第22話 表情に出してやるものか

 帝国軍元少将ゴーエンからの手紙には、判断は任せると記されていた。

『帝国を裏切っておきながら、自分の卑しいまでの厚かましさは自覚している。それ故に、この申し出を無理に通す必要はない』と。


 その文章を何度も読み込み、筆跡の特徴さえも目に焼き付けてしまった軍団長サーキシスは悩んでいた。





「…そも、タルージュ中尉の実力はいかほどなのでしょうや?」


 軍団長の沈黙を破るかのように、文官の一人が口を開いた。先程、一騎討ちを推奨していた金髪の文官とは別の者である。


「皆さまは一騎討ちでタルージュ中尉が勝つことを前提に話していらっしゃる。しかし、タルージュ中尉とて人でありましょう。彼が一騎討ちで敗れた場合、今後第六軍は謀反者を逃しただけでなく、ユースルカ王国程の小国に負けたという汚名を背負うことになります。」


 それは…、と武官たちの間にざわめきが走る。


「今回の任務は蜂起したユースルカ軍の鎮圧です。戦の勝敗に白黒つけるのはよろしいが、命を果たせない可能性が高いというのなら、私めは一騎討ちを受けない道もまた手かと。」


 その文官はズレた丸眼鏡を眉間に押し戻しながらそう述べた。

 文官内で、意見はまとまった筈だろう、いやしかし…、と不安げな声が上がりつつある。それに金髪の文官は口を結び、少しだけ視線を落としていた。


「確かに…、そのような事は我慢ならんな。」


 一人の武官が重々しい口振りで声を上げる。


「私はタルージュ中尉の活躍を耳にしたことはあるが、目にしたことがない。管轄の場が違ったからな。だから確信が持てない。もし彼が負けたとなれば、ユースルカは『帝国を退けた』なぞと言って思い上がるだろう。第六軍…、いや帝国軍全体が嘗められるまでの事態となる。そんな事は許されない。」


「そうなってしまえば、他の属国もそれに乗じて独立の動きを強めるやもしれませんな。」

「いや、それだけではない。ただでさえ今のスニスヴェルカ帝国は魔獣騒動の余波で侵略活動が停滞しているのだ。やはりここは徹底的な処置をとって、帝国に逆らったらどうなるかを示すべきではないか? 対外的に示すことで、周りの諸国への抑止力にもなるだろう。」

「しかし…、これは名誉ある一騎討ちなのであるぞ? 相手が相手とは言え、帝国がそれを断るのは…。」


 各師団長らが真剣な顔で討論し始める。そんな中、軍団長サーキシスの視線は別のところを向いていた。

 言葉を交わしている師団長たちではなく、すぐ側で事の成り行きを見守っている師団長の配下たち。連隊・大隊長の中でも上位とされ、この場に集められた士官たちの一人に軍団長の視線は向けられていた。


「…スミントス大佐はどう思うかね。」

「ヘッ、ハ、ハイ!? わ、わたくし…で、ございますか?」


 突然軍団長に声をかけられた男は不意打ちのあまりに肩を跳ね上げ、大分上擦った声で聞き返した。やっと言葉を発した軍団長と、もう一人のスミントスという男に皆の注目が集まっていく。


 スミントスと呼ばれた男は二十代後半の痩せ型で、武官の格好をした文官と言われた方がよっぽど納得できるような風貌をしていた。

 黒い軍服の上からも細身であることがよく分かり、裾から覗くは枯れ木のような細腕。腰に佩けられた剣は豪奢であるが、使い込まれた後がない。そして彼は細かなところまで身綺麗で、挙動からは小物臭が滲み出ている。


 ゆえに面識のない者たちからは、彼は金と権力によって地位に就いた典型的なお飾り将校かと思われた。


「タルージュ中尉は君の連隊の所属だろう。彼の実力を一番理解しているのは君ではないかね? スミントス大佐。」

「そ、それは…。」

「おお、ごもっともですな軍団長。我々は最も聞くべき彼の意見を聞いていなかった。大佐をよく知らぬ者もいるであろうし…。軍団長、彼を紹介しても?」


 師団長の一人である頭を丸刈りにした少将がしまったとばかりに膝を叩き、軍団長に許可を求めた。それに軍団長たるサーキシス中将は頷く。


「紹介しよう。彼はキルシュテッド・スミントス大佐。

 そこにいる彼は歳若いながらもローシンシャ駐屯地の司令であり、急な召集にも関わらず真っ先にこの戦場に来るような愛国心溢れる男だ。」


「大佐。是非立ってくれたまえ。」と丸刈りの師団長に促されるまま前に歩み出たスミントスの顔は、緊張によってか強張っていた。


 丸刈りの師団長はスミントスのそんな姿さえ満足そうに眺めて、己の自慢を語るかのように紹介を続ける。実際、その師団長にとって自慢だったのだろう。

 スミントスの率いる隊は、丸刈り師団長の下で一番優秀な戦績を収めていた。


「スミントス大佐の成したることの中で最も語るべきは五年前。魔法師という特殊な立ち位置ゆえに紅蓮隊で燻っていたムステト・タルージュの才を即座に見抜いたことだろう。

 彼は当時のタルージュ中尉を部下に加えるため、あの魔術師の名家たるクリムゾルフ家に直談しに向かったどころか、皇帝陛下の許可さえもぎ取り、タルージュ中尉を紅蓮隊から引き抜いたのだ。」

「な、なんと…!」

「こっ、皇帝陛下のぉ…!?」


 驚愕に目を見開く武官や文官たちの姿に、丸刈りの師団長はそうだろう、そうだろうと頷いた。

 下手をすればゴーエン少将の裏切りを上書きするまでの衝撃に皆が騒つく中、金髪の文官が思わずといったように手を上げた。


「待ってください…! な、何故そのようなことが皆に知られていないのです…!? そんなこと、もっと広まっても…!」

「それは彼らの性格がつつましく、とても謙虚だったからだろう。諸君らも話して見れば分かると思うが、タルージュ中尉は常に言葉遣いに気を遣うような礼儀正しい男でな。それにスミントス大佐は中尉を引き抜いた上で士官学校入学の支援までしていた。彼らの教養の良さ、信頼関係の厚さが窺えると言うものだ。」


 丸刈り師団長は、自分自身の言葉に浸るように目を瞑る。「何と素晴らしき主従関係かな…。」とまでその師団長は呟いていた。



 そんな時、スミントスの内心は以下のとおりである。


(あの男が謙虚?礼儀正しい? …そんな馬鹿なことがあるものか!!)


 スミントスは顔が引き攣りそうになるのを必死で堪えていた。

 そんなもの、お前が全部上っ面しか見ていないから言えるのだと。


 ムステトはスミントスからして見れば身勝手の権化のような男だった。

 ヤツは口調こそ丁寧なものの、所詮は平民生まれの紛い物。敬う価値なしと判断した相手には、途端に態度を雑にしていくのだ。ムステトはそのあたりの差異が分かりにくいだけで、ヤツが味方の人間のほとんどを有象無象としか捉えていないことはスミントスには丸分かりだった。


 中尉の分際で上官の話はまともに聞かないし、ヤツは途中まで忠順な振りをすることがあるから余計にタチが悪い。ムステトは気に入った相手か、スミントスから直接受けた命令ならば言うことは聞く。だが今は、レウィスがいないために手綱を引くのが難しい状況にあった。

 そんなところが、こちらをおちょくっているとしか思えない。


 ヤツは本質を知る者からは「紳士づら野蛮人」とまで呼ばれている男。

 そのことを沸き立つ思いと共にぶち撒けたい衝動に駆られるスミントスであったが、彼は自称、鋼の精神で抑え込んだ。


「ほら、今の大佐の顔を見てみたまえ。彼は咄嗟に否定したかったところを、以前私が『卑屈になりすぎるな』と言ったことを覚えていて、真面目過ぎる性格ゆえに必死になって耐えているのだ。」


 そんなスミントスの感情は、少しばかり表情に漏れ出ていた。

 丸刈り師団長の言っていたことは外れていたが、否定したい、我慢しているという点では当たっている。周りの官吏たちはスミントスのことを、師団長の言葉通りに受け止める。


 そんな時、軍団長が片手を上げた。


「…では。改めて聞こうか。」


 そうして響いた軍団長の重たい口振りに、官吏らの騒めきは次第に静まっていく。


 場が衣擦れの音さえ拾えそうなほどの静けさと緊張感に包まれた時、帝国軍第六軍団長サーキシスは再度口を開いた。


「スミントス大佐。君は、彼が一騎討ちでゴーエンに勝てると思うかね…?」


 それにスミントスは、薄い拳を握り込みながら答える。


「…勝てます。」


 悔しいながら、性格はどうであろうとヤツの実力は本物である。

 スミントスがそう断言すると、軍団長は何処か陰のある笑みで笑った。


「…君たちは、即断するところがよく似ているね。」


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