第29話 逆賊の男と

 一騎討ち当日は、どこか冴えない曇り空だった。

 頬を撫でる空気は乾いており、雨粒が落ちてくるような気配はない。砂を巻き上げることもできない風が、軍旗を少しばかりたなびかせる。


 ユースルカ王国、スニスヴェルカ帝国。

 両陣営が曇天の下に兵を揃え、それぞれ笛や太鼓を掻き鳴らせる。士気を鼓舞するための低い雄叫びが辺りの山々に木霊していき、それに驚いた鳥の群れが仄暗い空へと飛び立っていく。


 ムステトは緩い風に髪を揺らしながら、その正面へと視線を向けた。

 そこ立つは四十代半ばに見える武人の男。

 白塗りされた甲冑を身につけ、全体的に黒いムステトと向かい合う姿は対比的だ。頭の防具から覗くのは淡い薄緑の細やかな髪。その男は成してきたことに反して、穏やかそうな顔立ちの持ち主だった。


「こんにちは。案外こうして、話す時間があるものなのですね。」

「ははは、一騎討ちは初めてかな。」

「ええ、そうなんです。そちらはどうなのですか。」

「実を言うと、僕も初めてなんだよね。一騎討ちをやるのは僕のかねてよりの夢だったんだけど、そもそも情勢的に、戦をやれるだけの国って何処も少ないだろ? 小さい国だと魔獣の対応に手一杯だったりする国も多いからね。

 僕が君くらいの頃は帝国もバタバタしてたし、歴史書か物語の中ぐらいでしかあり得ない話だった。だからこうして、やっと念願叶ったところが今なんだよ。」


 声色、口調。共に穏やか。今から殺し合いが始まる人間同士での会話とは、まるで思えない程の落ち着き具合である。

 その間にある距離は十メートルばかりか。


「それにしても、互いに馬を用意しない一騎討ちになるとはね。憧れていた頃には予想だにしなかった展開だな。」

「もうこれでは“一騎”ではありませんよね。そも、少将と中尉で行う一騎討ちなど他では聞いたことすらありませんから、今更と言えるものでしょう。」

「ははは、確かに。君も魔法師だし、今回は異例尽くしということだね。」


 男がえくぼを浮かばせながら朗らかに笑う。


「それじゃあ僕は、歴史に名を残すことになるかもしれないんだなぁ。」


 その目元には何やら寂しげな色が混じっていた。

 ムステトはそれに気付きながら、男が持つ武器へと視線を向ける。


「ゴーエン閣下、貴方は何故馬を用意しなかったのです? 騎乗することによって、貴殿の長剣は更に活かされると思うのですが。馬術もお得意だったと耳に挟みましたよ?」

「まぁ…、言わせてもらうとすれば君のためかな。君は馬を持っていないだろう? 乗ったという話を僕は一度も聞いたことがない。今回もケチなスミントス君は、せっかくの晴れ舞台でも君に馬も鎧も用意してくれなかったのかな?」


 それにムステトは、正面の男へ少しばかりの苦笑を作る。


「何を言いますやら…。自分は馬との相性が悪いのですよ。大佐はそのことを分かってくださってますから、改めて用意する必要もないというだけの話です。大佐が狭量だから、という理由ではありませんよ。」

「相性が悪いというのは…、それは君との性格の話かな。それとも魔法の話かな。」

「さぁ、どちらでしょう。」


 戯けたように、肩を竦ませながらムステトは答える。


「確かに馬に近付くと怯えられてばかりで、まともに触った覚えはあまりありませんね。今回貴殿が乗って頂けていたら、目前で証明することも出来たかもしれません。自分は気にしませんので、貴殿は今からでも用意しますか?」


 逆賊と呼ばれる男は、それに深く溜息を吐いた。


「やっぱり…、君との戦いに馬は用意しなくて正解だったね。

 実を言うと、僕は知っているんだよ。君が馬上の敵は、先に馬の足を凍らせることによってから討ち取っていることを。」

「おやまぁ。そうでしたか。」


 ムステトはなんてことない様子で返事を返した。

 男が語るその内容は、紛れようのない事実であった。戦場は周囲からの目があるために、その情報を手に入れるのはさぞ簡単だったろうとムステトは思う。


「馬の機動力を持ってしても、そもそも落馬させられたんじゃ意味がない。振り落とされ方によっては、僕はその時点で命を落とす可能性がある訳だ。

 そんな風に僕の人生終わったんじゃ…、ほら、こんなにみんなに見られてる中だよ? 死んでも死にきれないよ。」


 そのゴーエンの腕が指し示す先は帝国側陣営。

 先程からゴーエンは、一度も後ろを見ていなかった。自身を応援するユースルカ陣営の方を男は全く振り返らない。

 この会話は距離もあるために、声援に紛れてどちらの陣営にも届かないだろう。


「…ゴーエン閣下。貴殿は何故帝国を裏切るような真似をしたのです? 貴方、ユースルカ王国のことをそんなに好いてはいませんよね。自分には謀反をする理由が見つかりませんよ。」


 尋ねてくるムステトに対し、「そうだよ。僕はユースルカの奴らが大嫌いだ。」とゴーエンは言った。

 腐ったものを口にしたような顔をして、「僅かにでも帝国に勝てると思っている、図々しいところも浅はかなところも大嫌いだ。」とまで白い甲冑の男は吐き捨てる。


「でも、聞かなかったかな。僕は帝国のやり方についていけなくなってしまったんだ。だから僕は僕のやり方で帝国を守るし、自分の信条を突き通す。

 どんなに汚い手を使い、どれだけ関係のない人たちを巻き込もうとね。」


「昨日のサプライズは楽しんで頂けたかな。」と逆賊は、その顔に似合わぬ不敵な笑みを口元に浮かべた。


「ユースルカの兵はどれも弱かっただろう? 元々、奴らに君の首が取れるとは思っちゃいなかったさ。それでもさ、君の魔力を削るには充分だったんじゃないかな。」

「……。」

「これでも最後の一騎討ちぐらいは勝ちたいもんでね。ああいう手を使わせてもらった。自分の娘と変わらない男の子相手でもさ、結構必死なんだよ。巻き込んでしまった帝国兵たちには、とても申し訳ないと思ってる。」


 眼差しに強い感情を宿しながら、一つ一つ、ゴーエンは確認するように言葉を紡ぐ。


「タルージュ君。君は魔法師だ。魔術師と違って詠唱を必要としない代わりに、異能の行使には厳しい条件がつけられている。

 君は『自分から遠く離れた位置から氷は生み出せない』。使う範囲の制限があるんだよね? 君は紅蓮隊の魔術師のように生み出した現象を浮かばせることも、飛ばすことも出来ない。あくまで『氷を作る』だけ。加えて、君が精霊語を使って火の魔術を扱うことも不可能だ。

 他にも制約はあるようだよね。馬や防具の件もその一つ。…違うかな?」

「ええ、まぁ。否定はしませんよ。」


 ムステトはその両目を弓なりに細める。魔法師の取り繕った笑みが少しだけ崩れた。


「更に言うなれば、自分は人の魔力量というものを計ることが出来ます。目標が『自身より三分の一以下の魔力量』の場合、その生物に魔法を使用することが可能です。しかしのおかげで、貴殿にその手は難しいようで。」

「君お得意の絡み手は、封じられたということで良いのかな。」

「拙い剣術なりに努力させて頂きます、とだけ。」


 その時。両陣営より、特徴的な笛の音が伸びやかに響く。

 これは名乗り合いをせよ、との合図であった。兵士らの野太い声が次第に鎮まっていく。



 先にゴーエンが鞘から長剣を抜き出し、剣先を天へと向ける構えをとった。

 その剣身は傍から見ても隅々まで磨かれており、本日の天気とは真逆なくらいに澄み渡っている。曇りなき刃だ。


「…我はゴーエン。ユースルカ王国の先頭に立つ、逆賊のエリシュオン・ゴーエンなり! 帝国の卑しき異能者よ、お相手願おう!」

「スニスヴェルカ帝国第六軍、ローシンシャ兵団所属ムステト・タルージュ。若輩者ながら、貴殿の首を狩れますよう健闘させて頂きます。」


 黒髪の男は名乗りと共に一礼をしてから、裏切り者へと刃を向ける。

 そして上官には止められていたがこれぐらいは良いだろうと、目の前の一人にしか聞こえない声量でムステトは付け足した。


「それと、自分は死後死神志望の魔法師です。折角ですし、是非お見知り置きを。」


 その言葉にゴーエンは、少し変な顔をして長剣を構える。


 そうして、白と黒。

 相対する二人による一騎討ちが、力強い銅鑼の音と共に開始された。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る