第12話 今日も今日とて彼女は眠る

 レウィスの言葉に笑ってしまったあの後も、色々話をしていたら思ったより帰るのが遅くなってしまった。


 辺りの家からは夕食のいい匂いが漂ってきていて、そろそろ酔っ払いなんかも増えてくる時間帯である。子供が一人で出歩くには少し危ない時刻ではあるが、問題はない。つい先程までレウィスが近くまで送ってくれたので、カラーナは鮮やかな夕焼け色の帰り道を楽しむだけに終わったのだ。


 上空には流れるように広がるたくさんの雲に、沈みゆく太陽の橙の光。

 夕陽によって雲は影ができたり染まったりしていて、そんな太陽の反対側には、夜を感じさせる暗い青。いろんな色彩が混じり合った空を、鳥たちが群れをなして通り過ぎていく。


 そんな夕空の景色を眺めるのは、カラーナにとってとても楽しいことであった。




 今日のことでレウィスには少し嫌われてしまったようだったが、それでも子供であるカラーナを気遣って送ってくれたことには好感が持てる。


 以前いた町の憲兵なんかは、なんだか怖がられてるなぁ、と気づいた時には、カラーナへの対応がもの凄く悪くなっていたのだ。仕事に私情を持ち込むあのおじさんには、是非ともレウィスの生真面目さを見習ってほしいものである。


 そんなことを考えつつ、無事何事もなく自宅の前に辿り着いたカラーナは扉を開ける前に一息を吐いた。

 未だ見慣れぬ自分の家だが、こうして玄関に辿り着くと安心する。愛着が湧いてきたのかもしれないな、とカラーナは思った。こういうのは嫌いじゃない。

 玄関の取手に手をかけると、カラーナはいつも通りの言葉を口にする。


「ただいま戻りました〜。」


 この言い方、実はムステトの真似である。

 出兵前の僅かな間に自宅に帰ってきたムステトが毎回言っていたのを耳にして、カラーナも真似することにしてみたのだ。あの魔法師はここまで緩い言い方はしてなかったし、ちょっと長いので省略して「ただいま」だけでもいいらしいのだが、カラーナはこれが一番気に入っている。


「あら、お帰んなさいカラーナちゃん。」


 台所にいるのだろう。少し遠くより、ぐぐもった女性の声が聞こえてきた。

 カラーナは服をはたいて軽く埃を払ってから廊下を進む。そこには予想通り、台所で鍋をかき混ぜているふくよかな おばさんの姿があった。


 この中年女性はムステトが雇った家の家政婦である。この人は近所の家庭から通ってきていて、自分の家の片手間にこちらの家事もみてくれているのだ。家政婦は噂好きのおしゃべり好きらしく、業務を終えて帰るまでの間によく話しかけてくるような人だった。


「そういや聞いたよ。カラーナちゃん、なんだか最近、男の子たちにちょっかいかけられてるんだって? 大丈夫なのかい?」

「別に平気だよ。」

「あら、ならいいんだけど。」


 鍋の中身を少し掬って、味見をしながら家政婦はからからと笑った


「カラーナちゃんは良い子だし、どっか大人びてるから。どうしても気になっちゃうんだろうねえ。」


 どのあたりが大人びてると言うのだろう。

 それで仕事に支障が出るくらいなら、そんなのなくったっていいのにな、とカラーナは思った。


「それにカラーナちゃんは聞き分けが良いし、我が儘も言ってこないし…。

 ……やっぱり、お兄さんがいない分我慢させちゃってんのかねぇ…? お兄さん、早く無事に帰ってくると良いねえ…。」


 そう言って家政婦は、カラーナに同情的な視線を送ってくる。


 この家政婦の言う“お兄さん”とは、ムステトのこと。

 ムステトはカラーナの養父であって兄妹関係には無いのだが、何を勘違いしているのか、この人はいつもムステトのことを指してお兄さんと言うのだ。ムステトが家政婦を雇う際にわざとそうして伝えたのかはわからないが、カラーナは毎回これを言われるとむずむずしてしまう。


 カラーナとしては、ただでさえムステトの雇い主兼義理の父という立場と、その部下兼義理の娘という立場関係に違和感があるのに、これ以上の役割の追加は御免なのである。


 確かに歳だけであれば、ものすごく歳の離れた兄妹として見ることができるのかもしれない。

 …まるで似ていないが。まっったく外見は似ていないが、人によってはそう見れることもあるのだろう。

 でも、そうだとしても、ムステトに『兄』の立ち位置は似合わないと思う。なんたって、想像するだけで声に出して笑ってしまいそうになるからだ。



「カラーナちゃん。ご飯そろそろだから、手ぇ洗ってきなね。」

「はーい。」


 そうしてカラーナは、家政婦の言葉に素直に従い、夕食を食べ、就寝し。

 多少の支障はありつつも、その日も本日分の『教育を受ける』仕事の業務を全うできたことにカラーナは満足し、充実した心地で一人ベッドに潜るのだった。


 自分以外誰もいない家で、カラーナは夢を見ながら一人眠った。








 ────

 


 あれ、と思ったのはその日からだった。


 同じ商店で働いている女性従業員のクジュが、憲兵の男の人とよく話すようになった。その相手の人はゼルドと言って、結構前から商店の前に顔を出しては女性従業員たちにちょっかいをかけるような人だった。その二人が恋人関係になったという。


 始めは今までのゼルドの態度と二人の年齢差がそれなりに大きいことを含め、クジュはゼルドに遊ばれているのではないかと心配していた周囲だったが、毎日足繁く通うゼルドの姿に絆されたのか、次第に周りの人たちは二人の仲を認めていった。


 でも、カラーナにはどうしても不思議だった。


 あの二人が話しているのを見ると、クジュの頬は自然と赤らみ瞳はゼルドを映しながらとても幸せそうに笑うのだが、一方でゼルドの方は表情こそ笑っているものの、ゼルドが彼女へ向ける目はまるで温度のない道端の小石のように思えたのだ。それでいて、その瞳の奥は何処か濁っているようにも見える。

 目を綻ばせながら笑うクジュを見ると、その熱量の違いは一層わかった。


 なんであの二人は恋人なんだろう。

 大人って難しいなぁと、そのときは思っただけだった。





 クジュが、すごい仕事を頑張るようになった。


 今までも頑張っていたけれど、彼女は恋人が出来てからそれがより一層顕著になったのだ。

 クジュは倉庫に残った品物の在庫、そしてその売り上げ金額などといった細かなところまでを気にするようになり、店のまとめ役である番頭や、店長の旦那様に何度も質問を重ねる。


 今まではそれらを気にする素振りを全く見せなかったのに、突然様子が変わり出したクジュに周りが不思議がって聞いてみると、


「彼、仕事のできる女の人が好きなんだって。だから、ちょっとアドバイスもらって、こういう細かいところから始めようと思って。」とクジュは答える。


 そうして、クジュが少しずつ覚えたことを活かして接客にあたるようになると、ちょっとだけ売り上げが上がったことに旦那様は笑った。


「まったく、恋する乙女の努力は偉大だな。」


 旦那様の言葉にクジュは熟れた林檎みたいに顔を赤くしたので、周りはそれを見てすごく笑った。


 そうしてクジュは段々と実力を認められ、旦那様に重用されるようになっていった。









「おい、まだ鍵は見つかんねえのか!」

「くそっ。ゼルドの野郎、嘘吐きやがったのか?」

「所詮あいつの言ってたことはこの店の女頼りだったんだ。アマにどっかで勘づかれて、嘘の情報掴まされたんだろうよ。」


 旦那様の苦痛を耐える声を何度も聞き、ヒューヒューと笛のように鳴っていた呼吸音さえ拾えなくなった頃。カラーナは旦那様に隠してもらった天井裏で、泥棒たちのそんな言葉を聞いた。



 あの時、カラーナが天井裏に隠してもらえたのは偶然だった。

 たまたま旦那様がお気に入りの羽根ペンを落としていて、見習いの子がそれを拾った。その子は昼間大きなヘマをして旦那様に叱られたばっかりだったから、同じ見習い部屋で寝起きしていることをよしみに頼られて、カラーナが代わりに執務室まで届けることになった。


 そうして、羽根ペンを旦那様に手渡してすぐのこと。

 建物の中がなんだか急に騒がしくなったかと思えば、悲鳴が次々と上がり始めた。


 旦那様はそれを聞いて瞬時に判断したのか、素早い動きで天井板の一部を外すとそこへカラーナの身体を乱暴に押しやった。鍵を握らせ「それを息子へ。」と一言いうと、旦那様は急いだ手つきで入り口を閉じる。

 そこから、カラーナの視界は真っ暗になった。



 埃っぽくて、すごく暗い天井裏。

 喉がイガイガする環境で咳をするのも我慢して、身体いっぱいの不快感を耐えている時に聞こえてきた言葉に、カラーナの頭に真っ先に思い浮かんだ言葉は「やっぱりな」であった。

 やっぱり、クジュさんはいいように使われていたんだな、と。


 そこに彼女への同情はなく、怒りもなく、悲しみもなく。

 店長の死さえ捨て置いて、カラーナは これが仕事を頑張る理由に「恋人」という他人頼りの私情を持ち込んだ結果であるなら、やはり仕事はに頑張るに限るなぁと、その時はそれだけを思って、少女は大きな欠伸を噛み殺したのだった。



 そのうち、苛立ちを物にぶつけていた泥棒たちの一人が「…これ以上は無理だ。諦めて逃げるぞ。」と言い出したかと思えば、泥棒たちが慌てながらも名残り惜しげに去っていくのがなんとなくわかる。


 しばらくじっとして、耳から入ってくる情報がほとんどなくなった時。

 カラーナは緩やかに訪れた眠気に身を任せ、そのまま天井裏で眠ったのだった。

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