第28話 全方位に向け

「だ、堕獄なんて。なんてことを…。」


 たかが「地獄に堕ちる」と言われたぐらいで、何をそんなに動揺しているのだろう。そちらも相手に向けて『地獄に堕ちてしまえ』と言っていただろうに。

 スニスヴェルカには紅蓮隊や蘇芳隊があるのだし、勝手に帝国兵にはリモデウス教徒はいないと思っていたのだが…、案外そうでもないらしい。それとも「地獄」の概念とはそこまで強いのかと、ムステトは内心首を捻った。


「なぁ、『悪い』って何だ。俺達は正しい事をしてる。間違ったことなんて微塵もしちゃいないだろ。」

「おまっ、将校になんて口の聞き方…!」


 何処ぞの下級兵が刺々しい態度で声を上げる。

 ムステトがそれに気分を害することは特にない。飄々とした格好のまま、その下級兵へと身体を向ける。その者は少年とも呼べそうな外見をしており、ムステトには新兵のように映った。


「いえね。自身の行為を棚上げし、そのように罵倒しているのは流石にどうかと思いまして。

 …まぁだからと言って、自分にそこに転がっている人を庇うつもりもないのですが。」

「じゃああんた、さっきからどっちの立場から言ってんだよ。」

「自分は自分の立場から主張しています。立ち位置にどっちも何もありませんよ。」


 ムステトは「というか、」と肩を竦めながら、眉を吊り上げている兵士に対し皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「逆に聞きたいんですが、何故貴方達は自身の立場をそんなに正当化したいんですかね。殺人行為は悪行である。と、何処のご宗教様も言ってらっしゃいますよ。」


「俺は悪行なんかしてない。悪いのは敵だ。敵が悪なんだよ。俺達は敵兵を斬っただけで、国を守るため、そして国にいる自分の家族を守るために…!」

「それは死んだ彼方あちらさんだって同じ筈なんですよ。例にあげるならば、確かリモデウス教では『愛する人を守るためだけに武器を振え』とかいう一節がありましたよね。あと、『大義ある刃は悪ではない』とか、『身勝手に人の未来を断つ行為は悪である』…、とか。」


 ムステトが数えるように一つ、二つと黒手袋に包まれた指を折る。

 そして目を細めた男は、その口に三日月のような形を描いた。


「それ、彼方さんが同じことを思っていた場合どうするんです? 帝国を悪だと定義付けられていたとしたら?」

「は…?」


 反抗的な態度の下級兵が、理解出来ないといったように眉を顰める。周りにいる他の兵士らも同様だった。

 おや。彼らは一度も考えたことがないのだろうか。

 それを見たムステトは腕を大きく開き、芝居かかった仕草で言葉を紡ぐ。


「ならばどうぞ、想像してみてくださいよ。

 貴方達には残してきた家族がいますよね。友人がいますよね。恋人がいますよね。その方々と交わした会話、言葉、声、顔つき、仕草、姿。思い浮かべたそれらを全て頭に留めた上で聞いてみてください。


 貴方達はリモデウス教の影響なのか、敵方を罵倒する際に何かと『獣以下』と称することが多いですよね。あの宗教では『魔』及び『獣』を殺すことは罪ではないとされていますから、おそらくはそれを元にしているのでしょう。


 けれど、貴方達に武器を向けてきた彼らは本当に獣でしたか。人間じゃありませんでしたか。四足歩行でしたか。翼がありましたか。尾がありましたか。鱗がありましたか。家族友人知人達と、似たような人間の姿ではありませんでしたか。

 彼らは言語を交わしていませんでしたか。互いを庇い合う姿は見ませんでしたか。名を呼び合う姿、悲鳴を上げる姿、仲間の死を嘆く姿を見ませんでしたか。


 彼らは自分達と何ら変わらない、感情ある人間であったと。そのように思い当たる節はありませんか。」


 ムステトは歩くたび、己の背中で結んだ髪が揺れるのを感じた。

 そろそろこの髪も切り時だろうか。頭の片隅でそんなことを考えられるぐらいには、ムステトの思考には余裕がある。

 だが一方で男は感じない。己の言葉によって空気が酷く澱んでいくのを、ムステトは気付いた上でなんとも思わない。


「死んだユースルカの方々にだって家族がいたでしょう。子がいたでしょう。友人がいたでしょう。恋人がいたでしょう。各々が残してきた約束だってあったでしょうし、生き残れば続くであっただろう日常や未来もあった。

 彼らには彼らの人生があったんですよ、我々と同じように。


 しかし、我々によってその未来は摘ままれた。日常は途切れ、約束は永遠に果たされず、死に目にも会えずに残される遺族、友人、恋人。ほら、全てを踏まえた上で考えてみてください。

 そのように生を潰された彼らはどう思います? 彼らから見て我々はどのように映りますか? 正義ですか。悪ですか。守りたかったものを壊され殺された彼らから見て、我々はどのような存在ですか。


 ねぇ、貴方はどう答えるんです? 恨み言を吐く彼らに対して、貴方は先程と同じように『お前らが悪であったから』と言えるのですか。幾ら取り繕ろうとも貴方が人間の命を奪い、殺人という悪行を犯した事実は何も変わらないと言うのに。」

「…ッ、」


 正面から尋ねられた下級兵は動揺したように息を詰め、ムステトから目を逸らした。

 視線を下へ向けた彼は汗の滲んだ自分の掌を見つめる。震えるその右手には、少し乾いた血がこびりついていた。彼は左手で擦る。落ちない。擦る。落ちない。赤黒いそれが、ずっと消えることはない。

 下級兵の顔色は段々と悪くなる。彼はそれでも、こびりついた赤を擦り続けた。


 ムステトはその様子を少し半目になって眺めては、呆れた感情を吐息と共にこぼす。


「…自分の言葉で揺らぐ、貴方が主張した正当性なんてそんなものです。

 戦場で我を通し、生き残りたいのならば『そんなもの知ったことか』と切り捨てれば良いんです。確固たる信条や信念、目的を持つ者ならば、この程度を聞いたぐらいで殺意も覚悟も揺らぎはしません。


 まぁ、己が殺されかかっていたのだからしょうがない。殺さなければ己が死んでいたのだからしょうがない。命令だったのだから仕方がないと、湧き出る罪悪感とやらから逃れることだって貴方達には可能な筈です。

 実際、事実その通りなのですから、そこに間違ったことは何一つありません。」


「しかし、」と前置き、ムステトはついに固定された表情を完全に消した。面とも称された笑顔が外される。


「これは自論ですが、殺人という行為から目を逸らし続けることは、奪った命、人生に対してとても不誠実な行為です。例え貴方達が殺した相手を忘れたとしても、殺された人間たちは我々のことを忘れも許しも決してしない。

 彼らは殺害者が命を落とす瞬間を今か今かと待ち構え、殺害者が本当に死んだその日には、満面の笑みを浮かべて歓喜に沸き立つのかもしれませんね。」


 ムステトは血の気のひいた帝国兵らにそう締め括ると、背後を振り返り「ねぇ、聞いていますか。」と、土の上に横たわるザークーラスに視線を向けた。

 その時には、ムステトの表情はいつもの笑みに戻っている。

 

「そこの捕縛されたユースルカの指揮官さん。貴方は先程、自らが率いてきた兵について『無駄死に』『役立たず』と散々罵っていましたけど、自分にとって彼らの死は無駄ではありませんでしたよ。

 むしろ彼らは誇られるべき兵士だった。彼らは自身の役目をまっとうし、強い覚悟のままに死んでいった。最期まで勝つことを諦めなかった者もいましたし、死の間際、貴方の名を呼んでまでいた素晴らしい忠義心を持つ方もいましたよ。」


 自由に身動きができぬ男へ、ムステトは一歩ずつ大股で歩み寄る。そして血に濡れた軍靴は、男の鼻を踏み潰す寸前で止まった。


「ヒィッ…!」

 ザークーラスの目先に剣が突き立てられる。切れた睫毛がぱらりと落ちた。


「けれど、それを指揮官である貴方が一番に貶してどうするんです? 死んだ彼らに失礼が過ぎると思いませんか。貴方はどのように彼らを扱ったんです? 兵のことをどのように考えていたんですか。是非お聞かせ願えませんかね。」


「分かった、謝るっ! 悪かったっ! 金も払うし謝るからぁ゛…!!」

「こちらに謝罪してどうするんです。しかも金を払うなどと…、自分の言葉が分かってもらえていない証拠ですね。どうしましょう…。答えることが難しいのであれば、死んだ兵の顔を一人一人確認しながら話しますか? 自分も手伝いますから。」

「あ、あぁああ゙あ゙……っ!!」


 こんな事ぐらいで叫ばれても。

 ムステトに悲鳴を聞いて喜ぶ趣味はなかった。元よりムステトは至近距離での大きい音があまり好きではない。断末魔の叫びなら構わないが、殺さぬ相手からわざわざそれを発声させる道理などなかった。

 だからムステトは、この男に殴る蹴るなどの直接的な暴行を与えてこなかったというのに。


 獲物てきには出来る限り平等に接するようにと常に考えているムステトであったが、ここまで殺す気が失せたのも久しぶりだと感じた。


 殺さない敵に、礼儀を払う必要はないとムステトは考える。敬う価値のない者は記憶に残しておきたくない。そして、この者を殺した時点で憶えるという責任が生まれてしまう。

 だから殺し憶えたくないという発想に至るのは、自分もまだまだということか。


「はぁ…。」


 それは、ムステトが自身へ向けた溜息であった。



 途中で余談を挟みつつも、自身の狩った命を『無駄だった』と言う口を止めることが出来たムステト。代わりに煩くはなったものの、ムステトのとりあえずの目的は達成された。

 兵士らの心を抉ったあの語りも、ムステトにとっては気紛れに口に開いたに過ぎない。本人としては兵士達を叱るつもりも説教をしたつもりなく、ただ何となく自論を述べただけ。


 だがこの男。好きに場を荒らしておきながら、後のことは全く考えていなかった。





「…テトー、ムステトーー!」

「あ、大佐。」

「何をしているー! そいつを殺すなーー!!」


 ムステトが聞き覚えのある声に振り向くと、そこには守備隊に囲まれたスミントスが遠くから叫んでいた。スミントスはぎこちないながらも自力で馬の背から降りると、人垣を掻き分けてこちらに駆け寄ってくる。それに対し、ムステトは笑みを浮かべてこう述べた。


「大佐。明日の一騎討ちの名乗りなんですけど、『死後死神志望の魔法師』ってどう思います? やはり言いづらいですかね。」

「は?? お前ついに、頭の蛆に脳を全部食われたか。」


 ムステトは上官の言葉に「おや、酷い事を仰る。」と肩を竦める。スミントスからの罵倒は、ムステトにとっては耳慣れたものであった。


「酷いのはお前の頭とその性格だ。……だいたい、この場の者達に何を聞かせたんだ? 周りの兵士達の顔が暗いな。また何か士気が下がるような事を言ったんだろう。お前はいつもいつも味方への配慮が無さすぎる。士官学校で一体何を学んだんだ。」

「そうですね。自分が得意としていることは前線での斬り込みであって、指揮官には向いていないということでしょうか。不出来な部下ですみません。」

「はぁ〜〜……。」


 スミントスは大きく落胆の溜息を吐いた。


「お前の“殺した相手”を慮るのが、あと二割でも味方に向けられればな…。」

「ふむ…。一割でも少々難しいですかね…。」


 考えるように顎に手をかけ、首を捻りながらぼそりと呟くムステト。

 それにスミントスは青筋を立てる。


「ッこの阿保! 自分で言うなクソ魔法師が!」

「おや大佐、どうしたのです。クソなどと…、レウィスの口調が移っておりますよ。それともこの場に本人がいないからと、レウィスの真似ですか?」

「…カアーーーーー!!!」


 直属の守備隊兵士が「大佐、大佐、どうかお鎮りに…!」と、苛立ちを噴火させたスミントスを宥めにかかる。




 …このように幕を閉じた、帝国軍東側陣営で発生した奇襲騒動の後のこと。

 スニスヴェルカ帝国第六軍団長サーキシスは、奇襲攻撃の一件について『あれは一部のユースルカ兵の独断によるものであった』と今回のことばかりは不問とし、ゴーエンからの一騎討ちの申し出は受け入れる姿勢をとった。


 襲撃の翌日。

 事実、ザークーラスの言った通りに、一騎討ちは行われることとなる。


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