第19話 戦いの後で

 ほどなくして、2人は再び晶が暮らすアパートへと帰ってくる。

 そう、2人は。


「……お前、帰んないの?」

「う……」


 もう何度目かの質問に、一姫は気まずそうに表情を歪める。

 幽世から帰って、解散の流れになった2人だったが、一姫は晶の傍から離れなかった。


 理由は単純——怖かったのだ。

 現実世界に瓜二つな夜道を歩き、何度も何度もレインコートを着た通り魔に襲われた。そんな体験をして、いくらそれが幽世限定の出来事だと理解していても、1人で夜道を歩くことなどできる筈もない。


 晶もそんな彼女を慮ってか、珍しく家まで送ると提案したのだが……まだ一人暮らしに慣れていない彼女にとって誰もいない家というのは、それはそれで恐怖を助長させるのだ。


「は、恥を忍んで言うわ……お願い、今日は泊めてくれると……」

「まぁ、いいけどよ」


 面倒くさそうにしながらも拒絶しない晶に、一姫はほっと胸を撫でおろす。

 突然の宿泊で、着替えなども当然用意が無いが、運が良いことに明日は土曜日だ。

 学校も休みのため、制服で寝て変な皴ができても、誰かから変な指摘は受けることはない、と高を括っていた一姫だったが……


「んじゃあ、俺は寝る」


 ささっと退魔装束を脱ぎ捨て、パンツ一丁になった晶はそそくさと布団を広げ、横になってしまう。


「あの、晶? 私、どこに寝れば……」

「他に布団なんかないぞ」

「え、ええ。それは分かっているけれど」

「お前もこれを使えばいいだろ。別に構わねぇよ、俺は」


 よく見れば、晶は布団に転がるも端の方に寄っていて、なんとかもう一人転がれないこともないスペースが空けてあった。

 

(ま、まさか、ここに寝ろっていうの!? そ、そりゃあいきなり泊めてって言ったのは私だけれどっ!)


 一姫は顔を真っ赤に染め上げて、パニックになりつつ頭を抱えた。


「ったく。監視者殿はワガママだねぇ」


 そんな一姫を見て、深く溜め息を吐く晶は、布団から出ると、壁に寄りかかる形で座り込んだ。


「どうぞ、監視者殿。使い古したお布団でよろしければ」

「ちょ、晶、別に私……」

「あー、暫く干してないから臭うかもしんないけど」

「に、におう……!?」


 一姫は無意識のうちに生唾を飲み込む。

 そして彼女の目は空いた布団に釘付けになる。この状況をどうするべきか、何が正解なのか必死に頭を回しつつ。


「ま、気持ちよくは寝れないか。悪い悪い」


 そんな一姫を見て、晶は苦笑混じりに話を打ち切った。


「しかし、監視者殿は怖くて外に出れない。俺の布団は臭くて眠れないときた。どーすっかなぁ」

「く、臭いなんて言ってません……! が、そうね、晶。せっかく明日は休みなのだし、少し、その、少しくらいは夜更かししてもいいんじゃないかしら……と、その、私は思うのよ。その、うん」

「なんか妙にしどろもどろだな」

「うるさいっ」


 顔を真っ赤に火照らせつつ、そっぽを向く一姫。

 当然、晶がそんな彼女の本心を読めるはずも無く、ただ気まずい沈黙が流れる。


「……まぁ、分かったよ。夜更かし……夜更かしね。確かに寝るなら明日の昼でもいいわけだしな」

「ほんとっ?」

「お、おお。けど俺に話題なんて無いぞ」


 一転して目を輝かせる一姫に、晶は若干引きつつ頷く。


「話題というか、気になっていたことがあったのよ」

「はぁ」

「もしも、先ほどの妖魔を放っておいたら、どんな影響が出てたのかって」

「…………」


 晶は溜め息こそ漏らさなかったものの、つい呆れた目で一姫を見てしまう。

 その視線の意味に当の本人は気がついていないようだったが。


「お前、なんで怖くて一人で寝れないって言ってんのにその元凶を掘り起こそうとするわけ? そういう性癖なの?」

「せいへき……!? ち、違うわよっ! 後学のためだから!」

「あのレインコートマンに惚れたとか?」

「有り得ないっ!」


 照れではなく完全な怒りで怒鳴る一姫。

 そんな彼女を見てもなお、晶は愉快げに笑う。


「まぁ、あの程度ならどうだろうな。せいぜい、元々ストーカーや殺人衝動を抱く素質がある誰かさんが影響を受けて、同じような行動を起こす、くらいなもんか」

「そんなもんって……」


 あんなものが現実に現れれば、怖いイメージがどうなんて言っていられない。

 ある程度の報道がなされ、最低でもこの町の夜が塗り変わる。


 一姫は思わず顔を青くした。


「ほ、本当なの?」

「多分だけどな。結局、その未来が実現する前に、妖魔は祓っちまったわけだし」

「けれど、そんなことが起こりうるなんて」

「よく聞かないか? 『魔が差した』とかよ」


 心底馬鹿にするように彼は吐き捨てる。

 その目は、目の前の一姫ではない遠い何かを見つめていた。


「妖魔は人の悪意や恐怖、殺意が大好物なんだ。弱い妖魔は人のそういった感情を刺激し、人に命を奪わせる。幽世から直接現世に手を出す力がないからな」

「それじゃあ、現実に起こる殺人事件とかって……」

「妖魔の仕業……一部はな。そしてそれが、世間に妖魔や俺達退魔師の存在が秘匿されてる理由だ」

「それってどういう……」

「お前、本当に何も知らないな」


 晶は馬鹿にしたように溜め息を吐く。それが恥ずかしく、しかし否定できないのが悔しく、一姫は俯くしかなかった。


「教育の済んでいない監視者を送り込む……それほどに特異点の優先度が高いということか……」

「特異点……佐崎君のこと……?」

「監視者殿、今回の妖魔……佐崎との会話で似たような話が出てきたとかあるか? 最近見た映画に同じシチュエーションがあったかとか」

「そういうのは、特に心当たりが無い、けど」

「そっか」


 そう短く会話を打ち切る晶に対し、一姫は気まずげな視線をちらちらと向けていた。

 というのも、彼は寝る体勢に入り、そして起き上がってからもずっと、下着以外着ないままだったからだ。

 ただ、露出癖があるというより、思考に気を取られ気がついていないという雰囲気のため、一姫も指摘がしづらい。


「そうだ、監視者殿」

「な、なに」

「佐崎ってどんな奴なんだ?」

「え?」

「なんでもいいんだ。性格、趣味、交友関係、高校に入る前のこと。家族構成に好きな色、好きな食べ物嫌いな食べ物。分かっていることならなんでも知りたい。いや、知っておかなくちゃいけない気がする……」


 その言葉は後半からは一姫に対してではなく、殆ど独り言のように尻すぼみに消えていった。

 それでも、晶からの質問ははっきり理解できて……一姫は佐崎京助の友人として、入学から今までのことを思い出しつつ口を開くのだった。

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