第10話 庶民学校での過ごし方

「おい、タルタルジュ。」


 その日。カラーナが学校に行くと、朝から男の子が声をかけてきた。カラーナは早い時間から登校しているため、この時間帯に突っかかってくるのは一人しかいない。


「お前、昨日も学校終わったら走ってたよな。なんでそんな毎日走ってんだよ。」


 カラーナはそれに無視を決め込む。

 はじめの頃はカラーナも自分の姓は“タルージュ”であると言い返していたのだが、次第に言っても意味がないことに気がついて放置することにしたのだ。

 この男の子、タイドリーがしつこいくらい絡んでくるおかげで、カラーナが自分の姓を間違えることはもうなくなった。そのため、カラーナはタイドリーにほんの僅かな感謝すら覚えている。


「おい、無視すんなってば。」


 けれど、返事をするかは話が別。絡みがうざったいことには変わりないので、カラーナはそれに少しうんざりとしていた。

 ちなみにタイドリーという名は姓名であるが、それは先生が呼んでいるのを自然に覚えただけでカラーナは彼の上の名前を覚えていなかった。だが、覚える必要もないとカラーナは考えている。

 カラーナの『教育を受ける』仕事に、「みんなと仲良くなりなさい」などという業務は入っていないからだ。

 それに友達にというのは、仲良くなりたい子だけとなればいい。



「……。…なあ、一緒に走ってたあいつ、タルージュのなんなんだよ。似てなかったけど、お前の兄ちゃんだったりすんのか?」

「レウィスさんは兄弟じゃないよ。」


 今度は珍しく名前が間違われなかったので返事をすると、タイドリーはそれにびっくりしたように目を丸くした。それは彼との久しぶりの会話であったが、自分から話しかけてきたくせに驚くだなんて変なやつだなぁ、とカラーナは思っていた。


「お、お前っ、話すじゃんか!」

「そりゃあ話すよ。声出せないんじゃないんだから。」

「なんで今まで無視してだんだよっ。」

「名前間違われてたから。」


 タイドリーはそれに、ぐぬぬ、と歯を噛み締める。そして顔を逸らしながら、決まり悪そうに謝罪した。


「……。………………悪かった。」

「別にいいよ。だってタイドリー、授業中は邪魔してくることなかったもの。」


 今この場にいない、タイドリー以外に揶揄ってくる男の子たちは授業中でもお構いなしに絡んでくる。その大半は勉強に真面目に取り組む気がないようで、教師もそれを止めないのだからタチが悪い。


 流石に蛙や蜥蜴を持ち込まれた時は先生も叱っていたが、その時は教室内にそれらがばら撒かれてしまったのだから大変だった。

 巻き込まれた女子生徒たちは逃げ惑い、中には泣き出す子まで出てしまった。反応の悪いカラーナに痺れを切らしたのだろうが、ここまでするとは馬鹿である。


 その時はカラーナが蛙を鷲掴んで窓から放ったり、これには関わっていなかったタイドリーが蜥蜴を集めて外に逃したりとしたために事なきを得たが、これの所為で数少ない教室の女子生徒たちとの間に壁ができてしまった。だからといって困ったことはないのだが、あのように授業が中断されるのだけは御免である。



「で、レウィスさんがどうかしたの?」

「あ、いや…。」


 カラーナが改めて問いかけると、目の前の少年は少しもごもごした様子で口籠った。


「その、レウィスってやつは兄弟じゃないなら誰なんだよ。兵士っぽいけど、なんでそいつと走ってるんだ?」

「体力作りしてるだけだよ。レウィスさんはね、私の体術指導係さんなの。」

「た、たいじゅつ…?」

「うん。少なくとも、軍人になるには体力が必要不可欠なんだって。」


 タイドリーはそれを聞いて、驚いたような、仲間を見つけたような視線をカラーナに送った。


「お前も軍人に目指してるのか?」

「ん? ううん別に?」


 しかしカラーナは、期待の視線も気にせずあっさりと首を横に振る。


「ただ、私を引き取ったムステトがね、私を軍人にしたいんだって。レウィスさんはその部下で、今は出兵中のムステトの代わりに指導係さんのレウィスさんがね、私の訓練つけてくれてるの。」


 しかしそのレウィスはカラーナの指導係ではあるものの、子供に体術を教えることにあまり乗り気ではないようである。彼は一番最初に『最低限しか教えない』とカラーナに豪語し、その上で『頼まれた依頼料分だけならやってやる』と、何事にも活かせる体力の部分を重点的に鍛えてくれているのだ。


 レウィスはカラーナが早々に音を上げて訓練から逃げ出すと思っていたらしいが、そうはいかないのがカラーナである。カラーナは学校が終わるたび、日々体力作りに明け暮れていた。



 カラーナはそこまで言った時、何やらタイドリーの様子がおかしいことに気がついた。


「……お前、人に言われたから軍人になんのかよ。しかも他人に。」

「えーっと、ムステトは一応親?、家族?だから他人じゃないよ。血は繋がってないけど。」

「だったら余計にだ。見損なった。結局お前はバカタルージなのか。」


 タイドリーは不機嫌そうにそう言い残すと、いつも座っている位置に戻っていた。

 ふと見渡せば、話しているうちに人が増えてきていたようで、そろそろ教室内が騒がしくなってくる頃合いである。しばらくすれば他に揶揄ってくる男の子たちも集まって来るだろう。


 カラーナは悪化してしまった少年の態度に少し首を傾げ、何が気に障ったのだろうと不思議に思った。

 しかし、この疑問は『教育を受ける』仕事にはあまり関係がない事柄である。なのでカラーナは、タイドリーのこの態度をとりあえずは気にしないことにした。





 ────


 そうして本日の授業は、帝国の話から始まった。

 周りの子たちには既に耳慣れたものらしく退屈そうにしている生徒が多かったが、カラーナにとっては新鮮なお話。




 昔、魔術師はみんなから嫌われていた。

 魔術師はその不思議な力を持つことを理由に恐れられ、怖がられていたのだ。


 中でもリモデウス聖教会の魔術師への嫌悪感は強く、リモデウス教が大陸の宗教の中で一大勢力を誇っていたある時のこと。

 当時のリモデウス教の教皇が『悪しき魔術師』の撲滅を宣言し、それに伴い、リモデウス教の信徒たちによる大規模な魔術師殺し、別名『魔術師狩り』が各地で行われてしまった。


 もともと全体数が少なかった魔術師たちは、リモデウス教徒たちによって多勢に無勢で追い詰められ、あっという間に姿を消した。



 そして、魔術師を見かけなくなって何十年か経った頃。


 魔獣による被害が年々増加、各地で多発。

 大陸中の国々は軍を派遣し各自魔獣討伐に乗り出したが、魔獣のあまりの多さに各国が後手に回っていた時、スニスヴェルカ帝国だけは一味違った。


 実は過去の『魔術師狩り』の際、何とか逃げだしてきた魔術師たちを秘密裏に庇護下においていたスニスヴェルカ帝国皇帝は、その者たちの力を借りて魔獣討伐を行なったのだ。


 反魔術師派の者たちの抵抗はあったものの、魔術師たちは皇帝からの恩を返そうと頑張った。

 そして皇帝もそれを支援する。


 次第に帝国内の魔獣が減ってくると、魔術師たちは人々から魔獣討伐の専門家として認められるようになり、その功績を讃え、彼らは国から『紅蓮隊』という名を預かった。


 こうして、魔術師は魔獣から人間を守る存在となり、彼らは現在に至るまでずっと人々を守っている。現在の帝国民が魔獣を警戒せずに平和な生活をおくれるのは、今は亡き第九代皇帝ウグクルーク様の慈悲とご慧眼のおかげである。


 今の帝国では魔獣の被害地域が限定されているため、未だ不安定な他国と比べ、このスニスヴェルカ帝国は大陸の中で最も安全で最も優れている国なのだ。


 という話だった。





「滅多にあることではないと思うが、もし、変に大きな鳥を見かけた時は気をつけるんだぞ。鳥の魔獣かもしれないからな。」

「せんせぇー、そんなこと何回も注意されなくてもみんな知ってるってー。」

「いや、知らないやつがいるんだろ? 一人だけ。」

「ア、そうだったそうだったあ。」

「何も言わなかったら食べられちゃうかー。」


 少年たちは何が面白いのかゲラゲラと笑った。

 その大きな笑い声はカラーナの耳までしっかりと届き、まったくうるさい子たちだなぁ、とうんざりとする。


 この子たちがこんな態度をとっても怒られることがないのは、家庭が平民の中でも裕福だからだ。彼らにとって学校は「無理矢理通わされるもの」としての感覚の方が強いらしく、親に「通わせてもらっている」という意識がないらしい。

 学校側としては、辞められて学費を払われなくなる方が困るので何も言わない。


 教育はタダではない。

 そのあたりの意識がある子は授業態度を見ればわかりやすく、タイドリーもその中に入った。授業の進行を妨害する彼らを、その子たちは迷惑そうに見つめている。

 やっぱり、これに比べればタイドリーの方がまだマシであった。


 それに、鳥の魔獣の注意喚起なら前の町でも受けたことがある。

 鳥は翼を持つが故にいつ飛来してくるかわからないので、魔獣の知識だけは統一されていたんだろうなとカラーナは推測してみた。



「えー…更に、帝国には怪我を治す治療魔術というものがある。リモデウス聖教会の白玖はくせいじゅつと似てはいるが、治療魔術は帝国の研究所が開発した独自のものだ。覚えておくように。そして、白玖聖術というのは……」

「だーからセンセ、分かってるって。」

「白玖聖術はリモデウス教の信徒しか、それもリフデンでしか受けらんないんだろー?」

「そんなの帝国民の俺らには関係ねぇじゃんか。」


 (それにしても、すごくうるさい…。)


 ここまで授業を邪魔して来るとは。

 仕事を円滑に進めるため、そろそろ対応を変えるのも手かもしれない。


 カラーナはそんなことを考えて、ゲラゲラ笑う少年たちへと観察する目を向け始めた。





 その矢先。

 カラーナよりも早く行動に出た者がいた。


「あんたたち、いい加減にしなさいよ!」


 問題の少年たちの前に向かい立つは、カラーナと同じ教室で授業を受けている女の子であった。

 彼女は今までもあの必要以上にうるさい授業を耐えてきたものの、ついに我慢の限界がきたらしく、問題児たちを校舎裏に呼び出しては一人で果敢に吠えているのだ。彼女は今までの鬱憤を晴らすかのように、少年たちに噛み付いていた。


「寄ってたかって歳下の女の子いじめて、あんたたち恥ずかしくないの!?」

「う、うるせぇぞメリル、お前には関係ねぇだろ!」

「あるわよ! いっつもうるさくして迷惑だし、見苦しいの! これでも食らってなさいよ!」

「うわっ、蛇だ!」

「逃げろ!」


 女の子が大きく振りかぶって何かを投げつけると、途端少年たちは蜘蛛の子を散らすが如く四方八方逃げていく。

 瞬く間に一人残らず逃げていった男の子たちの後ろ姿に、残った少女はぽつりと呟いた。


「…ふ、ふん。ただのおもちゃ見て逃げ出すなんて、案外大したことないのね。」


 粋がった台詞に聞こえるが、何だか彼女にも動揺が見られる。もしかして彼女とっても予想外だったのだろうか。

 しばらくすると投げた物を回収し、女の子は静かにその場を後にした。


 そんな校舎裏の一部始終を物陰よりこっそり観察していたカラーナは、あの子たちには蛇が有効なんだな、と少年たちの弱点を把握するに至ったのだった。

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