第15話 高校生アイドル

 その少女は明星すみれと名乗った。


「いいですかっ。みょうじょうでなく、あけほし! すみれは平仮名ですみれですからねっ!!」

「はぁ……」


 既に授業が始まった校舎の屋上で、少女は声高らかに叫んだ。

 そんな彼女の前には、心底疲れた顔で溜め息を吐く。当然授業はサボりだ。


「まぁ、本名は田中菫ですが。すみれは草冠にゲジゲジみたいなのを書いた菫です」

「自分でゲジゲジとか言うのかよ」

「他に表現が浮かばず。ちなみに分かってると思いますが、明星すみれは謂わば源氏名というやつですね。アイドルとして世を忍ぶ仮の姿というやつです。ふふふん」


 これ以上ないドヤ顔を浮かべ、小指を立てながらグイっとブラックコーヒーを飲み干す菫。

 正座させられていた晶はぐったりと首を垂れつつ、足を胡坐に崩す。


「アイドルってこたぁ、さっきのハッピーアイスクリームってのが……」

「サワークリームビスケットですっ!」

「そうそれ……だったっけ?」

「いや本人が訂正してるのに疑う理由あります?」


 彼女は学園に収まらない本物のアイドルらしい。

 当然テレビもスマホも碌に見ない晶が知る筈もなく、むしろアイドルという単語を聞いて正解の意味を言い当てられたのが奇跡と言えるまである。


「そういや、噂になってたな。なんでも現役のアイドルが同級生にって」

「ふふん、でしょうでしょう……って、その程度の認識なんですね……」

「それがアンタなのか」

「ええ! すみれこそがサワークリームビスケットのキュート担当! 明星すみれですっ!」

「キュートって……可愛いって意味だろ。自分で言う?」

「いえ、あたしというか、ファンというか、事務所というか……事務所ですね、事務所」


 菫は疲れたようにコーヒー缶を啜る。

 疲れを思いきり感じさせるその姿は、あまりキュートとは言えないかもしれない。


 しかし、先ほどまでの彼女が可愛らしい女の子であることは、晶も納得できるものだった。

 程よく化粧の施された整った顔立ち。大きく丸い瞳、人懐っこい笑顔、高い特徴的な声、低身長などと、同級生ながら年下と感じさせる、庇護欲を抱かせる愛らしさがある。


「ちなみに胸にはサラシを巻いて潰してます!」

「サラシ!」

「キュート担当でいるための企業努力というやつです。貧乳にも需要があるんですね」

「なんか大変だな、アイドルっつうのも……」


 晶は自身のコーヒー(微糖)に口付けつつ、感心したように呟く。


「……本当に知らないんですか? 最近は地上波とかもちょいちょい出てるんですけど。オリコンだって乗ったし」

「流行には疎いんだ。それに知らねぇほうがいいってことも世の中沢山あるだろ」

「いや勝手に知らない方が良いことにカテゴライズしないで欲しいんですけど」

「そりゃ悪い」

「本当に知らないんですか? 歌に聞き覚えとか」


 菫はそう言って、鼻歌を奏で始める。

 耳障りの良いメロディであったが、やはり晶にピンときた様子はない。


「鼻歌だけ? ああ、音痴なのか……」

「はー!? すみれの歌は札束が飛ぶ程度には価値があるんですよ!? こんなところで披露するなんて鼻歌でも過多ってもんですからっ!」

「お前が勝手にやったんだろ」


 そうですけど、と顔をしかめる菫。

 ほんの少し沈黙が流れる。気まずさは双方にあったが、どちらも授業をサボってしまった手前、この屋上から出ても行き場所はないのである。


「……ていうか、五条さん」

「ん、今度はなんだよ」

「五条さんはなんでそんな根暗そうな見た目なのに口調はちょっと荒々しいんですか」

「荒々……? いや、口調は、うーん……」


 根暗そうな見た目、というのは彼が学校生活の中で目立たないようにという自助努力によるものだが、菫とのやり取りにおいてはいつの間にか剥がれ落ちていた。

 彼にしても即席でこしらえた仮面だ。未だに馴染まないのは仕方が無いが。


「最初からやり直せない?」

「どこからですか」

「出会う前」

「すみれも可能ならそうしたいですけどねぇ……」


 はぁ、と2人は同時に溜め息を吐いた。

 息ピッタリではあったが、それを口にできるほどの気力は、それこそ2人ともになかった。


「その一人称がすみれとか、あたしとか行ったり来たりするのもブランディング?」

「はっ! ……すみれはぁ、すみれですよぉ?」

「へー。アイドルモードがすみれ、通常モードがあたしってことか」

「……そうです」


 今日何度目かの溜息を吐く菫。

 晶の目から見てもそうとう参っているように見えた。


「五条さんはあたっ、すみ……あたしのこと知らなかったじゃないですか。ファンでない人に、ファンサービスは不要ですし」


 あたしか、すみれか、もはや悩むことを諦めた菫は、どこか吹っ切れたような、疲れを一切隠さない、ぎこちなさのある笑顔を浮かべた。


「俺は愚痴をぶつけられる案山子代わりってことか」

「そんなとこです。ま、もしも五条さんがあたしのこんな姿を世間に言いふらしたら、きっとアイドルとしてのすみれは終わりでしょーが」


 そう自嘲するように言い捨て、脱力したように横になり、空を流れる雲をのんびりと眺めだす菫。

 

(煌びやかなアイドルもアイドルで色々と心労があんだなぁ……まぁ、コイツがどういうアイドルかは知らねぇけど)


 そんなことを思いつつ、晶も横になる。

 クラスで目立たない存在が、入学から一か月も経たずに授業をサボるというのはどうなのか、などと考えながら。

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