第30話 一騎討ちを

 両者にあった約十メートルの空間。その距離を先に詰めたのはムステトだった。

 荒野に結んだ髪が一直線にたなびく。

 ムステトは勢いのままに、目前の男に先制攻撃を行なった。ムステトの剣が斬り下げられる。ゴーエンの長剣はそれを弾き、二撃、三撃と続けられる剣撃を正確に受け流す。


 ゴーエンの防御は堅かった。柔和な顔に反してゴーエンの腕は酷く太く、掌も厚い。鍛えられた体幹は相当なものだろう。


 ムステトによる八撃目が振われたところで、ゴーエンはその剛腕を大きく振るう。横薙ぎの一閃。一歩踏み出しながら行われたそれは、ムステトの剣を強く弾き返す。

 衝撃により軽く浮いたムステトの腕。


 そこを見逃さなかったゴーエンが、ムステトの軍服を上から斬り裂こうとする。が、それよりも速く動くムステトの守り。

 何度か繰り返されるゴーエンの斬撃。ムステトはその軌道を躱しては邪魔をし、鍔迫り合いとなった。


 交差する両者の武器。互いの剣は、小刻みに押しては戻すを繰り返す。

 単純な力比べとなり、優位に立っているのはゴーエンの方だ。ムステトの左足が少しばかり後ろに下がる。

 

「君の剣は結構軽いね。お得意の魔法が使えないとやっぱり駄目なのかな。」

「さぁ。」


 ムステトが跳ねるように大きく飛び退き、ゴーエンはその跡を追おうとする。

 地面に着地した瞬間が一番の隙であると考えたゴーエンは、鋭い突きを繰り出そうと構えを取る。が、咄嗟にゴーエンは防御の姿勢へと剣の向きを変えた。


 ガキンッ、

 首前の長剣が何かを弾く。


 ゴーエンの目の前の転がったのは、中程から折れた一つの氷柱。

 その氷柱は途中までは指三本分程の太さがあり、先端はやすりで磨かれたように尖っている。それは長剣を盾のようにして防がなければ、ゴーエンの喉は潰されていたと瞬時に分かる代物だった。

 ゴーエンの額に冷や汗が伝う。


「…君の魔法は、飛ばすことは出来ないんじゃなかったかな。」

「出来ませんよ。それは投げただけです。」

「君の氷は暗器のようにも使われるのか。」

「防がれて残念。」


 ムステトは駆け出しながらそう呟くと、ゴーエンに再度斬りかかった。先程よりも重く素早い剣撃が行われる。右から左へ、下から上へ。縦横無尽に振われるそれを、ゴーエンの長剣は全て受け流し、防御する。

 二人の視界には火花が舞った。


 ムステトの胡散臭い笑みは段々と獰猛な表情へと変わっていく。それに対して、ゴーエンが浮かべる表情とは苦々しいものであった。


「君…っ、まともに剣を習ってないな…!?」

「少しは学びましたよ。殆ど自己流ですけど。」


 ゴーエンのこぼした言葉を拾いながら、ああ、今日の自分は普段より言葉が出る日だなとムステトは思った。今日は一人の獲物に集中しているし、他に気を配る必要もないからだろうか。

 新しい発見だ、と頭の片隅で考えながら、ムステトは地面より

 ゴーエンの死角から発生したそれは、直線上にある白い甲冑を貫こうとする。


「…、……! グッ……?!」

「しまった。退くのが早過ぎましたかね。気取られてしまった。」


 槍のような鋭き氷は、ゴーエンの脇腹を掠るに留めた。

 けれど先に怪我を負わせることが出来たのだから、それだけでも上々。そうムステトは思考する。

 今ので使った質量は、人間約一人分か。


「この鎧を抉るだなんて…! なんて強度の氷なんだ……!」

「貴殿に斬り込みながら操作するのは、結構大変でした。」


 滴る血とともに、白い破片が地面に散らばっている。甲冑は外側だけでなく中にも色は塗られていたらしい。ご丁寧、そして贅沢なことだとムステトは思った。


「君がこんなことも出来るなんて…。は、情報不足だったな…。」

「先日は一度使いましたが…、確かに多用する手ではありませんね。これは消費が少しばかり激しいので複数人を相手取る際にはあまり使わないのです。今回のような一騎討ちだからこそ、と言えるでしょうね。」

「今は相手に魔法を使うこと、出来ないんじゃなかったのかい。」

「さぁ。嘘を吐いたのかもしれません。」


 脂汗を滲ませながら、「お互い卑怯なことだね。」とゴーエンは強がった表情で笑った。





───


 一騎討ちは長期戦に持ち込まれた。


「……ッ、」


 剣撃が繰り返される。

 ゴーエンは防御に徹し、ムステトは攻撃する間を与えない。しかし一方で、ムステトも守りを崩す事が出来なかった。互いに決定打が決められない。


「…、ふッ…!」


 けれどムステトは、着実に相手を削っていることを確信していた。

 先程からゴーエンの出血量は増えてきている。合間合間に作られるムステトの氷がゴーエンの集中を乱し、今しがた投擲された氷柱の一つがゴーエンの腿に傷を付けた。

 あれが刺さってから、ゴーエンの動きは目に見えて悪くなっている。踏ん張りがきかないのだろう。


「…クッ、君は一体ッ、いくつの氷を作れば気が済むんだい……!」

「それはもちろん、貴殿を殺すまで。」

「君の魔力は無尽蔵か…!?」

「保有量には自信があります。」


 現在二人の周りには、大地から突き出した氷塊がいくつも点在していた。その総量は人間五、六人分を優に超える。

 ムステトとしてはそれらを躱されたことが悔しくてならない。初撃以降は全て回避されてしまい、ムステトは己の未熟さを痛感するばかりだった。媒介となる水があれば。そんな無いもの強請りが頭を過ぎる。


 ムステトの氷は媒介が無い場合、一度に対し人間の男三人分の質量を生み出すのが限界であった。

 しかしその質量を小分けにすれば、魔法の連続使用は可能である。その連続使用も酷使が過ぎれば上限を超えてしまうが、現時点でムステトの魔法は質量上限に至っていなかった。


 傷を増やした今ならば、攻撃を的中させることが出来るだろうか。


 ムステトがそのように思考した時。ゴーエンの翡翠色の瞳には、ムステトの思考を読んだかのように強い覚悟の光が宿る。

 刻々と、体力の限界が近付いていることはゴーエン自身も自覚していた。このままでは防御が崩され押し負ける。

 それではあの子との約束が守れない。


『絶対、絶対お父様も一緒に……!』


 別れ際に見た自分譲りの色彩と、潤んだ瞳を思い出す。


 だからこそ、痛む身体を鞭打って。

 起死回生の一手を創り出そうと、ゴーエンは力強い一歩を踏み出した。ゴーエンは足裏全体で大地を踏み締める。


「ぐウッ……!!」


 左手を犠牲に、ゴーエンがムステトの刃を受け止めた。裏切り者の血が辺りに飛び散る。


 男がとるは突きの構え。

 雲の裂け目からは太陽が覗き、ゴーエンの長剣が日光の反射によって白く煌めく。磨かれた剣身が魔法師に急行する。右手が押し出すは心臓を狙う軌道。


「、ッ!」


 残像が見える程の速さに、ムステトは目を見開く。飛び退いたとて間に合わない。

 光の帯が形作られた。


「がぁあああああああああああ!!」


 一閃。


 それはエリシュオン・ゴーエンの、人生最速の一撃であった。












 地面にムステト・タルージュの血が染み込んでいく。






 白き刃が、荒れた大地に突き刺さる。







「なんてことだ…。氷で軌道を逸らすばかりか、蹴りで、僕の家宝を折るとはね……。」

「流石に死ぬかと思いました。」

「何を、言うんだい……。君が負ったのは、結局かすり傷一つじゃないか……。」


 顔に皺を寄せたゴーエンが、悔しげな表情を浮かべながらムステトに唸る。

 左肩から血を流すムステトを睨みながら、ゴーエンの右手からは、半分程の長さになった元長剣が滑り落ちる。それは柄から落下した。



 ゴーエンによる刺突を、足下から発生させた氷で何とかずらしたムステト。

 長剣のあまりの速度に完全なる回避は敵わなかったが、あそこまで速く氷を生成出来たのはムステトにとっても初であった。あと僅かでも遅ければ、間に合わなければ。ムステトは間違いなく致命傷を負っていたことだろう。


 そうして傷を受けつつも、ムステトは充分に冷やせた長剣の腹を狙って蹴りを入れた。長剣が真っ二つになり、ゴーエンが驚愕に目を見開いたその直後。最初に破壊した甲冑部分をなぞるように振るわれたムステトの剣。その攻撃は、ゴーエンの内臓に浅くない傷を付けた。

 白い装備を塗り替えるような出血量。腹から溢れ出る血液は、先程までの比ではない。


「ああ、まったく…。寒いな…。」


 ゴーエンは小さく呟き、背中から倒れた。



 一拍空いた後。

 帝国側陣営からは歓声が響く。


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