第24話 刻んで

 場の雰囲気が変わった時。

 その天幕内にはムステト、マカライヤ、アンナの三人がいた。


「…戦場の空気になったな。」


 マカライヤはそう呟くと腰を上げる。

 投げ捨てられたジョッキは地べたを転がり、中にあった氷が酒とともに吐き出される。柄に手をかけるマカライヤ。その横を通り、ムステトは腰の剣を抜き出しながら天幕の外の様子を窺った。

 …付近の兵士たちを見る限り、まだ表面化はしていない。


 現在は西日とはいえ陽は高く、太陽が沈むような時間帯ではない。天候は午前と変わらず良好であり、活動に支障が出るような悪条件は見受けられなかった。

 近場からは家族がどうであるとか、兵卒たちの呑気そうな会話が聞こえてくる。


 そんな二人の様子を近くで見ていたアンナは、マカライヤまでも抜剣したのを目にし、只事ではないと即座に悟ったようだった。


「…敵襲ですか。」


 理解が早くて助かる。

 彼女のそんなところが今までも戦場で生き残ってきた理由なのだろう。しかし、ここで剣帯していないのはいただけない。


「ええ、そのようです。おそらくは…北東にある森からでしょうか。周りの殆どは気付いていない様子ですが、それも時間の問題でしょう。」

「アンナ。武器持ってるか。」

「…その、中隊長。置いてきちゃいました。」

「貸せ、ムステト。」


 マカライヤにそう言われることは分かっていたため、ムステトは彼らの足元にある木箱を指差した。それは先程までマカライヤが腰掛けていた場所である。


「そこに剣が入ってます。小ぶりですが、質は保証しますよ。」


 なにせその木箱に入っているのは、ムステトの上官たる大佐が選んだ品であったからだ。

 あの方は目利きを得意としているから、己で選ぶよりよっぽど信用が出来る。ムステトが今手にしている一振りも、大佐によって選び抜かれた品の一つであった。


 マカライヤはムステトの言葉を聞き流しながら、木箱を開けるどころか破壊する。目当ての物はすぐに探し当てられたらしく、マカライヤは木片を踏みつけながらアンナに手渡す。彼女はそれを受け取ると軽く振るった。


「どうだ。」

「…いつものよりちょっと軽いですが、大丈夫そうです。」

「とりあえずそれで凌いで、ほかの奴らの伝達に行け。」

「了解しました。」


 マカライヤの言葉にアンナが頷く。

 そして彼女が駆け出してしまう前に、ムステトは自身の小隊への言伝も頼むことにした。


 大佐率いるローシンシャ兵たちの多くは、現在三人がいる場所よりも森から離れた位置に天幕がある。わざわざそこまで向かい、言って戻るのは面倒くさい。


 彼女はそうして伝えられた内容に少し理解が及ばなそうな顔をしていたが、ムステトは隊の特徴も伝えた上で、己の軍服に付いている中尉の階級証を引き千切る。

 それを邪魔にならない程度の大きさで氷漬けにすると、ムステトは「これを見せれば分かりますから。」とアンナに手渡した。


 手に巻かれた包帯の上のそれに、思わず絶句するアンナ。


「おい、アンナ! 早く行け!」

「、はいっ!」


 固まってしまっていた彼女だったが、マカライヤによって急かされた女兵士は勢いよく天幕の外へ飛び出していく。

 そしてムステトとマカライヤも天幕の中から出たところで、北東より「敵襲、敵襲ー!」と焦った様子の声が響いてきた。そこはやはり森のある方角から。


 この場にまだ敵兵は来ていない。姿も確認できない。しかし、わざわざこちらまで乗り込んで頂いたのだ。


 ご挨拶に行かないのは失礼が過ぎるというものだろう。



「少佐。自分は先行しますが、貴方はいかがしますか。」

「この辺の野郎どもの指揮。お前は好きにやってろ。」

「了解。」


 マカライヤと手短に言葉を交わし、ムステトは騒ぎのもとへと走り出した。怯えや混乱の見える兵士らはマカライヤに任せれば良い。それに己は人をまとめるのに向いていない性質だとムステトは理解していた。


 我先に、我先にと、襲撃地点の方向から逃げ出してくる下級兵ら。その人間の波をムステトは逆走して行く。彼らは鍛え方が足りなかったのだろう。


「…せ、髪を隠せ! 狙われるぞ!」


 通りざま、そんな言葉を拾った。

 しかしムステトは、速度を落とす愚行をしない。それどころか更に足は速まっていく。血の匂いがしてきたからだ。聞こえる悲鳴。それが味方のものでも知るものか。

 駆ける足が地面を踏みつけるたび、ムステトの胸の内より湧き出でたるは歓喜であった。


 “狩り”が出来る。今日も不完全燃焼に終わった、殺し合いの続きが出来るのだ。

 この絶好の機会、逃してなるものか。


 結んだ髪をたなびかせて、そこに浮かぶは獰猛な笑み。

 瞳孔は開き、口角は吊り上げられ。それは常に均一的である通常時の表情とは全く違う、飢えた肉食獣が涎を滴らせながら浮かべるような笑みであった。

 それはムステトの顔をすれ違いざまに見てしまった帝国兵が、味方であるのに恐怖を覚えたほどである。


 そうして走り続けて、ムステトは視界の前方に敵兵の姿をやっと捉えた。


 その場は傍目から見ても乱戦状態にあった。

 倒れた天幕。地面には武器さえ持たない帝国兵の死体。足場は悪そうだった。幸いにして空に黒煙は見えず、天幕から火の手は上がっていない。

 ユースルカ王国兵は向かってくるムステトの姿を認識すると、次のような言葉を叫び出す。


「居たぞ! 黒髪の帝国民だ!」

「殺せ、殺せー!」


 なるほど、狙われるから髪を隠せとはこのことか。あれは自分に向けられた忠告だったのだろうか。

 だったら尚更隠さなくて良かったと思考しながら、ムステトは天幕の影より、こちらを斬りかかろうとしていた敵兵の頭を右手の剣で輪切りにした。青髭のある顔は、途中から上が跳ね飛ばされる。


 胴体が倒れる音を耳にしながら、ムステトは別の兵士の顔を正面から切り裂く。頭に防具がないために、癖毛の頭は簡単に真っ二つになった。固形なのか、液状なのか。赤い内容物が地面に飛び散っていく。


「こん、のっ…!」


 その次に、ムステトは両手で斬りかかってきた兵士の剣を受け止める。

 相手が再度振りかぶろうとしたところで、ムステトは左手に生成していたを男の眉間へと突き刺した。氷柱を握る軍手袋が鮮血を被る。しかし黒いため、かつての白手袋のように血の色には染まらない。

 顔が串刺しになった垂れ目気味な男が、ムステトの腕の勢いのまま地面に倒れる。その倒れた場所が少し邪魔だったため、ムステトは軍靴で蹴飛ばした。


 辺りを見渡せば、まだまだ敵兵は沢山いる。

 彼らは敵意を漲らせてムステトに殺気を向けていた。…あの時のように、皆及び腰ではなかった。


「はは、」


 ムステトの口より、笑い声が洩れる。

 その左腕からは赤い返り血が滴っていた。


「やはり狩りは、互いに殺意を向け合ってこそですよね。嬉しいです。やっと本当に楽しめますね。」


 このユースルカ兵たちは、己のような黒い髪の人間を集中的に殺したいらしい。故郷の土着信仰や魔術師の精霊信仰、そしてかの有名なリモデウス聖教会の教えにも、黒髪を嫌う傾向はなかったはずだ。他の少数派宗教でも耳した覚えがない。

 普段なら、何故狙うのか気になるところだろう。


 だが、今のムステトにはその理由も思惑も、何もかもがどうでも良かった。狙われることはムステトにとって、むしろ都合が良いとしか言いようがなかったからだ。


 狙いたいのなら狙えば良い。己以外なんて知ったことか。

 どうしても死ぬのが嫌であるなら、他の黒髪の人間達も生き残る努力をすれば良い。敵兵もムステトも相手に武器を振るうことで、自身が死なぬよう努力するのだから。


 そして何より戦地に立ち、戦争という殺し合いをしている時点で死のリスクとは対等だ。

 ムステトは剣を構えて口を開く。


「ユースルカ王国兵の皆様、この首全力で取りにきてください。同じように、自分も貴方たちの命を全力でもって狩りますので。」


 わざわざ奇襲しに来ただけあって、そんなムステトの言葉は不要だったほど彼らの殺意は本物だった。嫌々己を殺しにくるような薄っぺらい殺意とは違い、その覚悟に満ちた殺気は、とてもムステト好みである。


 二人のユースルカ兵が走りながら、ムステトに大きく斬りかかってくる。彼らは使を満たしていた。

 ムステトはに足を踏み入れたその者達の膝を片方ずつ凍らせると、体勢が大きく崩れたところをまとめて刎ねた。地面には眉の濃かった方が先に転がり、目元にそばかすがあった首はそれよりも遠くに落ちた。


 魔法を使用しても、周りの敵兵に戦意を喪失する様子は見られない。

 ムステトにはそれがたまらなく嬉しかった。


 嗚呼、どの獲物にも敬意を持って接したいのに、剣を振るっている間は熱中し過ぎて言葉が出にくい。そのことがとても歯痒く、酷く申し訳なくムステトは思う。


 せめて殺した相手を忘れぬようにと、ムステトはいつも通り、名も知らない人間の身体的特徴を記憶しながら武器を振るう。




『ふーん。じゃあ軍人さんは、死んだら新しい死神様になるのかもしれないね。』


 ある時の、あの少女の言葉が脳裏を過ぎる。


 …本場の死神が魂籠の紐を刈り取るなら、今の己は敵兵の命を狩り取る死神か。

 いや、人間が神を騙るは烏滸がましいが過ぎるな。自身の心臓は止まってなどいないし、精々が『死後新しい死神志望の魔法師』と言ったところか。


 ムステトは理想主義者ではなかったが、次に大佐に会った時にはこのことを話してやろうと思うくらいには、自分のこの思考を気に入った。



 そしてまた一人、ユースルカ兵の命の糸が鋭利な刃物によって切り裂かれる。

 その時飛んだ首は、あの子に似たような栗色の髪の持ち主だった。しかし髪質はカラーナのものより滑りが悪そうで、鼻頭には二つの黒子があった。ムステトはそんなことまでの一つ一つを、常に記憶に刻んでいく。


 それは命を愉しんで奪うムステトなりの、獲物へ払う最低限の礼儀であった。






───


「た、大変です。出ましたっ。氷の異能者です!」


 その報告を受け、ユースルカ王国兵奇襲部隊の指揮官ザークーラスは笑みを浮かべた。

 氷、氷かと。話に聞いた通りだった。


 ザークーラスは過去に氷のを使う魔獣を目にしたことがある。しかし、その魔獣は大したことはなかった。紅蓮隊のひょろひょろとした女の魔術師でも一人で倒せていたような、図体ばかりデカかった氷の魔獣。それと同じ氷の異能なんぞ、相手は人を喰らう魔獣でもないのだ。火矢だけで充分であろう。


(これなら勝てる。)


 これであのゴーエンとか言う、いけ好かぬ帝国の少将もどきの思惑通りにいかなくて済む。周囲の反対を押し切り、わざわざ独断で奇襲部隊を率いてきた甲斐があったというもの。ザークーラスはほくそ笑んだ。


 その氷の異能者を殺せれば少将もどきゴーエンの一騎討ち相手はいなくなり、我がユースルカ王国は一騎討ちに不戦勝という形で勝つ。これは大義ある、ザークーラスによる盛大な暗殺計画なのだ。


 自分の国を裏切ってきたゴーエンとかいう奴は、本当に馬鹿な男だった。

 あのように易々とこのザークーラスの前で、一騎討ち相手がどの陣営付近にいるか口にするだなんて。しかもあんな安酒一本で、場所まで精細に語ってくれよった。


 森の中は悪路であり、大きく迂回する必要もあったとはいえ、こうして兵を率いてくることなどザークーラスには簡単である。『王国の勝利のため』といえば、兵の士気を上げることさえ雑作もない。


 異能者を仕留めるまでにどれだけの兵が死のうが、ザークーラスには知ったことではなかった。奴らは目的を果たすまでの使い捨ての駒に過ぎない。顔すら覚える必要はない。


(連れてこれるだけかき集めてきたのだ。精々死ぬ気で、存分に俺の役に立って死んでいくがいい。)


 この作戦には異能者を討ち取るためにザークーラスが率い、ザークーラスによって異能者が討ち取られたという結果だけが残れば良いのだ。


 この作戦が成功すれば、我が国ユースルカはスニスヴェルカ帝国から独立を果たす。

 ザークーラスはユースルカ王国を勝利へと導いた英雄となり、独立した先で王となる野望だって叶えることができるだろう。



 この様子だと、ついに帝国は火だけに留まらず、“氷を司る精霊語”まで手に入れたらしい。だがしかし、所詮魔術師は魔術師なのである。詠唱の合間に攻撃すれば良いことをザークーラスは知っていた。

 そうやって紅蓮隊の女魔術師を事故死に見せかけることも、ザークーラスには容易いことであった。


「その者は異能を使うまでの間に、長たらしく何かを言っているはずだ。そこを狙い、相手に火矢を放て。」

「はっ。」


 ザークーラスは命令を伝えるため、走りだそうとする兵士の背中を馬上から満足そうに見送ろうとし……その前に慌てて止めた。


「いや待て。魔術師なら火の魔術も操れるか。火矢は使うな、変な術でそれを利用されたらかなわん。」

「えっ、では…?」

「魔術師は近距離戦闘に弱いものだ。詠唱中の合間に剣で斬り殺せ。」


 この時のザークーラスの判断が、ユースルカ奇襲部隊の命運を更に悪化させるものとなる。


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