第27話 前座を

 それからムステトが周囲を歩き回り、新たなユースルカ兵を見つけるよりも早く。とある方向から声が上がった。


「敵指揮官を捕らえたぞー!」

「おおー!」

「やったぞー!」


 ユースルカによる奇襲騒動は、他の師団から増援が来るよりも前に決着がついてしまったらしい。まだ陽も暮れていない。ムステトが予想していたよりも早かった。


 周囲からは武器を掲げて歓ぶ帝国兵らの歓声が響く。その中からはよく聞けば、マカライヤの野太い声も混じっていた。

 己の周りに一番多く敵が集まっていたと思ったのに、大将首は別のところにあったのか。

 知らず知らずのうちに違う方向へ向かってしまっていたムステトは、先を越されたなと思いながら、周囲の警戒だけは怠らずに人が駆け寄る方へと歩を進めていく。


「…い、俺じゃないっ…!」


 帝国兵の囲む中心からは、苦しそうに喘ぐ男の声が聞こえてくる。


「俺の指示じゃ…、そうだ、これはゴーエンの指示だったんだ! だから、だから俺は悪くないっ。俺じゃない、指揮したのは俺じゃないんだ…!」

「お前今さら何を言ってるんだ? いい加減諦めろ。」


「ついさっきまで名乗りを上げてたのはどこのどいつだ。『俺こそはザークーラス、ユースルカの英雄になる男だ』だとか言ってたのはてめえだっての。」

「何人もこっちの兵殺しやがったくせに。」

「見苦しいやつだな…。」


 どうやら敵指揮官が捕縛されても喚き続け、騒いでいるらしい。

 ザークーラス…。あの壮年のユースルカ兵が最期に言っていたのと同じ名前であった。あんまり煩いのならば、倒れた天幕でも噛ませて口を塞げば良いだろうに。


 しかしまぁ、これである意味良かったのかもしれないとムステトは思った。

 己が相手をしていれば、ザークーラスとやらを捕縛せずに殺していた可能性の方が高かった。そうなると情報が何も聞き出せなくなっていただろう。こうして生かすことで、帝国にとっては有益な獲物てきもいたりする。

 残念だがここは堪える時だろう。死体に口と舌と歯はあっても、声と言葉はないのだから。殺したら後々面倒になる。


 ムステトは帝国兵たちの輪の中へ入ることはせずに、また辺りの散策をしようと歩きだした。まだ何処かで息を潜めた敵兵がいる可能性があるためだ。

 捕虜になると投降してくる者もいるだろうが、未だ戦意の削がれていない人間ならば狩っても構わないだろうとムステトは考える。指揮官でもない反抗的な人間を無理に捕虜にしても、下手が過ぎればレウィスの二の舞いになるだけだからだ。


「あっ、タルージュ中尉。お疲れ様です。」


 そんなことを思考をしていた時、ムステトはこの場にたむろしている兵士の一人から声をかけられた。

 視界に映るのは正確に範囲外丁度に立っている、自身より歳上に見える男性兵士。しかしそこに立っているのは偶然かも知れず、彼の装備が汚れ過ぎて確信が持てない。


「あ、いや、すいません。作戦行動中は小隊長って呼ぶんでしたね。」


 その言葉によってムステトは、ようやく目の前の男が自身の小隊に所属する下級兵だと認識する。


「…ああいえ、こちらこそ。お疲れ様です。貴方随分汚れてますね。そちらの首尾のほうは?」

「まあまあ、ってとこです。敵襲の間にかすり傷作ったヤツは何人かいましたけど、死んだヤツはゼロでした。」

「…一応聞きます。ゼロという方が死にましたか?」

「あ、いや、違います。死んだヤツはいませんでした。」


 ムステトはこれでも頓珍漢な会話をしていることは自覚している。

 しかしながら小隊には百人近くいる上で殉職、脱隊による人員の入れ替えが激しい中、人間一人一人を記憶することの方が難しいというのがローシンシャ精鋭歩兵部隊内での実情なのである。


 更に補足するとすれば、スニスヴェルカ帝国は大陸でも有数の多民族国家。領土も広く、数の『0』を表すだけでも南が「ゼロ」、北が「れい」と差が出てくるのが帝国であった。基本は北寄りの言い方が主流となるが、どちらを使っても通じなくはない。

 しかし、『ゼロ』という個人名を持つ者が絶対にいないとも言い切れないのが帝国であるため、先程のムステトは念のための確認をとったのだった。

 お国柄とは言え、紛らわしい限りだとムステトは思う。



「現在他の隊員は?」

「今は分隊ごとに別れて辺りを見回ってるとこです。俺んとこの分隊のヤツらは指揮官捕まったことを知らせに走ってて、もう少し経てば戻ってくるんじゃないですかね。」

「流石ですね。行動から大佐の教育の良さが窺えます。」

「いやいや。スミントス大佐だけじゃなく、レウィス…とタルージュ小隊長のおかげでもありますよ。」

「自分の名がレウィスより後とは…。貴方分かってますね。」


 スミントスの名や、今回出兵していないレウィスの名前が出たことで、ムステトは男に対する警戒を半分緩めた。ムステトの冗談混じりの言葉に男は苦笑している。その対応からは慣れた態度が透けて見えた。


「見た感じ、鞘と剣があってないですけどまた折ったんですか。」

「ええ、折りましたね。」

「どうするんですか。」

「大佐に正直に言って怒られてきます。」

「頑張ってください。」


 ムステトが歳上の部下とそのように話している間にも、捕縛された敵指揮官は喚くことをやめなかった。


「俺は悪くないっ、これは違う、俺の理想の俺じゃない…。これはきっとゴーエンの奴に仕組まれたんだ…! ここの情報だって洩らしてたんだ、だからぜったいにそうなんだ…!」


 ゴーエンとは…、確か帝国を裏切った元少将か。軍団長から伝えられたムステトの一騎討ち相手の名前である。この分だと翌日に予定されていた一騎討ち自体無くなるのだろうか。

 ムステトはそうなった場合を考え、少し残念な気持ちになった。


 この敵襲に気付く前まで、翌日に備え少しでも魔力消費を抑えようとする程、ムステトは一騎討ちのことを楽しみにしていた。天幕でマカライヤに「酒に氷を」とせがまれた時も、正直言えばそれに使う魔力でさえ惜しんでいたくらいだ。

 まぁ、先程までの戦闘によって、その時節約しようとしていた分の十倍の魔力は使ってしまっていたのだが…。

 …、……?



「一騎討ちは絶対に行われると決まっているんだ。決定事項なんだっ。だからヤツの一騎討ち相手を暗殺することで俺は英雄に…!」

「…一騎討ちとか何とかって、さっきからあいつ何言ってるんだ?」

「そんなの俺たち聞いてないぞ。」

「ただ単純にこいつの頭がおかしいだけじゃないか?」


「違う、俺はおかしくなんてない! 明日あるんだ! ゴーエンが行う一騎討ちは絶対にある! やると既に決まっているんだ…!!」


 敵指揮官ザークーラスの声が辺りに響きわたる。

 一方、一騎討ちの情報を回されていない周囲の帝国兵たちは、互いに首を傾げ合うばかりであった。




「……。」

「…えっと、小隊長。どうしたんです? いきなり黙り込んで…。」


 突然普段の笑みも浮かべずに無言になったムステト。

 それを見た小隊隊員が訝しげな様子で尋ねてきたが、ムステトはそれに明確な返答を返さず「……やられた。嵌められたかもしれません。」と呟いた。


「え?」


 意味が理解ができなかった小隊隊員は何のこっちゃ?と、疑問符を浮かべる。

 その間にザークーラスは、次第に自身が率いてきた兵に向けて悪態を吐くようになった。


「くそっ、捨て駒風情のくせにっ。あんっの役立たず共めが…! あいつらが全て悪いのだ、俺は悪くない。悪くないのだっ。全部『標的』も殺せずに無駄死にした、あの無能共が悪いのだ…!」

 

 ザークーラスは死んだユースルカ兵に対し、「俺を助けることも出来ない奴らは、全員地獄に堕ちてしまえばいい…!」とまで罵倒する。

 そんな捕られた敵指揮官の様子に、周りの帝国兵たちは完全に引いていた。


「無駄に命を散らして、救いようのない馬鹿ばかり…! これだから平民は…!」




「……、」


 ムステトは再度人集りの方へ顔を向けると、口元に通常時のような笑みを浮かべ始めた。そしてその魔法師はつらつらと言葉を紡ぎ出す。


「ここまできたのなら明日の一騎討ちの件、是非とも実行して頂きたいものですね。こんなに大掛かりな布石を用意されたのは初めてです。ゴーエン殿とは是非とも一戦交えてみたい。」

「はい? あの、何言ってんで…」

「あと、あいつの不快な言葉黙らせてきます。」

「……えっ、今『あいつ』って言いました??」


 部下の驚いた反応を気にも留めずに、ムステトはそれだけ言い残して人垣の中へ入っていく。



 それにローシンシャ精鋭歩兵部隊の第三分隊長は、「歳下のくせに話聞けよ…。」という感情を顔に出しながらも、ムステトが上官であるために止めることだけはしなかった。

 そうして分隊長は踵を返すと走り出し、止められる人間を探しに向かう。


 その分隊長の男には、自分の実力ではあの魔法師の手綱は引けないと理解していた。






 ────

 ───────────




「役立たずめ、無駄死にした獣以下の無能共め…!」


 ムステトが人を掻き分けている間にも、悪態は常に聞こえてきた。

 ザークーラスというらしい、今回の奇襲兵を率いてきたユースルカの指揮官。その男は後ろに手をやった状態で、両腕、両足を縛られている。ムステトが見た限りその傷は少ない。殴られてついたのだろう頬の青痣ぐらいしか、男の怪我は確認出来なかった。


「こんにちは、ご機嫌如何ですか。」


 地面に横たわる男に向け、ムステトは穏やかに見えるような笑みを作る。

 捕縛された男は何かの幼虫のように身体を捩らせ、どうにか顔を上げてこちらの姿を見ようとした。そのままでは視界の低さ故に軍靴ぐらいしか目に入らないのだろう。


「お、お前は…。」

「ムステトと申します。」


 抜き身の剣を手にしながら、ムステトはザークーラスの前にしゃがみ込む。膝は着かず、一歩離れたぐらいの距離。

 そこでようやく、ザークーラスの視界にムステトの顔は映ったようだ。


「お前…っ、名前とその髪…。くそっ、くそ! あいつらこれを殺せなんだか…!」


 先程この男が言っていた『標的』とやら。それがムステトを指していたことに間違いないらしい。

 ザークーラスはまた死んだ兵達に向け「役立たず共め…!」と呟いている。


 そんな二人の男の様子を、周囲の下級兵らはざわつきながらも手だけは出さずに見守っている。

 これから私刑が始まるとでも期待されているのか、中には「そいつを殺せー!」と叫んでいる者までいた。味方を殺されたから仕方ないのだろうか。こういうガラが悪いの、大佐は嫌いそうだなとムステトは思った。


 …そういえば、これを目にするのがカラーナだったらどうなのだろう。

 あの子は『関心あるもの』の中に私刑が入っていれば見るだろうが、興味が湧かなければリンチ現場のその横で、平然と地面に絵でも描いていそうだ。

 まぁ、これから始まるのは私刑ではないから関係ないか。

 ムステトは薄っぺらい笑みの下でそんなことを考える。


「ザークーラスさん。自分は今、貴方をいつでも斬ることができます。耳を削ぐことも、首を刎ねることも。その上で聞きますね。貴方は今までどんな狩りをしたことがありますか?」

「はぁ? なに…、ヒッ…!!」


 砂にまみれた男の首に、ムステトは剣の腹を押し付ける。

 冷たいだろうか。鉄の匂いがするだろうか。下手に動けばムステトの手はうっかり滑り、皮膚には血の玉が浮かぶことだろう。


「すみません、質問が漠然とし過ぎましたかね。では二択にしましょう。狩猟をしたことがあるか、ないか。どちらです?」

「ある、あるっ!」

「なるほど。では初めて狩った獲物は?」

「う、兎だ…!」


 突然始まった質疑応答の内容に、周りの兵士達から「この士官は何をやっているんだ」という目で見られ始めたムステト。

 しかしムステトは、それらの視線を気にしない。


「その兎、一人で仕留めたんですか?」

「いや…。父と、実家の家来と…。」

「何を使って?」

「弓で…。」

「仕留めた兎は、その後どうしましたか。」

「し、知らない。家臣に預けて、その後はなにも……。」


 なるほど。上流階級ならではの答え方である。

 ムステトは目を細めながら「そうですか。」と相槌を打った。


「では貴方の中で、過去に最も誇れる獲物などはあるんでしょうか。」

「…お、雄鹿を。デカい雄鹿を一矢で射止めたことがある。その時の頭と角は、今も屋敷にとってある。その鹿は毛並みも良く、あ、味も見事なものだった。」

「へぇ、弓がお上手なんですね。その他に狩ったことがあるのは?」

「狐といたち…。………こ、これを聞いて、お前に一体何の意味があるというのか…!?」


 ムステトはそれに「なぁに、これは世間話。ただの前座ですよ。」と口角を上げる。

 ただザークーラスの声が煩かったため、ムステトは喉に剣刃が触れるように剣を置き換えた。

 男は自然と静かになった。ザークーラスの目線は、見えもしないだろう自身の顎下の方へと向けられている。心なしか、ムステトにその顔は青く見えた。


「お貴族様というのは何かと喋ることがお好きでしょう。自分も話すことは好きでしてね。だからまぁ、丁度良いかと思いまして。」

「……ッ、」


 唾でも飲み込んだのか、男の喉仏が大きく動く。それによって首の薄皮が少し切れた。しかしザークーラス本人は、血が流れたことに気が付いていない様子であった。


「貴方、狩猟はよくやるんですか。」

「…しゅ、趣味の一つだ。」

「へぇ。そうなんですね。それらは楽しかったですか?」

「あ、ああ。」

「殺した生き物について、貴方が覚えていることは?」

「す、全て。全てを。野兎も、狐も、鼬も鹿も。今までの全ての獲物を覚えている。追い詰めるにかかった過程まで、一匹一匹の目や毛並みの色でさえも…!」


 ザークーラスの焦りと怯えの滲む表情を眺めながら、ムステトはふむ、と頷いた。


「その言い方ですと、殺した人間については覚えていないんですね。」

「、」


 ムステトの台詞に、ザークーラスの身体はあからさまに強張った。


 ムステトが言葉を紡ぐことをやめていると、周囲からは「この野郎!」「殺しちまえ!」「そのまま首を刺せ!」と声が上がる。それらには全て、怒りと憎しみの感情が籠っている。

 次第にザークーラスの息は荒くなった。目玉をぎょろぎょろと動かし、呼吸と共に胸の起伏が大きくなっていく。歯をカチカチと鳴らす口元は、今にでも泡を噴きそうな勢いであった。


「あっ、あ、謝る。謝るからっ。どうか許してくれ。金は払うっ、金はあるんだ。土下座だってする! 持っている情報全部話すからっ、頼むから殺さないでくれえっ!」

「テメェ今さら何言ってんだ!」

「謝ったぐれぇであいつらが報われるはずねぇだろうが!」

「死んで詫びろ!」


 辺りに帝国兵の罵声が飛び交っていく。それと共に、必死に命乞いをする敵指揮官の声。


「嫌だ、死ぬのは嫌だ。死にたくない。ここでなんか終わりたくないっ。何でもする、何でもするから…!!」

「何でもするなら死ねっつってんだよっ!」

「ユースルカの中でもテメェは畜生どころかダニ以下だ!」

「全部人を殺したオメエが悪いんだろが! 死んじまえ!」

「地獄に堕ちろ!」


 感情の熱は伝染し、周りの兵士達を次々と感化させる。喉を震わし、拳を握り。彼らの怒りは一つの標的へと向けられる。それは流れのままに、更に勢いを増していくものと思われた。


 しかし、その時。


「いえ、それを言うなら我々帝国兵も悪いですよ。」


 突然言い放たれたその言葉は、彼らの耳に良く通った。

 敵指揮官も、帝国兵も。野次の勢いでさえもぴたりと止まる。


 黒髪の男が予備動作もなしに立ち上がる。捕縛された者に、剣を突きつけることをやめたその男。ムステトは束ねた髪を揺らしながら、ぐるりと周りを見回した。

 その黒い瞳は視界にいる全員が、血で汚れていることを確認する。


「人間を殺したのは我々も同じ。獣以上でも以下でもない。生き物の中で同じ括りにある“人間”という同属を、我々帝国兵は殺したんですよ。どんなに相手を貶そうともその事実は変わらない。

 つまり聖教会風に言うなれば、死んだ後堕獄するのはこの場にいる全員ということです。」


 その時。全体の雰囲気は一瞬でたいして大きくもない声によって呑み込まれた。

 魔法も使わず、言葉だけで。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る