第13話 少年は垣間見た

 …なんだかよく覚えていないが、カラーナが夢の中でもう一度眠るような、そんな夢を見たような気がした翌日のこと。


「やーい、姓なしメリル〜。」

「姓なしのお前が文官なんてなれるわけねぇよ。」

「うるさい、なれるわよっ。私のお父さんもお母さんも文官なんだから!」


 問題児たちの標的が、カラーナから別の女の子へと変わっていた。

 その女の子は、昨日少年たちを呼び出して蛇のおもちゃを投げつけていた、例のメリルという少女だった。確か歳はカラーナよりも一つ上で、タイドリーと同じぐらいの子だったはず。


「それに癖っ毛だし〜、そばかすだし〜。」

「…それはッ、そんなのは文官とは関係ないでしょ!」

「しかも生意気だし、ガサツだしなぁ。」

「だから、うるさいってば!」


 …この様子だと、彼女への揶揄いは悪化しそうだなとカラーナは思った。

 なにせメリルは少年たちの言葉を丁寧なくらいに拾い上げては、その全てを苛立ちのままに投げ返している。カラーナが今まで反応を示さなかった分、少年たちにとっては突けば突いた分だけ怒鳴り返してくるメリルの姿が面白いのだろう。それがさらなる悪循環を呼んでいたのだ。


 この時点で本日最初の授業はまだ始まっておらず、教室の前には担当の先生もいなかった。この学校では教室内に教師が足を踏み入れることを合図にして、講義が始まるのだ。

 しかしこれを見ている限り、先生が来たとしても少年たちが大人しくしているとは思えない。

 まったく、厄介なことになってしまったなぁと、カラーナは深い溜息を吐くのだった。






 ────

 ───────────


 本日最後の授業が終わった後、挨拶もそこそこにメリルは教室の中から出て行った。

 問題児たちは逃げるように去っていった彼女を追うように駆け出して行き、いつもより騒がしい授業を乗り越えた他の生徒たちは、少し疲れた様子で次々と教室を後にしていく。

 

 カラーナもそれに続いてレウィスのもとへ行こうとした時、カラーナの前へと立ち塞がった者がいた。


「…お前、メリルを巻き込むのやめろよ。」


 そう顰めっ面で言ってくるのは、一応問題児側ではないタイドリーである。

 タイドリーは、あの少年たちと同じようにメリルを揶揄うことはしなかった。授業中も、その他の時間も、心配と歯痒さを混ぜこぜにしたような顔でタイドリーはメリルのことを見つめるだけ。

 そうして少年たちを止めるようなこともしなかった彼は、苛立たしげに腕を組みながらカラーナのことを睨め付けてくる。


「あいつは自分の夢を掴もうと頑張ってんだ。それをお前みたいなやつが邪魔すんなよ。」


 その言葉に、カラーナは思わずむっとした。


「それ、タイドリーが言うの? 一番最初に突っかかってきたのはタイドリーでしょ。迷惑してたのはこっちなんだけど。」

「それはっ…。…それとこれとは、今は関係ねーだろ。」

「だったら私にもメリルのことは関係ないよ。そこ通して。」

「ちょっ、待てよ!」


 カラーナが強引にタイドリーの横をすり抜けようとすると、タイドリーが当たり前のように腕を掴んで止めてきた。

 振り払おうとするものの、力の差で振り解けない。少し痛かった。


「…離してくれない?」


 口で言っても、タイドリーは掴んでいる手の力を緩めることはしなかった。

 カラーナはそれにイライラして、棘のある口調で言葉を募る。


「タイドリーは、メリルが目指してることには何も言わないんだね。あの子が目指してるのは親と同じ文官なのに。それはなんでなの?文官だから? それとも、タイドリーはメリルと幼馴染だから贔屓してるの?」

「っそれは違う!」


 タイドリーの、腕を掴む力が強くなった。


「あいつはお前と違って言いなりじゃない。メリルの父さんも母さんも、自分の役目を押し付けるような人じゃないんだ…! あいつの夢は、あいつ自身が考えて決めたんだ。何もかもを親の言いなりになって、なんも考えてないお前とは違う…!」

「……なにそれ。」


 カラーナはそこで、頭の中がスゥーと冷えていくのがわかった。

 


「言いなり?考えてない? ふーん…。」


 聞いただけで背筋が凍るような声が口から漏れる。

 そんな声を出したことにまるで気づかず、カラーナはタイドリーのことをじっと見据えた。


 少女の冷たい声を真正面に受け止めてしまった少年は、思わずぞっとしたような表情でカラーナを見やる。自分よりも少し下に位置する少女の顔。そこには、声色と同じくらいに冷ややかな視線がタイドリーのことを貫いていた。


「私ってそんなに考えなしに見えるの?」

「……ッ、」


 そこで力の緩まりを感じたカラーナは、今度こそタイドリーの腕を振り払った。すると少年の腕は簡単に外れ、振り子のようにぶらんと揺れる。


「昨日はレウィスさんに勘違いされたしさ、ほんとに…、なんでなんだろ。」


 少し赤くなった皮膚を摩りながら、目だけを逸らさずカラーナは続けた。


「私さ、全部自分で決めて行動してるんだよ。ムステトに遊ぶの頼んだことも、おしゃべりしたことも、ムステトの依頼受けたこともさ。おばさんたちに止められても、私は私の行動を全部自分で取ってきたの。

 たまたまが重なっただけの時ももちろんあったよ。私がムステトと出会ったのは偶然だった。そもそもがあの子がペンを拾ったことが偶然だった。

 でもその上で、旦那様に届けることを選んだのは私なんだよ。だからこうして生き残った。」

「…な、なに言って……。」


「ムステトの仕事を受けることは私が考えて、私が選んで、私が決めたの。嫌だったら依頼を受けた時に断ってる。仕事を受けるか、受けないか。そこでも私の意思はちゃんとある。

 仕事が私の行動を決めるんじゃなくて、私が受けると決めた仕事が、私の次の行動を決めてるだけ。言いなりじゃない。全部私が決めてるの。」


 そこまで言ってカラーナは、ゆるりと表情を入れ替え「こんなこと、タイドリーに言ってもわかんないか。」とけらけらと笑った。


 その表情がいつも通りに戻ったのを見て、タイドリー少年は先程まで自分の体が自由に動かせていなかったことに気が付いた。未だ指先にまで強張りを感じて、少年は手のひらを握ったり開いたりする。頬には冷や汗がつたっていた。

 気圧されていたのだ。


 タイドリー少年には、まだ「気圧された」ことが理解できていない。

 けれどカラーナに対し、怯えを感じたことは確かだった。


 笑う少女を前にして、彼は後ずさりながらごくりと唾を飲み込んだ。





「私も別に、メリルについて何も思わなくはないんだけどさぁ…。」


 カラーナはふぅむ、と少し考え込んだ。

 先程はつい感情的になってしまっていたが、別にすごい怒っていたわけではないのだ。ただ、少しイラッとすることが続いていたから、それがほんの少し面に出ただけ。


 少し前のタイドリーの発言に「親の言いなり」という言葉が出ていたが、カラーナからしてみれば親に従っているつもりなど全くない。


 勉強を頑張るのも、レウィスに指導を受けるのも、全ては雇い主から受けた仕事を真面目に取り組んでいるだけなのだ。その仕事に強制力は皆無で、むしろ指導役のレウィスの方が難色を示していたくらいである。その上で、カラーナは自分の意思で訓練を受けている。

 つまりカラーナという少女は、ムステトという男を親と認識していないのだった。


 そんなことは彼女からしてみれば当然である。

 出会ってからまだ一ヶ月程しか経っていない中で、カラーナがあの男とまともに過ごしたのはローシンシャまで移動する馬車旅の中と、新生活が始まってからの二週間弱。この僅かな間で、あの胡散臭い男を父と思えるはずがなかった。


 カラーナも戸籍上は義父と義娘の関係であることは理解しているし、あの魔法師とやらをすごく嫌っているわけでもない。ただ頭では理解していても、実際に親だと言われると違和感が大きい。

 彼女にとって今のムステトとの関係は、雇い主と部下としての感覚の方が強いのだった。


 閑話休題。




「そもそもメリルが揶揄われてるのって、私がきっかけではあるけどメリルの所為も強いんだよ。私が言ったってどうにかなるとは思えないな。なんだっけ、お門違い?ってやつだと思う。たぶん。」


 彼女も含め、授業中に他の生徒たちの迷惑となるきっかけを作ったのはカラーナも悪かったと思っている。

 しかし、自分の知識に魔術師などの情報が不足していたのは不可抗力であって、責められるべきはそこではないのだ。そもそも、あの男の子たちはそれだけをネタに何故あそこまで笑っていられたのか、カラーナには理解ができない。あの子たちの笑いのツボとやらは浅いんだろうか。しつこすぎる笑いのツボだ。



「……だったらどうしろってんだよ。」


 そんなツボのことを考えていたカラーナの前で、タイドリーが不貞腐れたように呟いた。


「あいつら歳上で、デカいし、四人もいるんだぞ。止めようったって俺なんかじゃなにも…。」


 確かに、あの問題児たちは全員 十か十一ぐらいの歳でタイドリーよりも上だったはずだし、体格も特に大きいのが二人いた。タイドリーと比べても一回り以上はあるだろう。

 でもそれを言ったらあの少年たちとカラーナとの差は、タイドリーよりもさらに大きいのである。


「うーん。何度も言うけどさ、なんでそれを私に言ってくるの? さっき言った理由は全部私にも当てはまるし、あの子たちとはタイドリーの方が付き合い長いはずだよね?」

「……。」


 タイドリーは言い返せないのか、目を逸らしてだんまりになった。

 それを見たカラーナは呆れてしまう。


「タイドリーから見たら私は“考えなし”に見えるみたいだけど…、タイドリーは私からしたら“根性なし”だね。」

「なっ…!」

「口だけだし、他人任せだし。自分じゃなにもしないんだね。」

「ッしてるだろっ、だからこうやって…!」

「そのわりには、メリルが目の前で嫌がらせ受けててもなにもしなかったじゃん。本気でやめさせたいなら、割って入ることもできたはずだよ。今もこうして庇いにも行かないし。」

「……ッ、…!」


 タイドリーは口を鮒みたいにパクパクさせる。

 逆にカラーナがそれをしなかったのは、メリルに対し、そこまでの関心がなかったからだ。親しくもないし、話した回数も片手で数えられる程度。


 今回のことを泥沼に例えるならば、問題児たちという沼に片足を踏み入れてしまったカラーナの下へ、何故かメリルが自ら飛び込んできたような形になる。カラーナがメリルの足を無理矢理引き摺り込んだわけでもなし、勝手に飛び込んできたメリルが、勝手に両足を嵌らせ、勝手に身動きが取れなくなっている。

 底無し沼ではないはずなのに、自身の行動が呼び水となって、彼女は全身泥だらけの状態である。


 メリルも、カラーナが沼を出るまでの間に騒がしさという泥が教室内に飛び散ってしまって、迷惑だったのかもしれない。が、わざわざ彼女が飛び込む必要はなかったはずだ。巻き込まれたくないのなら、タイドリーや他の生徒たちのように遠巻きにカラーナを見ていればよかった。


 彼らがカラーナの汚れる様を傍観していたのは、カラーナとそこまで親しくなかったのもあるだろう。



「タイドリーさ。メリルのことそんなに大事じゃないのなら、もう放ってればいいんじゃないの?」

「ッ、そんなわけないだろ!!」


 今日一番の声でタイドリーが怒鳴った。

 カラーナはキーンとなった耳を我慢しつつ、少し眉を顰めて彼に尋ねる。


「…タイドリーは、メリルのこと大事なの?」

「ああ。」


「助けたいの?」

「ああ…!」


 今回は誰一人として死んでいないし、こんなこと大した問題ではないはずだ。

 なのに、どうしてタイドリーはここまで真剣な表情になっているんだろう、とカラーナは不思議に思った。


「じゃあ手伝って。」


 元々、カラーナにもあの子たちをどうにかする気はあったのだ。

 標的がメリルへと変わっただけで、今日も授業を妨害されていたことには変わりない。カラーナが“仕事”を邪魔された状態であることに変わりはないのだ。


「仕事の障害は排除しないとね。」


 その前に、一度レウィスのところへ会いに行こうか。


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