第15話 鬼ごっこを演じて

「…なぁ、ほんとに成功すんのかよ…? 言われた通り探してきたけど、もし上手くいかなかったりしたら…。」


 今さらになって、タイドリーが怖気づいたように言ってきた。それにカラーナは首を横に振って答える。


「世の中に絶対なんてないんだから、やってもいないことに断言なんかできないよ。上手くいなかったら、その時はその時。」


 タイドリーは「ええ…。」と不満気な声を洩した。


「でも、タイドリーが頑張らなかったら、その分は失敗に近づくよね。今投げ出すならタイドリーは腰抜けの根性なしのままだし、メリルを助けたっていう結果も残らない。」

「……。」


 途端彼が思案顔になったのを見て、カラーナは単純だなぁ、と笑みを浮かべた。


「じゃ、『質より量作戦』実行ね。」






 ────

 ───────────


 その日の放課後。

 メリルは以前、自らが呼び出しに使った校舎裏で両目を潤ませ泣き出しかけていた。


「だから、もうっ、やめてったら…!」

「ええ〜? なんのこと〜?」


 目の前のいじめっ子たちは分かっているだろうに、大袈裟に肩を竦めてとぼけあっている。

 メリルはそれが余計に悔しくて、だからこそ泣いてやるものかとぎゅっと奥歯を食いしばった。

 

「そ、そうやって、酷いこと何度も言うことよ。私は、私はなにも悪いことなんかしてないっ。」

「はー? しただろ、俺たちに。」

「蛇投げつけてきてさあ。酷いことするよなあ。」

「あ、あれはただのおもちゃで…、きゃっ!」


 顔の横を液体が跳ねた。

 メリルがびっくりして振り返ると、後ろにあった壁がべったりと汚れていた。違和感を感じて頬を擦ると、茶色い汚れが手のひらに移る。泥を投げられたのだとすぐに分かった。


「あーあ、外しちゃった。」

「顔に当たれば良かったのに。」

「実は俺たちさ、結構前から嫌いだったんだよな。お前のこと。」

「え…?」


 いじめっ子たちの台詞にメリルは固まった。


「『え』じゃねーよ。いっつも文官、文官って、いい子ちゃんぶってウザくてさあ。」

「それがタルージュのときは、最初俺たちが揶揄い出してもなんも言ってこなかっただろ? それが今さらんなって文句って。虫がよすぎると思わねー?」

「そ、それは…。」

「あー、あー、分かってるって。タイドリーのことだろ?」


 その言葉に、メリルは肩をびくりとさせる。


「仲良しのルークくんが取られちゃって寂しかったんだろー。」

「親がどうとか知んねーけどさ、そうやって人を選ぶお前が立派な文官だとかなれるわけねぇよ。」


 それにメリルは言い返せなくなり、肩を窄めて縮こまった。

 少年たちからは嘲笑の四重奏が響き、メリルが俯いた目から大きな雫を溢しかけたその時、少年たちとの間に割って入る影がある。



「お、お前らっ。メリルをいじめてんじゃねぇ!」


 タイドリーもとい、ルーク少年である。

 彼はメリルを庇うように四人のいじめっ子たちの前へ向かい立つと、力強くこぶし大の何かを投げつける。真っ直ぐに投げられたそれは四人のうちの一人にぶつかり、勢いよく鼻に当てられたいじめっ子は顔を押さえて蹲った。


「いってぇー!」

「な、なんだ?」

「おい、大丈夫かよ。」


 実は顔に命中させるつもりのなかったルーク少年はそれに少し狼狽えたが、彼はメリルの手を引っ張ると、その場から慌てて駆け出していく。


 しばらくは混乱状態にあったいじめっ子たちであったが、少年らは地面に落ちている物が何であるか認識すると目の色を変えた。そして、いまだ前方に見えるメリルたちの後ろ姿を、少年たちは鼻息を荒くして追いかけるのだった。





「てめえタイドリー、よくもコケにしてくれやがったな!」

「俺たちのことバカにしやがって!」


 メリルが何度も振り返るたび、後ろのいじめっ子たちとの距離は近くなっていた。声は段々大きくなり、それには怒気が籠っている。

 普段からあまり走ることをしないメリルには、あの四人から逃げられる自信などなかった。


「ルーク、ルーク…! 後ろ来てるって…!」


 息も乱れて苦しい中、メリルは精いっぱいの声を張った。

 それにルークはほとんど振り返ることはせずに、メリルに向かって「大丈夫、もう少しだから…!」と繰り返す。

 自分の目の前を走るルークは、メリルの手を取って先導するように逃げている。その足取りは力強く、まるで行くべき道が分かっているかのようだった。


(知らない人みたい…。)


 メリルの知るルークとは、ちょっぴり意地っ張りで、本当は少し怖がりなところもある男の子である。彼はメリルの幼馴染で、ずっと小さな頃から一緒に育ってきたからよく知っている。

 だからこそ、ルークがこんな思い切った行動に出てくることが意外だった。



「待ちやがれ!」

「ぜってー逃さねえぞ!」


 声はしつこいくらいに追ってくる。


 ああ、足が痛い。胸が苦しい。

 気を抜けばすぐにでも転んでしまいそう。


 町の人たちにはこれがただの鬼ごっこに見えているようで、周りの大人たちからは「怪我すんなよー。」と呑気な声がかけられる。足の回転を全開にしているメリルには、それに答える余裕などない。

 ただ、メリルは幼馴染と繋がれた右手に力を込めた。


(……、信じよう…!)


 ぎゅっと握り返してくれる手のひらが暖かくて、メリルは一生懸命に地面を蹴った。





 ────

 ───────────


「よーし、ここまで追い詰めたぞ。」


 ついに大人の目のないところまで来てしまった。

 メリルはぜーぜーと息を吐きながら、目の前のルークの裾を掴んだ。この場の全員、肩で荒い息をしている。


 現在メリルたちがいるのは、今では使われていない薪割り小屋の近くのようだった。小屋は人が寄り付かなくなってから大分経っているようで、屋根には苔が生え、隙間の多いお粗末な壁からは巻きついた蔓植物が覗いている。

 こんなところがあるなんて知らなかった。

 メリルがそう考えていると、いじめっ子の一人が「お前らも運がないよな〜。」と嘲笑う。


「ここは俺たちがいつも使ってる場所なのに。」

「大人なんてだーれも来ないぜ。」


 背後の大木を背にさらに後ずさるメリルに対し、ルークはいじめっ子たちの前に仁王立ちしている。その肩はよく見れば震えていたが、それでもメリルには、幼馴染に引く気があるようには思えなかった。

 なにか策があるのだろう。

 彼の頼もしい背中を信じて、メリルはずっと五月蝿いくらい鳴り続けている自分の心臓を、服の胸元を握りしめることで抑えようとする。


「木彫りの蛇なんてメリルと似たような手ぇ使って、しかも顔に当ててきやがって。」

「あんな二番煎じが俺たちに通じると思ったのかよ。」

「それに何だよ、あのふざけた言葉。」

「バカにしやがってよお…!」


 いじめっ子四人組は口々に苛立ちを洩らしながら、メリルたちへとにじり寄ってくる。それに向かってルークはわざとらしく鼻を鳴らした。


「ふ、ふん。最初はそれで逃げ出したくせに。」

「んだとぉ!」

「それに、お前らのために『アホが治りますように』って蛇にお祈りの言葉を入れてやったんだ。お、お前らなんかにはそんなのがお似合いだろ…!」


 ルークの言葉は所々震えていたが、その節々からは謎の自信が窺えた。それはいじめっ子たちの怒りを噴火させるには充分だったようだ。


「てんめー、この野郎!」

「家の商会がちょっと領主に気に入られてるからって調子乗ってんじゃねえ!」

「俺次男だけど、親父の跡継いだらタイドリー商会なんかぶっ潰してやるからな!」


 少年たちが青筋を立てて唾を飛ばす。

 メリルはいじめっ子たちのあまりの剣幕に縋るようにルークを見て……、思わず目を見開いた。


(えっ!? なんで!?)


 何故かルークの方も怯えていた。目の前の彼はあきらかに腰が引けている。

 先程はなにか理由があって怒らせるような発言をしたのだと思ったのに、そうじゃなかったというのか。彼は焦ったような顔で、目だけできょろきょろと辺りを見渡している。逃げ道を探しているのか。



 前方のいじめっ子たちは、今にも殴りかかってきそうな勢いでルークを睨んでいる。そのうちの一人なんかは既に拳を構えていて、こちらへ一歩踏み出してきていた。それは鼻を赤くした、ルークに木彫りの蛇をぶつけられた少年である。


「よくも舐めた口叩きやがったな…! 一度痛い目見ねぇと分かんねぇなら、今のうちに歯ぁ食いしばっとけよ…!」


 眉を釣り上げて迫ってくる迫力はまさに鬼のごとし。

 メリルの喉から高き悲鳴が洩れ出ようとしたその時、ルークが焦ったように空に向かって何かを吠える。



「おいっ、まだなのかよ!!」





…まったくもう、せっかちだなぁ。


  この場にいない声が、聞こえた気がした。

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