第22話 磨かれた外面
そもそもの前提として、晶はアイドルというものに全く詳しくない。
彼女が所属するグループの他のメンバーの名前や、発表している楽曲名を知らないのはもちろん、一度聞いた筈のグループ名さえもすでに忘れかけている。
だから、彼が知っているのはほんの僅かに会話を交わし、そして今目の前にいる明星すみれ――田中菫のことだけだ。
菫が見せる表情は圧倒的に疲れが多い。
晶と話していて心労を溜めているという可能性もゼロではないが、逆に彼のことがどうでもいいからこそ素の姿を見せれているという可能性もある。
「田中」
「う、おぉう」
「……なんだよ、その反応。名前、間違ってないよな?」
本当は山田だったかもなどと思い、内心不安になる晶。意識せずとも顔に出ない程度には微々たるものだが。
「いえ、田中と呼んでくる人は、先生くらいなものなので驚いて」
「そんなどいつもこいつも下の名前で呼んでくるのか」
「そういう慣れ慣れしい……否、親しみを持ってくれる人もいますけど、一番多いのは芸名の名字、明星呼びですかね」
「明星? 明星って確か……」
「え、ちょ、五条さん。もしかしてあたしの芸名忘れちゃったんですか」
芸名と言われて思い出す。こちらは本当に、完全に忘れていた。
明星すみれ。それが田中菫の芸名であり、そして一姫との会話で出てきた佐崎の友人の1人の名だ。
「悪い。忘れてた」
「ぐう……まあ、本名は覚えてくれていたので許しますが」
「ああ。田中、草冠、ゲジ子な」
「草冠をミドルネームみたいにするのやめてください」
不意に会話が途切れる。晶はもちろん、実は菫も、あまり口数が多いタイプではなかった。
晶は持ってきた総菜パンを食べ終えたが、菫はまだ自身の弁当を食べている最中だ。
しばらく、人気のない屋上に彼女の咀嚼音だけが響く。菫は頬いっぱいに食べ物を頬張る、リスみたいな食べ方をする少女だった。
「ふふっ」
「ん、なんですか」
「いや、なんでもない」
「いやなんでもなくないでしょう。いきなり笑って。気持ち悪い」
「辛辣だな」
菫の食べ方が面白く、思わず笑ってしまっただけの晶だが、そうも責められるということは菫自身自覚があるのかもしれない。
ほんのりと頬が蒸気しているのが、その証拠とも言えるだろう。
「アイドルの時もそうやって食べてるのか?」
「明星すみれの時はもっとお淑やかに、オーバーにです」
お淑やかでオーバー? と、頭に疑問符を浮かべる晶に対し、菫は箸を器用に使い、コロッケのほんのひとかけらを摘まむ。
「迎え舌にならないよう気をつけます」
そう言いつつ、顔をほんの少し俯かせ、顔に落ちてきた髪を左手で避けさせつつ、コロッケを口に入れる。
その所作には静かながらに精錬されている雰囲気があり、晶も思わず溜め息を吐いてしまうのだが、
「んむっ! 衣のサクサク感とじゃがいものホクホクした感じが絶妙に合わさって、すっごく美味しいですぅ! すみれ、こんなに美味しいコロッケ、初めて食べましたぁ!」
「お、おう……」
突然の食レポに呆気に取られる晶。
何よりも恐ろしいのは、生き生きと笑顔を浮かべている菫の目がよく見ると死んでいることだった。
「今のがアイドルモードの食事シーンです」
「い、いつもあんな感想言ってんの?」
「求められれば。求められなくても、足をパタパタさせたり、表情を転がして美味しいを表現します。それが“明星すみれ”なので」
はぁ、とやはり大きく溜め息を吐き捨て、菫は残ったコロッケを口いっぱいに頬張った。
「ほいんほあ、おほあほへおふはふほほえふ(ポイントは、オノマトペを使うことです)」
「分かったから口の中空にしてから喋れ。間抜けすぎるぞ」
ゴクン、と大きく喉を鳴らし、さらに豪快にペットボトル入りの麦茶を飲み干す菫。
その所作はアイドルというよりオッサン感がある。
「ぷはぁ! あー、美味い!」
「なんか、大変だな、アイドルも」
以前と全く同じ感想を、よりしみじみと呟く晶に、菫は大きく頷いた。
「別にあたしが特別なわけじゃないんですよ。誰だって生きるのは大変です」
「まぁ、そりゃあそうだな」
「それに、五条さんもでは?」
「何が俺もなんだよ」
「五条さんも、あたしと同じで何か偽っている感じがします」
鋭く、何かを見通そうとするように目を細める菫。
ぞんな彼女に晶は一瞬呆気にとられつつ、しかしすぐに口元を緩める。
「同類だから分かるってか?」
「そんなところです。ああ、もちろん五条さんがアイドルだーなんて言うつもりはないですけど」
確信を持って頷く菫に対し、晶は空を仰いで僅かに思考を回す。
(俺が彼女に違和感を覚えるように、俺も知らず知らずのうちにサインを出していたのかな……とすると、どう対応すべきか)
彼が退魔師であることは当然話せない。退魔師や妖魔についての情報開示は重大な規律違反だからだ。彼や、一姫のような監視者、そしてそれらを統括する退魔省に属する全ての存在に、それは徹底されている。
晶はほんの僅か、しかし菫から見れば明らかに何かを考えているとはっきり分かる時間黙り込み、そして――
「実は俺、この世界を影から救っているスーパーヒーローなんだ」
そんな、知る者からすれば冗談とは言い切れないことを口にした。
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