第25話 鋼の精神を持ちえ

 アンナは走る。

 自分でさえよく分かっていないまま、任されたものを伝えに。届けに。


 自分より体格の良い兵士達が右往左往する間を、アンナは走り抜けた。

 彼女は小回りがきいた。身長は普通の女よりもある方とはいえ、彼女は身体は周りの男達に比べれば充分小さかった。アンナはそのような体格を活かして、危うげなく僅かな人の隙間も通り抜けていく。


 そんなアンナの心を現在占めていたものとは、とてつも無い後悔の嵐であった。



 目の前にいたあの人が、まさか仲間内で“殺戮人形”と名高いムステト・タルージュとは思ってもみなかった。というか、中隊長にムステトと呼ばれていた時点で気付くべきだった。アンナはその人物の名を、活躍を。実際に目にした古参隊員たちから何度も聞いていたというのに。


『何年か前、この隊には異能を扱う化け物がいたんだぜ』って。


 この大陸で異能者といえば、それを指し示すのはスニスヴェルカ帝国に多くいる『魔術師』たちか、リモデウス聖教会の白玖はく聖術を使用することのできる『特級神官』たち。


 特級神官はリフデン王国に数ヶ所ある大聖堂にしかいないし、帝国民であるアンナが、厳重に守られているというその特級神官たちの姿を目にすることはこれからもずっとないだろう。でも、それはいいのだ。帝国には魔術研究所の治療魔術があるのだから。


 でも、古参の隊員が見たというその異能者とは、『特級神官』や、紅蓮隊の『魔術師』たちとも全く違ったのだと語られた。


 自在に氷を生み出す『魔法師』を名乗る男が、かつてこの隊にはいたのだと。


 その氷の魔法師とやらは何かしらの事情があって、僅かな間しかマカライヤの隊に所属していなかったらしい。だがその凄まじい戦いぶりから、“首狩り人形”とあだ名されるまでそんなに時間は掛からなかったと言う。



 そんな、怖すぎるあだ名を持つ人に無礼をとってしまった。

 この敵襲を生き残っても、自分はあの人に殺されるかもしれない。


 せめて蘇芳隊に入って、帝都で話題の可愛らしいお菓子をお腹いっぱい食べてからアンナは死にたかった。それに買いたい服もいっぱいあったし、貯めてたお金で髪飾りとか、腕輪とか買って……、ああ、めちゃくちゃ贅沢したかったな〜〜、とアンナは色々考える。


(それにしても、外見詐欺が過ぎるでしょ。あんな物腰柔らかな人が“首狩り人形”って呼ばれてたとか普通気付けないって。勝手にマカライヤ中隊長ぐらいゴツい人だと思ってたんですけど。ちゃんと見た目も教えてほしいもんですよ!)


 死が迫る状況下においても、彼女は図太かった。

 彼女はそのようなところが古参の隊員たち、そして中隊長のマカライヤからも気に入られていた。



「あ! いけない、ここだった!」


 そしてアンナは、通り過ぎそうになった天幕の前を慌てて止まった。

 その場所は かの魔法師が使っていた天幕からそれほど離れていなかったが、アンナは先にマカライヤの隊、自身の隊へと知らせに走っていたために大回りとなり、ここに来るまで時間がかかってしまったのだ。

 伝言を託してきた本人から、『自分の隊は後回しで良い』と言われたからアンナはその通りに行動したのだが…、本当に大丈夫だったのだろうかと彼女は思考する。


(これでも全速力で頑張ったのに、これであの人に『伝えるのが遅い』とか言われて殺されたら一生怨む。その時には私の一生終わっちゃってますけど。)


 現在幸いなことに、この場に敵兵はまだ現れていなかった。しかし、いつ来てもおかしくない状況が今なのだ。少しでも早く伝えないと。

 …この内容を伝えたところで意味があるのか、アンナには全く分からなかったが。


 魔法師に伝えられた特徴通りのその歩兵達は、なんだかバタバタしているようにアンナに映った。しかし、こんな状況でも既に戦える準備は出来ている様子。この混乱の中ではとても早い部類だと言えるだろう。しかも彼らは、下級兵が使うにしては随分高そうな防具まで身につけていた。話に聞いた通りである。


「伝令、伝令!フカ・マカライヤ少佐の部下アンナ! ムステト・タルージュ中尉からの伝言を届けに参りました!」

「なにっ、タルージュ中尉の?!」

「はい、証拠もここに!」


 アンナは生まれて初めて触った氷を彼らに掲げる。その中にはどうやったのやら、中尉の階級証が入っていた。

 これは原理が分からなすぎて、アンナが怖くて投げ捨てそうになるのを必死に耐えて持ってきたものだ。自分の手とか凍らなくて良かった…、とアンナは心底思っていた。


「うわマジだ…。」

「え、何これ千切ったの…?」

「見れば分かるだろ。軍服千切ったんだろ…。」

「えっと、タルージュ中尉なんだって?」


 …彼らは思ったより庶民感があるというか、結構親しみの湧く反応をしている。氷については驚いていない様子で、慣れているらしい。


「はい。その、伝令内容は『自分は先行する。そちらは大佐が喜ぶ行動をしろ』とのことです。」


 本当にこれだけしか、アンナは言うべき内容を伝えられていない。あまりに具体性に欠けた言伝だ。

 しかしこの兵士たちにはこれで充分だったようである。


「ぃよっし、いつも通りか。報奨金稼ぐぞ〜。」

「中尉の近くは激戦区だろうし、に近づかない感じでおこぼれだな。」

「やっぱ待つ必要なかったじゃねぇか。誰だよ『レウィスいないし、一応動くの待っとこう』とか一番最初に言ったやつ。」

「「「言ったのはお前だ。」」」


 この人達、思ったより余裕たっぷりだなとアンナは思った。


「あと、走ってる間に得た追加情報なんですけど、敵兵は黒髪の人を狙ってるみたいなんです。だから該当者は頭を隠した方が良いのと、その、中尉のところに早く向かってあげた方が…。」

「あー、髪の件は知ってた。でもわざわざ教えてくれてありがとね。」

「戦闘中は中尉の近くに寄らないよう言われてるから、俺たちの増援はなしでいいでしょ。」

「だな。巻き込まれるし。」


 ヒッ、と息を呑むアンナ。彼らの『巻き込まれる』という言葉に彼女は怯えたのだ。


「その、巻き込まれるって。タルージュ中尉、やっぱり敵味方関係なく殺しちゃうような人なんですか。人間めった切りにするとか、異能使ってぐちゃぐちゃにするとか…。」

「いや、そうゆう訳じゃねえけど。」

「なんつーかな、えーと。」


 ローシンシャの精鋭歩兵部隊の一人は、言葉を選びつつアンナに言った。


「あの人のそばにいると、武器が壊れやすくなるんだよ。」






────


「む。」


 バキン、と音がして、剣の中程から先がなくなる。それは薄茶色の髪を肩で切り揃えた敵兵と、ムステトが丁度斬り結んでいる時のことだった。

 しまった、か。また折ってしまった。


「、うぉおおおおおおお!」


 これを好機と捉えたユースルカ兵が剣を突き出してくる。ムステトはそれを首を傾けることで避け、伸ばされた相手の右腕を掴む。そして足払い。その一連の行動によって、敵兵が地面に転がった。


「え、やだ。まだ死にたくな」


 ムステトは胸板を踏みつけると、折れた剣を敵兵の喉仏に突き刺す。その時見た彼の最期の表情は、まるで迷子になった幼な子のようだった。噴き出た血が少々ムステトの顔を濡らす。表情だけでなく、耳にしたあの声色も覚えておこう。

 ムステトはそう考えながら、死体から武器を抜き取った。


 右で握るも、違和感が強くて左手で持ち直す。よし、これで少しはマシになった。


「さあ、そこの方。どうぞ出ていらしてください。次のお相手をお願いします。」

「、…!」


 何故か斬りかかってこない物陰の敵兵に向け、ムステトは微笑んだ。例え隠れたとしても、獲物てきは絶対に逃がさない、という意味も込めて。


「うっ、う、な、なんなんだよう…! 長たらしい詠唱とかいうやつやってねぇじゃんか、接近戦なら勝てるんじゃなかったのかよお…!」


 その敵兵は泣きじゃくりながらも、武器を手放すことだけはしなかった。

 十六ほどの、成人したばかりに見えるその男は震えながらも切っ先を向け、ようやくムステトの前へと進み出る。この辺りのユースルカ兵たちは現在、身体の助からない箇所から血を流し地に伏している。今立っている彼だけを残して。


「詠唱…、なるほど。自分はそちらから魔術師と認識されているのですね。しかし、魔術師の詠唱というのは精霊語を早口で言っているだけなので魔術師ごとにその速さは違い、中には単語省略が可能な者もいるのでその全てが長い訳では…」

「う、うわぁあああああ!」


 話している最中に斬りかかられた。もしやこれが詠唱だと思われたのだろうか。ムステトは魔師でなく魔師であるために、精霊語を必要としないというのに。

 いや、そもそも殺し合いの合間に何かを話そうとする方が悪いのか…?


 ムステトは敵兵の剣をそのまま受け流すと、彼の身体を下から上へと切り上げる。


「ぎっ、ぅ、〜〜〜!!」


 彼の右手首が剣と共に飛んでいく。胴も切ったが、防具があるためにそこの傷は浅かった。相手が尻餅をつき言葉に成らぬ悲鳴を上げる。そして肉の減ってしまった右腕を押さえて、彼はその断面を凝視していた。

 その蒼い目が、ぎょろりとムステトに向けられた。彼の双眼にはまだ戦意が宿っている。諦めていない目だ。


「がぇッ、」


 ムステトは低い位置にある彼の顔を蹴り上げる。感触からして鼻が折れただろうか。

 地面に頭を打ちつけたところを狙ってムステトは彼の首に刃を差し込む。そこからは血が溢れた。流れ出た緋色が土へ砂へと染み込んでいく。

 目前で、ムステトは蒼い瞳が濁るさまを見届ける。




 …この光景を忘れてはならない。


 人間は獣と違い、食べてはいけないのだから。自身の糧に出来ないのだから。

 殺した人間を忘れることは、殺した命を無駄にすることと同義だ。


 そして命を無駄にした時点で、それは既に狩りではなくなる。


 殺された者は決してこちらを忘れない。

 最期に肉体で見た光景が殺された相手ムステトであるなら、殺されたあちらは魂となっても、鳥の姿になっても忘れることはないだろう。


 命を奪った分を記憶に刻め。責任をとれ。


 忘れるな。無駄にするな。


 これが命を狩る側の礼儀である。




「さぁ、次に行きましょうか。」


 刃に滴った血を振り払いながら、ムステトは愉しそうな笑みを浮かべた。

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