第18話 五条晶の生きる世界
歪みを指し、晶はやはり少し楽し気に口角を上げる。
「あれがゴールだ。あの歪みをぶっ壊せばこの幽世は鎮まる」
「ゴール……」
「いわば、この空間を作り出した妖魔の心臓ってとこだな。監視者殿、こっから先はここで待ってな。なぁに、いざ襲われても、そのお守りを持ってりゃ大丈夫だからさ」
そう説明しつつも歩みは緩めず、晶は流れるように刀を抜き放つ。
同時に、歪みを守るようにレインコートの男が現れる。今度は1体ずつではなく、わらわらと――その数はどんどんと増えていき、あっという間に10を超えた。
「まるで連休のショッピングモールって感じだな」
しかし晶に怯む様子はない。
足を緩めるどころか、むしろ急くように速めていく。衝突の瞬間を待ちきれないように。
(楽しんでる……)
一姫の方には背を向けているが、それでも彼女には晶が楽し気に笑っているのだとハッキリと分かった。
この町にやってきた日とは違い、現世での彼を一姫は注意深く観察してきたことで、多少なりとも五条晶の人となりを知っている。
普段の彼はどこか無気力で、投げやりだ。
高校生活をしていてもそう。退魔関係の会話を交わしている時もそう。
彼が活力に満ちた、爛々とした視線を向けるのは、幽世に来て、妖魔と対峙した瞬間だけだった。
彼にとって現世での日常は仮初めのものでしかなく、本物の彼は幽世にしか存在しないのだ。
――退魔師を同じ人間だと思ってはならない。
一姫が監視者となる前に聞いたその教えが、一般常識と重ね合わせた時正しいものでないのは明らかだ。
しかし、晶を見ていると一姫は不安になる。その言葉を完全に否定できなくなる。
五条晶にとって、人よりも妖魔こそ、近しい存在なのではないかと。
レインコートの男達が晶を迎え撃つために動き出した。
全員が全員、その手に鋭く光る包丁を持ち、晶を刺殺せんと襲い掛かる。
絵面にすれば中々絶望的な光景だが、それを前にしてもやはり晶の余裕は崩れない。攻撃の一つ一つを確実に躱しつつ、刀を振り抜く。
まるで相手になっていない。すぐに彼の足元にはレインコートの男の死骸である黒い泥が溜まっていった。
「ゲーム感覚に近いのかしら……」
ぽつり、とそんな感想を呟く一姫。ほとんど無意識の内に零れ落ちたその言葉は、なんとも的を射ているように感じられた。
彼女もゲームなどに詳しいわけではないが、圧倒的な力を持ったプレイヤーが雑魚敵をバッタバッタと薙ぎ倒していく様はついそんな感想を抱かせる。
そしてレベルという確かな差がそこに存在しているようにさえ思わせる。終盤間際の成長したプレイヤーが、序盤に出てくる敵を相手にするような虚しさがそこにはあった。
しかし、たとえどんな雑魚であっても、妖魔が人間に対し、本物の殺意を以って襲い掛かってくる敵であることは間違いない。
現世での生活において、そういう存在は滅多に、いや、全くと言っていいほど現れないだろう。それこそ、レインコートを着て夜道で待ち受ける殺人鬼など、可能性はゼロでないにしろ、ほぼ空想の中だけの生き物だ。
普通、殺意を向けられれば怯む。慣れていても決して心地の良いものではないだろう。
本物の殺意を前に、それを嬉々として受け入れる彼の姿は、一姫から見ても異様に映った。
「どうにもワンパターンだな。不意を突かなきゃホラーとしても三流以下か」
晶はそう、少しばかり残念そうな声を漏らし、レインコートの男達を纏めて薙ぎ払った。
手に持っていた小振りの刀が一気に三倍ほどに伸び、一瞬にして道路上に蠢いていたレインコートの男達が死滅する。
「さてさて、いつまでも監視者殿を付き合わすのは悪いし、そろそろ閉じますか」
彼に達成感は感じられず、相変わらずの軽い調子でそう呟くと、歪みに向かって刃を突き立てた。
――ギンッ!
何か金属が裂けるような音が響き渡る。
同時に、世界を構成する何かが壊れる――そんな感覚を、一姫は確かに捉えた。
「あ……」
視界が歪む。眩暈ではない。世界の方が酩酊するかのようにグラグラとその姿を揺らしている。
世界が終わる瞬間だ。
「あ、晶……!」
「そんな焦った声を上げなくても大丈夫だよ、監視者殿。この幽世もレインコートの連中も、無事全て祓われた。正しく、真っ当にな」
まるで天気の話でもするみたいな、肩の力が抜けた声。
それはバラバラと崩れ行く世界の中ではあまりに空々しく響いた。
そして――
「あ……」
視界がグルっと一転する――そして、一姫は自分が現世、彼女達の暮らす世界に帰ってきたことを自覚した。
ここは幽世に入る直前に歩いていた場所だ。時間を見れば、あれから数秒も立っていないのだろう。
それでも彼女の中には倦怠感と、幽世で抱いた恐怖が確かにこびりついている。
不意の不快感に手を見れば、じっとりと手汗が滲んでいた。
「おつかれさん、監視者殿」
まだ頭が追い付かない一姫に、晶が呑気な声をかける。
まるで何事も起こらなかったかのようにいつも通りの声だ。現世での日常の中で何度も聞いてきた、紛れもない五条晶の言葉だ。
しかし、一姫にはその言葉が、ほんの少し、魂が抜かれたような空虚なものに感じられた。
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