第16話 二回目

「それで授業をサボったわけ。ま、みんな、晶がいなくなったことなんか気が付いてなかったと思うけど」

「そいつはよかった。じゃあ次から面倒な地歴公民はサボることにすっかな」

「冗談言わないで。テストだってあるのよ。貴方の事情は分かっているけれど、学生の本分は守らないと……」


 相変わらず家に上がり込んできている一姫とそんな会話をしつつ、布団にしな垂れかかる晶。

 しかしいつもと違うのは、彼が学ランを脱ぎ捨てたワイシャツ姿ではなく、一姫と出会ったその日に着ていた退魔師の黒装束を纏っているという点だ。


「ねぇ、どうしてそんな恰好してるわけ?」

「退魔師が退魔装束を纏う理由はたった一つ。今日が退魔日和だからだ」

「退魔日和って……ここ最近何も無かったのに」

「何も無かったわけじゃねぇよ。俺達がダラダラ青春を謳歌している間にも、妖魔は裏側の世界で虎視眈々と現世侵略の力を蓄えてただろうさ」


 晶はスマホを振り子のように揺らしながら、だるっとした様子で答える。


「どういうこと?」

「庭の手入れみたいなもんさ。雑草は生えてきてからじゃないと抜けないだろ」

「ええ。そりゃあそうでしょう」

「それと同じなんだよ。妖魔ってのは概念みたいなもんで、いつどの瞬間にも生まれ、幽世を作り出している。けれど、それを認知できるのは雑草みたいに、土から草が顔出してからだ」

「ええと……つまり晶は、妖魔の気配が掴めるところまで成長したから、今日それを叩くってつもりなのね」

「いや」


 納得したように頷く一姫の言葉を、晶は一瞬で否定した。


「今日祓う妖魔については、もう随分前から存在を感知していた」

「は……?」

「あえて放っておいたんだ。すぐに現世に影響を及ぼすものじゃなかったし、慣れない高校生活にこれでも結構削られてたんだ」


 そうあっさり言う晶だが、はいそうですかと簡単に納得できることでもない。

 人に仇成す妖魔を、あえて放っておいたというのだから。


「出る杭は邪魔になる前に打てばいい。たとえどれくらい出ようとな」

「そんな……それでもし何か起きたら……」

「何も起きてこなかったから今があんのさ。というわけで、監視者殿、あんたもそろそろ帰りな」


 晶はそう一方的に話を打ち切ると、大きく伸びをしつつ立ち上がる。

 とてもこれから戦いに行くとは思えない緊張感の無さだった。


「ちょ、ちょっと待って。私もついていくわ」

「ついていくって、この間懲りただろ?」

「別に懲りるような出来事は……無かったわけじゃないけれど」


 失禁を思い出して、顔を赤くする一姫。


「でも、無事だったわ。それに私は監視者で、貴方を監視する役目があって」

「今時、わざわざ毎回幽世までついてくる生真面目で無謀な監視者なんかいねぇよ。それに無事だったのは俺がいたからだろ」

「今回も貴方はいるでしょう」

「なんでそんな自信満々に他力本願できるの?」


 ドヤ顔で胸を張る一姫に、晶が渋々折れるまではそう時間はかからなかった。



 2人が晶のアパートを出る頃には時計の針は天辺を回っていた。

 一姫には直帰するための荷物を持たせつつ、晶が手にしているのはスマホだけだ。


「前回と比べて時間の開きがあるのは、それこそいつでも妖魔を祓えるからってこと?」

「ああ。あれくらいの時間でもいいんだけどな。でもこの恰好で出歩くのは目立つから」

「……はい?」

「この間のはいいの。春休みで夕方時だろうが人は多く出歩いちゃいなかったし。俺も女の身体になってたせいで他に着る服無かったし。監視者殿は来ちゃうし」

「私が悪いわけ?」


 ギンっと強く睨まれ、晶は肩を竦める。


「そうだ、監視者殿。なんかお守りとか持ってない?」

「え? お守り……あるけど……」

「じゃあちょっと貸してみ。念のためな」


 そう晶が手を差し出すが、一姫はその手をじっと見て固まる。


「なんだよ?」

「ねぇ、晶。貴方……本当に覚えてないの?」

「……?」

「……別に、いい」


 彼女は拗ねたようにそっぽを向きつつ、スカートのポケットからよくあるお守りを取り出す。

 赤を基調にした、随分とボロボロになったお守りだ。


「古いな……これ中身は?」

「何も入っていないわ。外側だけ」

「へぇ。最初から?」

「……ええ、そうよ」


 晶は興味深げにお守りを観察する。

 そんな彼の横顔を、一姫は殆ど睨むと表現していいほどに強く見つめていた。


「……ん?」

「ど、どうしたの?」

「いや、何でもない」


 晶は少しばかり頬を緩めつつ、お守りを両手で優しく包み込む。

 そして、その両手を祈るように口に当て、何かを小さく呟いた。


「…………」

「晶……」

「……よし。これでいい。監視者殿、これを持ってろ。こういう夜は肌身離さずな」

「ぁ……うん」


 一姫はどこか釈然としない、残念そうにも見える表情でお守りを受け取る。

 ほんの僅か、手渡しの際に触れあった指先の温もりを強く感じながら。


「この間のファミレスと同じだ。加護……なんて、偉そうな言葉を使うつもりはねぇけどよ。少し俺の力を分けた。そいつを持ってれば、仮に幽世に1人で置き去りにされてもなんとかなる程度にはお前を守ってくれるはずだ」

「そういうことも、できるのね」

「まぁな。怪我の功名ってやつだ」

「え?」


 思わぬ発言に呆気にとられる一姫だが、それに晶が応える前に――


「さぁ、お喋りはここまでだ」


 空気が、変わる。

 一姫にもそれははっきりと分かった。


「監視者殿。見ていたいなら、傍を離れ――てもいいか、お守りがあるしな」

「ううん」


 一姫は真剣な表情で一歩、距離を詰める。

 景色はそのままに、しかし人気……いや、生き物の気配が全て消えた町で、一度知ってしまったからこそ感じる恐怖を感じながら、それでも気丈に、硬い笑顔を浮かべる。


「しっかりと見ているわ。晶、貴方のことを」

「……ああ、了解」


 そんな彼女に、晶は苦笑しつつ肩を竦めるのだった。

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