第18話 彼女の毒解析

 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした少年たちの背中に、カラーナは大きな声を送った。


「誰にも言わずに神様に懺悔して、良い子にしてれば助かるからねー!」


 そこまで言い切ってカラーナは、最後のは流石に無理やりが過ぎたかなと、少し首を捻りながら彼らのことを見送った。でも、考えていたことを全て言いきる前に逃げ出されそうになったのでしょうがない。


 すぐにその少年たちの姿は見えなくなって、辺りには鳥の囀りと木々のざわめきだけが残った。なんだか、あれだけ騒がしかったことの方が嘘みたいである。


 カラーナは苔ごと屋根を掴んで、慎重な手つきで小屋から降りようとする。苔から滲み出た水気が両手を濡した。屋根は常にミシミシと鳴っていて、上がる時もそうだったが派手に動けば簡単に穴が空いてしまいそうである。いつから放置されているのか気になるところ。

 彼らが来るまで、ここでずっと待っているのは大変だった。


 そうしてカラーナは地面にゆっくりと足を下ろすと、そそくさとその場を後にした。

 この場所にとわかっていても、やはり蛇に噛まれるのは御免である。不要な痛い思いはしたくはない。



 それにしても、あっさりと毒蛇がいると信じてくれて助かった。

 カラーナにし、この辺りに人を死に至らしめるような毒蛇がいないことも、事前にレウィスから話を聞いていたためにカラーナは知っていた。言っていた毒の症状なんかもほとんどデタラメだったが、生き物に噛まれた箇所が腫れたりするのはよくあることだと聞くし、このまま上手く腫れてくれたらもっといい。が、そこはやっぱり運次第。


 運と言えば、四人全員が蛇に噛まれてくれたのもとてもよかった。

 カラーナは一人噛まれてくれたら上々ぐらいに考えていたのだが、こちらに物を投げ返そうとして、わざわざ噛まれにいってくれるとは予想外だった。


 タイドリーと協力しながら集めた蛇は大きさがまちまちで数も少なかっため、多く見せるために『蛇と似たようなもの』も集めて一緒に降り注ぐことになっていた。最終的には本物の蛇よりも偽物の方が多く集まってしまっていたのだが、それが今回は誤認を呼んで、いい結果に繋がった。


 偽物が多く集まった理由として、蛇のおもちゃはこの辺りでも縁起ものとして赤ん坊に贈られることが多いのだそうだ。

 これはなんと、レウィスの嫌いなリモデウス教の影響である。



 今のスニスヴェルカ帝国では聖教会の教えに否定的な人が増えたとは言え、過去には帝国でもリモデウス教の教えは浸透していた。地域に根付いてしまった風習はなかなか消えるものではないらしく、そのことは町の墓地を覗いたりしたことでよくわかった。


 ローシンシャの墓地は、前にカラーナがいた町の墓地とあまりにも似すぎていた。

 お参りの仕方なんかもほとんど一緒で、違いはあまり見つけられない。敢えて言えば『ああ、神よ!』などと繰り返す人がいないのが特徴だろうか。

 しかしまるきり違う宗教を信じているというのなら、ムステトの語っていた故郷のようにまるきり違う葬い方をすることの方が妥当である。


 レウィスによれば、「リモデウス教も神も信じていないが、冠婚葬祭はこうじゃないと…。」という考えの帝国民は結構多いらしい。


 彼はそのことを心良く思っておらず、それらが過ぎたレウィスは、リモデウス教に大事にされている蛇のことも段々嫌いになったのだそうだ。

 今の皇帝陛下は宗教の自由を認めているのだそうで、止めることもできない現状が歯痒いのだともレウィスは語る。なんとも度が過ぎるリモデウス教嫌いである。




 あの少年たちはそんな身近な物であるはずの、メリルの投げたおもちゃを本物の蛇と勘違いして逃げ出していた。よく見れば作り物だとわかるだろうに、まともな確認もせずに一目散に。


 あの子たちはあんな口ぶりで、存外迷信・信心深かったのか。それとも過去にも蛇に噛まれた経験でもあるのか。そのあたりはカラーナが思考を巡らせたとしてもわからない。彼らには彼らの真実があるのだろうが、聞く気にもならない。

 カラーナの“仕事”には、あまり関係のないことだからだ。


 カラーナが本当の毒蛇を用意することができたなら、事故に見せかけて彼らを殺すことも可能だったかもしれない。だけどそれは今さら悔やんでも仕方がない。


 あの泣きようを見るに大丈夫だとは思いたいが、もし明日も懲りずに絡んでくるようであったらまた考えよう。

 今回は以前ムステトと“隠れ鬼”をした時と似たような感じになってしまったから、次があるとしたら新しい手を使って心を折るのだ。今度こそ“仕事”を邪魔することがないように、入念に入念に策を練ろう。



 カラーナは己が弱いことを知っていた。

 だからこそ頭を使い、いくらでも嘘を吐く。でもそれだけじゃ手札は足りない。使える手段は多い方が役に立つ。仕事にも、何事にも。







「ただいま戻りました〜。」

「あら。お帰んなさい、カラーナちゃん。今日は早いねえ。」


 そうして、翌日から始まる新しい訓練に胸を躍らせながら、カラーナは今日も自宅へと帰宅した。訓練は自分の手段を増やしてくれるから嫌いじゃないのだ。



「あれ…、なんだろ。苔かね?」

「え?」


 不思議そうに家政婦がこぼしている言葉に、カラーナは目を瞬かせる。


「腰のあたりが汚れてるよ。今日は随分とやんちゃしてきたみたいだねえ。」


 思わず確認してみると、確かに緑色の苔が腰の後ろを中心にこびりついていた。よく見れば爪の間にも苔は挟まっている。あそこにいる間についてしまっていたらしい。よく落とさないとなぁ、とカラーナは思った。


「何してたんだい?」


 尋ねてくる家政婦に対して、カラーナは「たくさんの子たちと遊んでたんだよ。」と笑顔で答えた。










 ─────


 ここから先は、カラーナ自身でさえも自覚していない事柄である。

 カラーナは“仕事”をとても大切にしている。しかし、彼女が重視しているのは労働であって労働ではなかった。


 自分の力で「仕事」という一定の目標を達成する喜び。

 「報酬」を得るまでの過程と努力。


 彼女がそれらを好んでいるのは事実ではある。

 しかし、更に正確に言うならばカラーナが最も好んでいるのは仕事に励んでいる「自分自身」。


 “仕事”に定義付けられた物事を忠実にこなす「自分自身」を、カラーナは何よりも愛しているのだ。



 そんな理想の自分を少しでも持続させるためカラーナは“仕事”を大切にするし、“仕事”を邪魔されることを極端に嫌う。仕事内容に善悪の概念を問うことはせずに、その仕事を順当にこなした結果、誰かが傷付いていたとしても構わない。


 彼女がムステト・タルージュによって“仕事”であると定義付けられた『教育』も『訓練』も、喜んでこなしているのはそういう理由だった。

 


 彼女は軍人になりたいわけではない。

 しかし、やりがいのある仕事を求めている。


 自分の能力を最大限に活かすような、または、自分以外の人間へ簡単に人材の換えがきかないような、そんな仕事を。

 だからこそカラーナは、将来の職種の幅を広げるための苦労と努力を厭わない。


 そのような自己愛と自分本意が過ぎる少女が、今回ムステト・タルージュの養子として迎えられた子供であった。



 彼女はムステト・タルージュの側から離れる気はない様子。

 ムステト・タルージュ本人からの情報によれば、彼女自身に魔法、魔術の才は全くなく、魔力量も平均を遥かに下回るとのこと。しかし身体能力は悪くなく、精神力だけで言えば並の兵士を優に超えるだろう。


 ならばここは今回の命に背くことにはなるが、カラーナという少女を迅速に保護する必要はないと考える。彼女の一件はあくまで誘導するだけに留め、未来の帝国軍の優秀な人材候補として静観することが最善とし──






「おいレウィス〜、手紙来てるぞー…ってまた何か書いてんのな。」


 そこまで書き込んでいたレウィスは同僚の声に顔を上げ、書きかけのペンをペン立てに挿す。同じ自室の同僚が文字が読めないことは把握していたレウィスは、この男に文書自体は隠さなくて良いだろうと判断した。


「マメだよなー、確か故郷の恋人に送ってんだっけか。…くぅ〜、羨ましい〜!」

「おい、ばかっ…! デカい声で言うなよっ。バレたら他の奴らにも冷やかされるだろっ。」

「へー、へー。分かってるって。金髪で良家のお嬢様が恋人だなんて、嫉みのもとだもんな。」


 軽い口ぶりだが見かけによらぬ、この同僚の秘密保持能力の高さは信頼している。そのおかげで今までの文書も駐屯地内でおおやけになったことは一度もない。

 ……本当に、本当にそんな恋人が存在していたらどれだけよかったことか。いくら尊敬していても、男色でもないのにあんなゴツい人が恋人なんて嫌だ。と、レウィスは思った。


「いつもどんなこと書いてんだよ。『君のこと大好きだよ』、『世界で一番愛してるよ〜』ってか?」

「そ、そこまでのことは書いてねえよ。」


 レウィスはぶんぶんと首を横に振った。顔色が青くなってなければ良い。


「というか、俺は元々手紙書くの苦手なんだよ。その所為でしょっちゅう手紙の言葉遣いがなってないって怒られるし、かと言って話し言葉で書くことすらできねぇし…。」

「ふーん、そういうもんなのか?」


 同僚はよく分かっていない様子で首を傾げている。

 というのも、庶民の中で手紙を送り合う者はほとんどいない。手紙というのは中流階級になってやっと扱う者が出てくるといったところで、しかも読み書きができるだけの教養がいる。羊皮紙もペンもインクも庶民にとっては値段が高く、レウィスはこの手紙一式を送り先の相手に負担してもらうことで書いていた。


「それで、手紙って誰から来たんだよ。俺の知ってるやつか?」

「知るわけねーよ。字ィ読めねーんだから。」


「ただお前に渡せってさ。」と、同僚は封書を手渡してくる。


 レウィスは手紙をその場で開けて、思わず目を見開いた。

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