第三章 ●戦場便り、一年目

第19話 裏切りの

「ゴーエン少将が裏切りですか。」

「そうだ。」


 ムステトはその言葉を聞いても動じることはなかった。

 上官の鋭い視線が、言外にお前の所為だと物語っている。初老の男は白毛混じりの顎髭に手をやった。


「こんなところで士官学校からの知己を失うことになるとは…。私も驚いているところだよ。」


 上官の語り口は親類に話しかけるかのように穏やかであるが、その眼光は鋭いまま。ムステトから外れることはない。


「謀反理由はね、私も後から知ったんだ。手紙に書いてあった。」


 上官はふぅ…、と漏れ出るような息を吐いた。


「…帝国のやり方に、ついていけなくなったそうだ。」


 ムステトは「そうですか。」と平坦な相槌を打つ。

 小隊を率いている自分が、軍団長に一人呼び出されたと思えばこれである。


「少将の親族の者は?」

「彼の妻と娘は、既にリフデンへと亡命済みだそうだ。」

「へぇ。用意周到ですね。」


 現在ムステトらが相手取っているのはそのリフデン王国ではなく、リフデンからは遠い北に位置するユースルカ王国。

 ユースルカは帝国の属国、つまりは帝国の支配下にあった小さな国であるが、そんな国がどうやって兵を集めたのかと思えばそこからの手引きがあったらしい。ある意味納得がいった。元より謀叛の計画を立てていたその少将が、裏から手を回していたのだろうか。

 上官は腕を組み替えてムステトを見やる。


「…これを聞いて、他に思うことはないかね?」

「いえ、特に何も。」


 少将ご本人は亡命することなく戦場に残り、ここにきて敵陣へと寝返っている。今はそれだけが分かれば良い。


「そうか…。」


 軍団長サーキシスは何処か遠くを見るような顔をすると、ぼんやりした声で「…行って良い。」と告げた。


「は、失礼致します。」


 右手を持ち上げ敬礼をとると、軍団長が軽く手を挙げることで答礼を返す。

 それを見たムステトは束ねた髪を揺らして踵を返そうとする。が、扉に手をかけたところで呼び止められた。


「そうだ、言い忘れたことがある。ゴーエン少将…いや逆賊ゴーエンは、君との一騎打ちをご所望だそうだ。…受けてくれるな?」


 ムステトはそれに笑みを返す。


「ええ、もちろんです。」


 嫌がる理由などない。






 ────

 ───────────


 ムステトが背中に西日を受けながら天幕へ戻ると、そこでは見覚えのある大男が酒を飲んでいた。

 男はくつろいだ様子で木箱に腰掛け、その周りには幾つかの空き瓶が転がっている。ムステトは酒の種類には詳しくないが、わざわざ瓶に入れられていたくらいだ。値打ち品たちの残骸だろう。そんなものらが辺りの空気を酒臭いものにしていた。


「おう、ムステト。帰ったか。」


 男はムステトを見ると、気安い動作で片手を上げた。

 その顔には大小二つの向こう傷が刻まれ、腰には剣を携えている。男は軍服を着用していなれば山賊と間違えられる程の人相の悪さであった。その軍服さえも、傷だらけの男は中途半端に着崩している。


「氷入れてくれ。」


 そして自分の天幕でもないのに、この図々しさ。

 ムステトは苦笑を浮かべつつ、差し出された木製ジョッキに手を翳した。今回は雑に生成したためか、手袋の下からはぱちゃ、と液体の撥ねる音がする。


「おま、今日は雑だな…。手が濡れたんだが。」

「貴方はそれぐらい気にしないでしょう。」

「そりゃそうだが。」


 男は釈然としない顔で口をつけると、器の中を見、「なんだこりゃ。」と声を上げた。


「氷一つしか入ってねぇじゃねぇか。しかもでけぇし。」

「別に良いではありませんか。溶けにくいですよ。」

「俺は小振りで噛み砕けるやつが好きなんだ。」


 そんなことは何年か前から知っている。これはムステトなりの「おかわりは無しだ」という意識表示だった。文句をこぼしながらも飲む手は止めないその男に、ムステトは悪びれることなく笑みを浮かべる。


「マカライヤ大尉は相変わらず贅沢ですね。」

「おい、今は少佐だぞ。」

「おや、そうでしたっけ。」


 まだ日も落ちていないのに身体中から酒気を纏わせているこの男はフカ・マカライヤ。少佐であれば中尉であるムステトより二つ上の階級だが、ムステトは特に態度を変えることなく飄々と笑う。


「聞きました? 師団長の一人であったゴーエンという方が裏切ったそうです。先程軍団長から直接伝えられましてね。」

「ああ、聞いた聞いた。ゴーエン少将な。」


 マカライヤは酒を継ぎ足しつつ相槌を打った。


「デマじゃなかったらしいな。おかげであっちもこっちもてんやわんやだ。」

「その割には少佐は呑気そうですね。」

「いや、俺も初めて聞いた時は流石に焦った。けど確認してみると、少将についてった奴より残った兵士のがそれなりに多くてな。この分だと数の優位は特に変わらんだろ。」


 自軍が勝ち戦であることに変わりないから、下手に騒ぐ必要はないと言いたいらしい。


「へぇ、そうなんですね。」

「『へぇ』じゃねぇよ。お前はもうちょっと聞き耳立てとけ。」

 

 マカライヤの小言に「善処しますね。」と笑顔で返したムステト。

 それに傷だらけの男は「こりゃ直す気ねぇな。」とくつくつ笑った。


「聞いたんだぞ。お前今日も味方置き去りにしたんだってな。レウィスがいねぇからって羽目外し過ぎだ。」

「いえ、置き去りにした訳ではなく、彼方が勝手にいなくなっただけですよ。後で合流した隊員たちに聞けば、気付いたら自分のことを見失っていたらしくて。」

「馬鹿。そういうのを『置き去り』っつーんだよ。」


 屁理屈言うんじゃねぇと、マカライヤは半目になってムステトを小突く。


「そういや、代わりの見張り役はどうしたんだよ。確か新しいのが付いたんじゃなかったのか?」

「ああ、彼なら数日前に死にましたね。どうやら流れ矢に当たったようでして。」

「それ絶対お前を狙った矢だろ。そんなんに当たるとはそいつも運がねぇなあ。」

「彼も蘇芳すおう隊からの移動でしたからね。そもそも矢自体に慣れていなかったのでしょう。」


 蘇芳隊とは、魔獣討伐を専門にした一般兵による部隊である。

 同じく魔獣を討伐する紅蓮隊の隊員が全て魔術師で構成されているのに対して、こちらの者たちは異能が一切扱えない。彼らの攻撃手段は剣を持ち、盾を持ち、槍を持って、魔獣へ殴りかかるのみである。

 また魔術師は、基本的に武器を振るうことが殆どない。

 いや、更に正確に言うならば、魔術を行使しながら武器を振えるまでの余裕を持つ者が少ないのだ。そのために魔術師は物理攻撃に弱く、精霊語を詠唱中の間は無防備に近い。それを補うために、蘇芳隊は紅蓮隊の魔術師たちの護衛役も務めていた。


 ムステトの側にいた彼は護衛のためにいた訳ではなかったが、蘇芳隊に所属していた人間に共通して言えることは、対人戦闘経験に乏しいということ。


 彼は蘇芳隊では有望株であると期待されていたようだったが、気付いた時には喉を矢で射られて死んでいた。一応忠告はしていたのだが、彼は敵兵を魔獣よりも小さく弱い人間であるとたかを括っていたようだったし、あのような結果に繋がったのも時間の問題と言えただろう。


「蘇芳隊は華型だなんだと持て囃されるが、やっぱこっち連れてくると形無しだなぁ。」

「その点レウィスは便利でしたね。何だかんだ生き延びた方の人間でしたし。」

「おいおい、死んだみたいな言い方してやるな。」


 マカライヤは苦笑を洩らしつつ「そもそも、何で怪我したんだっけか…?」と首を捻る。


「確か捕虜の少年兵に菓子を施そうとして、油断したところを背中から刺されたんですよ。レウィスの怪我自体は深くはなかったのですが、逃げ出した少年兵が帝国兵を三人殺したので、結果的にその少年兵は死刑になって死にましたね。」

「あー。そうだった、そうだった。レウィスの奴、まだ甘ちゃんなんだなぁ。」


 ジョッキを飲み干したマカライヤが酒臭い息と共に残念そうな声をこぼした時、ムステトの背後から「あー!やっと見つけたー!」というかん高い声が上がった。

 ムステトがその声に振り替えると、見慣れぬ女兵士が入り口の垂れ幕を持ち上げ、こちらのことを睨みつけていた。




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