情がどんなものか理解できた筈なのに。
仮面越しなら自分を保てる。触れられることはない。
たとえそれが菫を切り離す行為であっても、今の彼に選べるのはただそれだけだった。
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