第31話 エリシュオン・ゴーエンは

 わああぁぁぁ───…!!


 ムステトの後方より勝鬨が上がる。スニスヴェルカ帝国兵が歓喜に身や心を震わせ、勝利の歓びを全身で表す。

 ゴーエンは白みがかった思考でその雄叫びを耳にしながら、ぼんやりと上空を見た。


 先程まで全面灰色に覆われていたそこからは青空が覗き、ゴーエンの頭上にはポッカリとした穴が空いている。視界に映るのは深いながらも、絵画では絶対に表せないような透明感ある青。

 無様に転がっている今だからこそ、目にできた光景だろうとゴーエンは感じた。


(最期ぐらい、綺麗な空を見れて良かったな……。)


 ゴーエンは、薄らと開けていた瞼を閉じた。




「…ゴーエン閣下、エリシュオン・ゴーエン閣下。まだ意識は保ってらっしゃいますよね。」

「……、………なんだい、タルージュ君…。君、ちょいと無粋だよ……。」

「おや、死に体の方に叱られてしまった。」


 ゴーエンの真っ暗な視界の中で、「申し訳ありません。」と謝るムステト・タルージュの声が聞こえた。再度瞼を持ち上げようとしても、一度下ろしてしまった瞼は重かった。

 何だか耳鳴りがする。


「貴殿には色々お尋ねしたいことがあるのですが、それよりも先に…。そのままでは痛いですよね。止めを刺しますか?」

「……それ、普通僕に聞くかい…? いらないよ…。僕なんかには苦しみながら死んでいくのが、ごぼっ。…お似合いなのさ……。」


 ムステトより「そうですか。」という返答が返される。

 その口振りからは、「自分はどちらでも構わなかったが、本人がそう言うなら」という思考が透けてみえるようで、地に転がる男は苦笑した。ゴーエンは口端からも血を流す。


「はぁ、それでも…。嬲り殺しはやめてほしかったものだね……。僕はそんなに、弱かったかな……。」

「何を仰います、ゴーエン閣下。貴殿は強者で在らせられました。貴殿の剣技は精錬された素晴らしいものでしたし、自分に嬲る余裕などありはしませんでした。そも、そのような行為、自分の流儀に反します。

 幾ら貴殿の口からでも、そんな事を仰らないで頂きたい。」


 それにゴーエンは「世辞でも嬉しいよ」と返そうとして、やめにした。この魔法師がわざわざ優しい嘘を吐くような人間だとは思えなかったからだ。

 ムステトとの軍隊内での関わりは薄かったが、ゴーエンは入念な下調べによってムステトの大体のことは把握していた。出自、経歴、交流関係。そして剣を交えたことから鑑みて、ゴーエンは口を開く。


「君は…僕と、全力で戦ってくれたんだね…。」

「そんなことは当然です、閣下。己の戦闘方法が正攻法でないことは自覚しておりますが、閣下は自分の魔法を踏まえた上で対策を練って下さいました。予想外のことも多々ありましたが、だからこそ貴殿との闘いは大変楽しかった。それに応えぬ理由などありませんよ。」


 その言葉は、これから死に逝く男のほんの少しの慰めになった。

 ゴーエンの閉じた視界では今のムステトの表情は窺えない。それでも声の主が笑みを浮かべているだろうことは、簡単に想像が付いた。


「……タルージュ君、君は辛くなかったのかな…。異能者というだけで、ゴホッ。…人間兵器と、扱われて………。」

「辛い? いいえ。自分の根底は享楽主義ですので。心から嫌がっていた場合、現在この場に立ってはいませんよ。」

「国に首輪を嵌められ、管理され…。上に僅かにでも叛意ありと見做されれば……、…抹殺命令を下されると、してもかい……?」

「ええ。」


 ムステトの声色に偽りは感じられない。

 寧ろそれは楽しげですらあった。


 ゴーエンはふっと、自身の身体から力が抜けていくの感じた。

 

「…、……そうかい…。帝国はね…。異能者の有用性を、真に理解してしまったようだよ……。リフデン…いや聖教会も、君の存在を警戒している…。」


 ゴーエンはこれからも、人間同士の争いは落ち着くことはないだろうと考える。

 人は変わり、国は変わり、情勢は変わり続ける。

 『魔獣の脅威』という抑制力が薄まった今。スニスヴェルカ帝国に蜂起を企てる国はこの後も現れ続けるだろう。ユースルカ王国のように準備段階から邪魔をして、目論みを失敗に持ち運ぶことは難しい。


(被害を最小限にしようとしても、全然上手くはいかなかった…。)


 ゴーエンは、魔獣に翻弄されていた過去の方が平和だった節さえ感じた。ほんの僅かな、つかの間の平穏であった。


「………僕は、僕は。本当に駄目な父親で、駄目な、帝国軍人だったな……。娘との約束は破るし…、我が子可愛さに…帝国を、裏切ってしまった……。」


 刃向かう国々を我が母国は、武力でもって制するだろう。

 その武力に異能者たちの力は都合が良い。…あまりに都合が良すぎたのだ。


「…あの子に争いごとは似合わないから…。リフデンの方が良いと、思ったんだ………。同じ鳥籠でも、あそこなら…。血には染まらない……。」


 ゴーエンは次第に自分の意識が混濁していくのを感じた。うまくものが考えられない。

 舌が重いと思ったのは初めてで、それでも、これが最期かと思えば不思議と言葉は尽きなかった。痛みもぼやけて、何だか分からなくなってくる。


「本当に…最低で、卑怯なことをした……。…ああ、そうだ、タルージュ君…。名乗りの時、『卑しい』なんて言って悪かったね……。真に卑しい、と、言われるべきなのは…、僕の方だ……。」


 こんな自分を家族に見られなくてよかった。知られなくてよかった。

 でも、それと同時に家族に会いたいという気持ちが、ゴーエンの胸の中にぐずぐずと湧き上がってくる。死にたくない。死は怖い。まだ生きていたい。

 それが叶わないことは、一騎討ちが始まる前から理解しているつもりだった。


『お父様っ、これがお別れなんて絶対嫌です…! 約束して下さい。必ず生き延びて、お父様は私やお母様とまた会うんだって……!』


 あの子との約束は果たされない。それは、約束を結ぶ前から分かっていたことなのに。

 あの時はただ、ただ一心に。娘の涙を止めてやりたくて。


「…守れない約束は…、するもんじゃないね……。」


 けれども、“家族を守る”。その信条だけは貫けた。


 妻も、娘も。今頃は無事リフデンに着いているだろうか。

 あとは全て妻に託した。どうか二人には、長生きしてほしいとゴーエンは願う。


「………親ってのは…不思議なもん、だよね……。半分…血が繋がってるって、だけでさ……。子供に、何でもしてやりたく……、…なっちゃうんだから……。」



「──、────。───…?」


 いつの間にか周囲の音が、ぶ厚い壁に隔てられたように聞こえづらくなっていた。既にムステトの言葉でさえゴーエンは聞き取れない。しかしこの魔法師が、同情に類することを言っていないことだけははっきりと分かった。

 己が死んでも、ムステトは微塵も悲しまないだろう。


 ゴーエンはフッと笑った。

 それだから良い。悲しまれながら、憐れまれながら逝くのは柄じゃない。


「…ああ…でも……。ララ…は、妻似の美人さん、だから…。……変な虫、付かないか………心配だなぁ…………。」


 せめて、花嫁姿ぐらいは見たかった。



 その言葉は、ゴーエンの喉の奥に呑み込まれた。







 ────

 ───────────





「…わははは、帝国万歳!」

「ムステト・タルージュ万歳!」

「一番に酒と第六軍、ばんざーい!」


 肩を組んだ男達が乾杯をし、笑い合っている。それはスニスヴェルカ帝国がユースルカ王国に勝利を収め、その無礼講で第六軍全体に酒が振る舞われることになったからだ。

 陣営の東側を探し回れば上機嫌に木製ジョッキを傾けるフカ・マカライヤの姿や、酔った勢いで周りに新しい剣を自慢して回る、アンナという女性兵士の姿を見つけることが出来るだろう。


「なぁ、お前ら見たかよ。あの異能者の戦いぶり!」


 とある兵士が、どこか鼻息を荒くしながら話題を振った。彼が興奮しているように映るのは酒だけが理由ではない。

 近場の帝国兵らは、それに「当たり前だろ!」と笑顔で頷く。


「俺は遠目からでもよく分かったぜ。ありゃあ人間技じゃねぇってよ! 一騎討ちだってのに、まるで魔獣と人が戦ってるみたいだったぜ。」

「あれ、終わった後も凄かったよなー! 地面から突き出たヤツ残ったまんまなんだから!」

「あのタルージュとか言う魔師が敵だったらと思うと恐ろしいもんだけどよ、これが味方だってんだから、頼もしい限りだよ!」

「まっ、ちょ、いや大分? 戦い方はせこかったけど…、」

「ダー! それは言わないオヤクソクだろ!?」

「勝ったんだから良いじゃねーか! ほら帝国万歳、魔術師万歳、皇帝陛下万万歳ってな、わはははは!」


 酒が尽きても、夜遅い時刻になっても。彼らの笑い声は中々途絶えることはなかった。

 帝国兵のほとんどが勝利の余韻に浸っている、そんな中。

 





「ムステト、お前何で怪我をした!」


 ムステト・タルージュは人気のない場所に引っ張り込まれ、上官からの怒声をくらっていた。

 その時のムステトの格好は軍服の下のみを身に付け、上半身は緩い白シャツに包まれた姿。生地の下には、適切な処置を施された左肩の斬り傷がある。

 黒髪の男は苦笑を浮かべた。


「何でと申されましても…。大佐、戦場に怪我は付き物でしょう。前の負傷時にはそのようなこと…」

「お前にはんだっ。これからそれより深い傷を負った場合はどうするつもりだ。お前の命は、既にお前一人のものでは無いんだぞ! 子供を迎えたのならしっかり養う義務がある、無傷で帰還するぐらいしろ!」


 その言葉に珍しく、大分困ったような顔を覗かせたムステト。それはあまりに一瞬のことだったため、その間目を瞑ってしまっていたスミントスは部下の表情の変化には気付かなかった。

 尚もスミントスは苛立しげに腕を組んでムステトに怒鳴る。


「それに何より…、何だあの闘いようは! 何故普段通りに戦わなかった! お前なら一分も掛からず勝利することも出来たはず。それこそゴーエン閣下を氷漬けにしてな! あれで負けていたらどうするつもりだ。私が納得出来るよう説明してみろ! 手を抜いていたとか言った時には、流石に内臓吐き出すぐらい殴り続けてやるからな!」


 スミントスがきりきりと、袖に爪を立てながらそのように言った。本来なら掴みかかりたいところをこちらが怪我人であるために耐えているのだろう。

 しかしスミントスのかぼそい腕では、内臓云々よりも先に腕の骨が折れる方が早いのではとムステトは思った。


「まあまあ、落ち着いて下さい。順を追ってお話しますから。」


 その時にはもう取り繕った笑みを浮かばせていたムステトは、相手の腕から目を逸らしつつ弁明を図った。


「そも、自分が手を抜く筈がないでしょう。自分がゴーエン殿の腕も脚も凍らせなかったのは、単にその手段が不可能だったからですよ。あの方の魔力量は多かった。あの分だと、紅蓮隊の中堅魔術師並みはありましたね。」

「、なに…?」

「加えて、使用されていた長剣が妙でした。何度冷やそうとしてもが魔力を纏っていて弾かれましてね。最終的には地道な魔力押しで破壊することが叶いましたが…、あのような事態は初めて経験しました。」

「…。」


 オールバッグの男が眉をひそめ、顎に手を添えて考え込む。この時には既に、スミントスの鳶色の目は冷静な色を取り戻していた。


「……ゴーエン閣下が、そのような異能を得ていたと?」

「さぁ、何とも。少なくとも魔力の概念を知っておられましたね。しかし甲冑の方は一般的な鉄と大差なく、そちらを冷やすことは容易でした。断言は出来ませんが、あの長剣が特殊だったから故かと。」

「なるほど。お前が蹴り折った剣を放置しなかったのはそういう理由か。何故もっと早く言わなかった。」

「何処の誰が聞いているか分かりませんから。機会を窺っていただけですよ。」


 ムステトは更に、先日の奇襲はゴーエンによって謀られたものだったこと、魔法への対策をされていたことを上官に明かす。魔法行使の条件を幾つか知られていたことも報告すれば、スミントスの眉を驚愕に跳ね上げさせるには充分だった


「何処だ、何処から情報が漏れた…? 私の兵団が元である可能性は低いはず…。」

「ええ、おそらくはその通りだと思います。ゴーエン殿は『鉄』の件をご存知なかった。逆に自分が 『魔術を扱えない』ことは知っておられましたから、情報源は別なのでしょう。」


 後者の情報を知る者は、極少数に限られている。

 『ムステト・タルージュの側にいると武器が壊れやすくなる』ことを知っている者はそれなりにいるが、『ムステト・タルージュが魔術を使えない』ことには厳重な情報規制が入っていた。その情報を知るのは直々に規制の命を下した皇帝と、紅蓮隊、魔術研究所の一部の者たち。


 そしてムステト・タルージュの所属するローシンシャ兵団内では、本人であるムステト、スミントスを含んだのみ。


「レウィスが不確定要素だが…、何とも言えんな。アイツがゴーエン閣下に肩入れする理由が見つからん。」

「では、帰還した際に直接問いただしますか?」

「ド阿保、それはするなっ。……しかし、レウィスの指揮系統は複雑だからな。クリムゾルフ家からの命令であれば、或いは…。」


 スミントスは苦々しい表情で顔を歪め、コツコツと額を叩いた。それは疑いたくはない、という思考が滲み出るような仕草である。


「…、……取り敢えず、レウィスのことは様子見だ。もしアイツが秘密を漏らしていた場合、全ての情報が流れていないことの方がおかしい。」

「だから『直接問いただしますか』と聞いたのですが。」

「悪かったな察しが遅くて。だとしても、直接アイツに聞くような真似はするなよ。言ってしまえばこちらから“疑っている”と伝えにいっているようなものだ。」

「了解しました。」

「……。」


 あっさり頷いた部下の言葉に、スミントスが抱いたのは不信感。案外コイツは口が軽い。この様子だと、ポロッと何かの拍子に言うかもしれない。


 そのように思考している上官の訝しげな視線に気付きながら、ムステトは気付いていない振りをして「何か?」と真っ直ぐスミントスを見返した。それにスミントスは「いや…、」と部下の胡散臭い顔から目を逸らす。


「…その他に、閣下から聞き出せたことは無かったのか? 傍目からだと色々話しているように見えたが。」

「そうですね…。ゴーエン殿は最期までご家族のことを心配なさっていて、大佐に言うべきことは特に何も。ただし、破壊した長剣については『僕の家宝』と仰っていましたね。」

「ふむ、ゴーエン家の家宝か…。」


 スミントスは目を瞑りながらしばらく黙り込むと、「……覚えがないな。調べてみるか。」と小さく呟く。それを耳にしたムステトは、おや、と少し片眉を上げた。名剣の蒐集家であるスミントスが知らないとは珍しかった。

 

「その長剣の残骸は私が預かろう。壊してばかりのお前が持つよりも、私が所持していた方が得られる情報も多いだろうしな。」


 ムステトはその提案に了承を示しつつも、「研究所には送らないのですか?」と上官に尋ねた。それにスミントスは悩ましげな態度をとる。


「出来ることなら調査を依頼したいが…時期が悪いからな。他人に運搬を任せるのもまずいだろうし、今年の冬が明けるまで待つつもりだ。その折れた剣は、何もしなければ害も無いんだろう?」

「ええ、おそらくは。」

「おそ………。」


 スミントスは反覆しようとした言葉を途切れさせ、「だ、断言は出来ないのか…。」と眉を曇らせた。情けない表情がムステトに向けられる。


「な、なぁ。死ぬような目には、あわないんだよな……?」


 スミントスの語尾は震えていた。

 そのような上官の様子を目にしたムステトは、丁寧に、朗らかな笑みをその顔に浮かべる。


「スミントス大佐。うちの子曰く、“世の中に絶対は無い” のだそうですよ。なので起きてもいないことに断言など出来ません。次の春までに『おそらく』があった場合、大佐は一体どうなるのでしょうねぇ?」

「ぜ、絶対に私は死なないからなっ。何をしても、“生き残り続けること”が私の責任だっ。」


 そこで『何をしても』と言いながら、折れた長剣を「受け取らない」という選択をしないところが何よりもスミントスらしい。上官が心配しているような事態は十中八九起こらないだろうと予想しつつ、ムステトは暗い眼差しを細ませた。


「それでこそ、我らが大佐殿でいらっしゃる。」


 ムステトは何処か楽しげな声をこぼすと、近くの物陰へと視線を向ける。その方向からは人間が近寄ってくる気配がした。

 内緒話もここまでだろうとムステトは判断する。


「さぁ、スミントス大佐。陳腐で騒がしい、宴の席にそろそろ戻りましょうか。」


 帝国軍の勝利の夜は、そのようにして更けていく。

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