第20話 乱入が

「もー、やっと見つけましたよ中隊長! またどっか行っちゃって…! すっごい探したんですからね!」

「げ、アンナか。」


 女兵士はずかずかと天幕の中に足を踏み入れると、ムステトを押し退けマカライヤの前に陣取った。一方のマカライヤはもう見つかったか、と言わんばかりに面倒くさそうな顔をする。どうやらこの少佐、無断でここまで来ていたらしい。


「まったく『げ、』じゃありませんよ! いっつも不真面目なんだから…!」

「へー、へー。」

「『へー、へー』でもありません!」


 若い女兵士は高い声で怒鳴り立てながら、次々と空き瓶たちの回収をしだす。その手付きは慣れたもので、瓶は瞬く間に彼女の腕の中へと収まっていく。

 そんな中でも、マカライヤの酒を継ぎ足す手は止まらない。

 彼女は唯一残った酒瓶にも目を向けたが、分厚い手に握られたそれには諦めたようで溜息を吐く。


「…で、これ一体どこの天幕なんです?」


 軽く辺りを見回しながら彼女は言った。


「物が少ないけど…もしかして備蓄用に使われてたとこですか?」

「ブッ、」

「まったくもう、ここは備蓄用の天幕とは区域が違うのに。間違われて立てられちゃったのかな。そんなところに目敏く入り込んで飲んでるなんて、中隊長ったら…」


 目の前でマカライヤが吹いたことに気付いていないのか、アンナという女性兵士は仕方なさそうに肩を落とす。


「そこのあなたも、早く自分の持ち場に戻ってください。」


 抱いた酒瓶をカランと響かせ、彼女が振り返った。アンナは凛とした眉の、真面目そうな性格が滲み出たような顔立ちの持ち主だった。

 ようやくまともに見た彼女の顔であるが、やはりその容姿に見覚えはない。単にこちらが忘れているだけかとも思ったが、後に続いた言葉が、アンナとは初対面であることをムステトに確信付ける。


「どこの誰だか知りませんけど、あなたもこんなところでサボってちゃ駄目ですよ。ここは畳むか、他の兵士たちが有効活用するよう私が後で言っときますから、後々サボりに来ようだなんて思わないでくださいね。」


 その言葉にマカライヤは爆笑した。

 この男は一定量酒を飲むと普段より笑いやすくなる。この様子を見るに、もうその一定量は超えていたらしい。


「ダッハハハハハッ、ヒィー、どうするムステトー。お前このままだと寝るとこまで無くなっちまうな。」

「それは大分困りますね。いざとなれば、隊の下級兵たちと雑魚寝でもしましょうか。」

「、え」


「そいつぁやめとけよ。お前なんかがそっちに行ったら休まるもんも休まらねぇ。逆にそいつらの方が可哀想だ。」

「おや、そうでしょうか。」

「そんなん当たり前だろ。否定するまでもねぇな。」

「あ、あのぅ…ちょっと、」


「フ、こいつはな、お前みたいな男には屋根なしの野宿ぐらいがお似合いだとさ。」

「わっ、ちょ、わーー!」


 先程からこちらの会話に入ろうとタイミングを窺っていたアンナは必死になってマカライヤの台詞を遮ろうとし、マカライヤはその姿に響かせる笑い声を大きくした。

 それは傍から見れば悪どい笑みを浮かべる山賊の首領と、それに弄ばれる哀れな乙女の構図である。何とも騒がしい。


 彼女は顔を赤くし「なんてこと言うんですか!」と叫びながら、一旦瓶を置いて慌ててムステトの方へと向き直る。


「わ、私、あんなこと思ってないですからねっ。この少佐の言うこと全部嘘! デタラメなんで、絶対信じないでくださ…、」


 しかし勢いある弁明の最中、アンナははたと石のように固まった。


「…。」


 アンナは一瞬だけ静かになると、ムステトの姿をまんじりと眺める。彼女の視線の先にはムステトの階級証が。


「…や、やだーっ、この人よく見たら中級士官じゃないですか! あっじゃあここ個人用の天幕ってことっ? 早く言ってくださいよ中隊長ーっ。」

「ダッハハ、言うもなにも、見りゃ分かるもんをお前が気付かなかったのが悪いんだろうが。」

「そ、そりゃあそうなんですけどーっ。」


 アンナは顔色を二転三転させながら忙しなく囀りを再開する。

 彼女が姿勢を正した上で「失礼をとり申し訳ございません!」と深く頭を下げると、何故かムステトではなくマカライヤの方が、酒を継ぎ足しつつ「アンナ平気だぞー。そいつ平民上がりでそういうの気にしねぇから。」と返答を返す。


 確かにそれに間違いはないのだが、そちらが勝手に答えるのも如何なものか。 

 ムステトが釈然としない気持ちを笑みの下に隠しながら頷くと、彼女はほっとした様子で一息を吐いた。碌な確認もせずに天幕を片そうとするとは、案外抜けているのだろう。


 このように、スニスヴェルカ帝国軍では女性兵士も採用している。基本は貴族令嬢の護衛隊などに所属している者が多いのだが、彼女のように、歩兵として戦場に立つ者も少なくはない。

 アンナが乱れた前髪をとかしている手には包帯が巻かれ、布に包まれていない指先からは幾つか傷痕が窺えた。血の滲んだ彼女の手からは、実力で生き残ってきたことが察せられる。


「…それにしても、見ない間に随分賑やかな方が部下に加わったのですね。この分だと、自分が所属していた頃より隊の人員も変わったのでは?」

「あー、確かにそうかもな。俺も小隊から中隊仕切るまでになったし、お前からして見りゃあの時とはそれなりにちげぇんじゃねえか。」


 そもそも中隊長とは、小隊二つ分を束ねる立場の役職である。

 一小隊が約百人とすれば、中隊一つで約二百人。中隊長の下には小隊長がおり、直属の部下にあたる小隊長は中隊長の指示通りに動く。


 そんな小隊長の役割とは、百の下級兵を従えて先陣を切ること。

 文字通り敵を切り捨てては後方が続く先駆けを作るのだが、小隊長は敵兵の正面へ向かい立つことになるため狙われやすく、死亡率も高い。


 過去にムステトが少尉であった頃、ムステトはマカライヤの率いる小隊に一時期所属していたことがある。当時のマカライヤの階級は大尉であり、言わば上級百人隊長とも呼ばれる位置付けにあった。

 今では中尉となったムステトであるが、現在は別の中隊長の下で歩兵小隊を率いており、マカライヤの指揮下には動いていない。そも、マカライヤとは所属している連隊さえも違うため、こうして面と向かって話すこと自体久しぶりのことだった。


「あ、あのー、中隊長。この人って一体…。」


 アンナが口元に手を当て、声を潜ませながらマカライヤに尋ねる。直接聞けば良いだろうに、ちらちらとこちらを窺いながら言う彼女の姿は喜劇的だ。


「まー、なんだ。お前の先輩にあたる奴だな。」


 どうでも良さげに答えるマカライヤだったが、酒を飲む直前にふと口端を歪めたかと思えば、マカライヤはこんなことを言い出した。


「ああそういや。ムステトは昔、アンナが目指してる蘇芳隊に入ってたっけな。詳しいし、どうせなら聞いてみたらどうだ?」

「えっ、そうなんですか!」


 何故そうも踊らされやすいのか。

 目を輝かせているアンナに対し、ムステトは即座に否定を返す。


「いえいえ、少佐。嘘を吐かないでください。自分は蘇芳隊に所属した覚えはありませんよ。」

「似たようなもんだろ。」

「違いますよ。」


 蘇芳隊とムステトとの関係は、一方的に見張りを送りつけられるだけの仲。

 初期の頃はいつの間にか隊に紛れ込んでいるだけだったのだが、蘇芳隊の人間のあまりの死亡率の高さに、ある時ムステトが「もう見張りはいらない」と直接元締めに言いに行ったところ、今では躍起になったあちらが隠しもしなくなっただけである。


「自分は魔術師でなくとも魔法師ですから。」


 赤を意味し、魔獣を狩るのは同じでも、ムステトが入っていたのは別の隊だ。


「まほ…、あれ、ムステト…? なんだか聞き覚えが…。」

「…、」

「…お?」


 何やら思い当たることがあったのか、アンナが考え込んだ様子で呟き出した時、ムステトとマカライヤはほぼ同時に外の異変を感じ取った。

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