第9話 カラーナ・タルージュ
「はあ…。」
なんとも冴えない曇り空の下、ひっそりと溜息を吐く少女が一人。
カラーナは魔法師を名乗る軍人、ムステトに着いてきたことを早くも後悔していた。軽率だった、もっと良く考えるべきだったと。だが、今となってはどうすることもできない。
「はあ〜〜。」
カラーナはもう一度深々と溜息を吐く。
確かに、あの町でありもしない自分の“傷ついた心”とやらを気遣われ、仕事を何一つさせてもらえない環境から連れ出してもらったことは感謝している。契約の通り庶民学校にだって入れてもらえたし、少なかった着替えなどの私物も買い与えられ、前よりずっと良い暮らしをしているのはカラーナ自身自覚している。
だが、それとこれとは話が別。
カラーナにはあの魔法師とやらに、どうしても物申してやりたいことがあったのだ。
着いて早々、置いてけぼりにされるだなんて聞いてない───!と。
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───────────
カラーナが馬車に揺られて辿り着いたのは、駐屯地がある町、ローシンシャ。
帝都に程近いながらも近隣に小さな森もあるこの町は、カラーナのいた田舎に比べるとたくさんの人で溢れていた。そこにムステトは個人で家を買っており、部屋の掃除をして回るところから二人の同居生活は始まった。
ムステトはまず初めに、カラーナの戸籍を出しに行った。
子供であるカラーナにはよくわからなかったが、これで自分はあの魔法師の養子となり、名前もただの『カラーナ』から、『カラーナ・タルージュ』と姓がついたことは理解できた。
自分が養子になるということはムステトは義理の父となるわけで、なんとなしに『お父さん』と呼んだ方がいいのかと聞いてみたら、それは嫌だと本人から断固拒否された。
『自分は結婚もしていないし、子供がいるような歳でもない。違和感があるのでやめてほしい』と、大体そんな感じのことを言って嫌がられたのだ。
男は相変わらずの笑顔だったが、声色からして珍しく困っている様子だったので気の利くカラーナはしょうがないなぁ、と引いてやる。
じゃあ結婚したい相手はいるのかと聞いてみたら、それはそれでいないらしい。それどころか、結婚するつもりもないのだとムステトは答えた。
それなのに部屋がいくつもある家を買っているだなんてやっぱり変な男だなぁ、とカラーナは思ったが、結局のところそこをどう考えていようとムステトの自由である。
それに、そのあたりはカラーナも人のことを言えなかったので口を噤んだ。
以前、あの商店で働いていた時も子供同士でそんなことを話していたことがあった。
周りの女の子たちが楽しそうに理想の結婚相手を話す中、カラーナはだんだんと話題についていけなくなったことを覚えている。あの子達と違って、カラーナは結婚にあまり興味を持つことができなかったのだ。
そんなことより、カラーナには自分の仕事をすることの方が大事だった。あの時は、せめて結婚するなら家庭に入らず、仕事を続けることを許してくれる相手がいいなぁ、と思ったくらい。
もしかしたらそういうところが、ムステトが似ていると言っていたところなのかもしれない。
ムステトとの新しい生活は、始めの四日目ぐらいまでは順調だった。
ムステトは料理もできたし、腕もそんなに悪くはなかった。最初は少し具が大きくてカラーナが噛むのに難儀していたら、次には細かくなっていたりして、そういう気遣いができるところにも好感を持てた。
また、ムステトはカラーナを外に連れだして足りない物を買い足しつつ、ローシンシャの町を案内してくれた。どこが危ない、どの時間帯には近づかないなど、結構細かく教えてくれる。“隠れ鬼”をしたあの日とは役割が逆になったことが面白くて、カラーナは楽しみながら辺りを散策していった。
そして、そんなことをしながら五日ぐらいが経った頃。
ムステトはカラーナの編入手続きを済ませると学校に預け、駐屯地に出かけるようになっていった。
時期的にカラーナは庶民学校に編入する形となり、ちょっと目立ったが、元々人の出入りが激しいところらしくてそこは然程気にはされなかった。教室内にはカラーナより三つ歳上の子もいれば、一つ歳下の子供もいて、カラーナは全体で見ても歳下の方らしかった。
勉強の方は前に勤めていた商店でも簡単な計算は教えてもらえていたし、ほんの少しの文字なら読むことができたので、このぐらいの遅れなら充分追いつけるだろうと判断する。
学校に通うなんて初めてだったが、なんとかなりそうだとカラーナは思えた。
そしてさらには、この日からは家にムステトの雇った家政婦が来るようになり、カラーナは午前中に学校に行った後はその家政婦と二人で過ごした。
家政婦が来る前の夜には、こんな話をされた。
「自分は軍人ですから、戦場に立つことが仕事です。上から命令があれば何処とでも向かいますし、もしかしたら派遣された先で死ぬようなこともあるかもしれません。
そう易々と殺されるつもりはないのですが、何かあった場合、後見人を引き継いでくださる方を何人か見繕ってきましたので、自分が死んでも貴方はそのまま教育を受けられます。安心してください。」
(何にも安心できない…。)
ちょっとだけげんなりしたカラーナであったが、目の前の男がそう簡単に死ぬようにも思えなかったので、その場は頷くだけにした。
そしてムステトは、「自分がいないことの方が正直多いとは思いますが、その間は家政婦の方とよろしくお願いしますね。」とも言い、その一週間後。
ムステトはローシンシャの町を旅立っていった。
確かに、確かに家を空けることが多いとは聞いていた。
でも、こんなに急に置いていくなんて。
ムステトが帰ってきたら契約条件の確認が必要だなと、カラーナは溜息を吐くばかりであった。
「おい、お前。聞いてんのかよっ。」
「歳下のくせに無視するなんて生意気だぞ。」
例えそれが学校の生徒に絡まれている真っ最中であろうと、仕事について悩んでるカラーナとっては、そんなことなど些事である。
カラーナは新しい土地に着いて早々、新生活に躓いていた。
────
───────────
「え、なにお前、学校でいじめられてんの?」
カラーナの隣でこんなことを言うのは、ムステトの部下のレウィスである。
この男はムステトが率いる隊の隊員であるらしいが、以前負傷した際の怪我の回復が間に合わず、今回の出兵には置いて行かれた。その間暇だろうと隊長であるムステトから、レウィスはカラーナの体術指導係に指名されたのだ。
そのことについてレウィスは、カラーナが指導を受けにくるたび不平不満を洩らしつつ、なんだかんだ世話は焼いてくれる面倒見の良い若者だった。歳を聞けば、あの魔法師よりは上とのだけ。それ以上は詳しく教えてくれないのだ。
「いじめられてるっていうか、揶揄われてるだけだよ。一個上の男の子とかがね、私のこと学校でタルージェ〜、とか、タルタルジュ〜、とか言って揶揄ってくるの。」
「なんでまたそっちを…。タルージュはあのクソ中尉の名前でもあるのに…。」
「なんでって、私が一番最初に間違えちゃったからかな。あと、学校の先生が姓のある子はそっちで呼ぶんだけど、私は今までただの『カラーナ』だったから、時々呼ばれても気づけない時があったんだよね。」
レウィスはカラーナの言う台詞に、少しびっくりしたように目を瞬かせた。
「…たったそれだけでか?」
「うーんと、最初は笑われただけでここまで酷くはなかったんだよ。でも、その一つ歳上の男の子にね…。」
カラーナは腕を組んで唸りながら、編入初日のことを振り返った。
───────
※回想、編入初日の会話
『なんだお前、自分の名前も覚えらんねぇの? バカだなー。俺の名前はルーク・タイドリー。しょうがねぇから俺がお前の面倒見てやるよ。なんたって歳上だからな!』
『いや、さっき間違ったのは慣れてなかっただけだから。心配はいらないよ。』
『バカが変な理由並べて遠慮すんなってば。ほら、隣空けてやるから席座れよ。』
──
『ほら、カラーナ。あそこのなんて書いてあるか読めるか? え、えーと…、今から読むから、ちょっと待ってろよ。く、くだ…も…』
『あれは 果物いくらですか?って書いてあるんじゃないかな。』
『…え?』
『お、タルージュ見事だな。正解だぞ。』
──
『さ、さっきは上手くいかなかったけど、ほんとは俺計算の方が得意だから。今は引き算やってるからお前には難しいかもしんないけど、コツがあって、こう、指を折っていってだな…。』
『大丈夫だよ。私、指折りしなくても、二十の数までなら足すのも引くのもできるから。』
『…へ。』
『お、言うじゃないかタルージュ。では問題を出そうか。七と八を足すと何になる?』
『えっ、いや、待てよ先生! じゅ、十より上の計算は俺も出来るから、俺が先に答えるっ。
………えーと、答えは十三だ!』
『正解は十五だよ。』
『えっ…。』
『…タルージュが正答だ。ではタルージュ、そこから六を引けば?』
『九だよ。』
『早いな、お見事だ。この分だとタイドリーが面倒を見なくても平気そうだな。』
『……。』
───────
「…ていうことがあってね。」
「うわ、うーわ。お前それじゃ駄目だよ。ズタズタだよ、そいつのプライドがさ。」
「だって、目の前で見せた方が早いと思って。そしたらその子、その日はだんまりになったし。」
それを聞いたレウィスは「うーわー…。」と顔を手のひらで覆って、大袈裟なくらいに仰いでみせた。それにつられたカラーナが上を見上げてみると、今日は昨日と違っていいお天気で、青い空がどこまでも続いていた。
「…ん、いま、待てよ。それって編入初日の話なんだよな? お前がちょっかいかけられるようになったのってつい最近だし、今さらだなんておかしくないか?」
腑に落ちない様子で首を捻り始めたレウィスに、「おかしくないよ。その子のきっかけはそれなんだもん。」とカラーナは答える。
「他の子たちはね、何日か前学校で帝国の話になった時に、私が『“魔術師”ってなんですか』って先生に聞いちゃったのがきっかけかな。言った時ね、みんなにびっくりされたの。」
「え、お前、魔法師の義娘なのになんで、」
そこまで言いかけたレウィスは途中で言葉を止め、思い当たったのか「…あー、なるほどなぁ」と頷いてくる。
「そう言えばお前、リフデン方面から来たんだっけか。流石に魔獣のことは知ってんだよな?」
「うん、知ってるよ。」
「で、魔術師は。」
「全然知らない。でも、ムステトが魔法師なのは知ってるよ。魔法師が魔術師とどう違うのかは知らないけど。」
「はー、お前はまた変な知識の偏り方を…。」
あからさまな溜息を吐きつつも、レウィスは丁寧に教えてくれた。
リフデン王国とは、カラーナたちが暮らすスニスヴェルカ帝国よりやや南西に位置する王国のことである。その国はリモデウス教を国教としており、リモデウス教はリモデウス聖教会とも呼ばれる。その宗教は、魔術師嫌いでとても有名なのだそうだ。
「あそこの宗教は魔術師を忌まわしいだの、穢らわしいだのと煩くてな。あいつら子供の耳が腐るっつって、普段は“魔術師”っていう単語自体、お前らみたいな子供の前じゃ口にしないようにしてるんだよ。」
「ええ、聞いても私の耳腐ってないのに? おかしいね。」
「だろ? 頭おかしいんだよ、あいつら。」
絶えずリモデウス教について悪態を吐くレウィスは、その教え、信徒のことまでを酷く嫌っている様子だった。
「昔の魔獣騒動のごたごたの時、リフデンの一部が帝国領になったところもあっからさ。つまりお前はそういうとこから来たってわけ。あのクソ聖教会サマじゃ子供の歳が十超えたあたりから“穢れた情報”とやらを解禁するらしいから、知らなかったのもしょうがねぇんだろうな。」
レウィスの言葉に「へぇ、なるほど〜。」と、うんうんと頷くカラーナの年齢はまだ八つ。今まで知らなかったのはそういうことだったのかと、カラーナは納得した。
しかし、リモデウス教が大嫌いらしいレウィスだが、そのわりにはリモデウス教の影響が強い地域から来たカラーナを嫌っている様子が見られない。
不思議がって聞いてみると「だってお前、信徒じゃねぇだろ。」と一括される。レウィスから見て、カラーナがあそこの神様を信じていなかったことは一目瞭然だったらしい。
なるほど、とカラーナは再度頷いた。
「で、魔術師の話になるけど、帝国の魔術師ってのはほとんどが紅蓮隊っていうのに所属しててな、その魔術師様方は精霊様のお言葉を借りて火を操るんだ。」
「せーれー様のお言葉?」
カラーナは初めて聞く単語を復唱してみた。
なんだろうか。ムステトの言っていた死神様のご親戚だろうか。
「うん、せいれい様な。同じ意味だと精霊語とも言われるんだけど、精霊様が使うとされる、ありがたーいお言葉なんだよ。俺たち人間の言葉とは違ってひとつひとつに力が宿っててさ、魔術師様が声に出しながら言えば火が出たりする。それが魔術なんだ。」
レウィスの言い方では精霊がどんな存在なのか、死神とどう違うのかは分からない。
とりあえずカラーナは、「その力を使って、魔術師は魔獣を殺すんだよね。」と学校で教えられた知識を出すことにした。
「そうそう、そういうことだ。」
レウィスは満足そうに頷いている。
しかし、不穏を感じさせる低い声で「でも…」と続けた。
「あそこのクソ宗教はな、精霊様のお言葉が書かれたものを全っ部、禁書扱いして、昔集めて燃やしちまったんだ。本当なら魔術師様方はもっと沢山の魔術を使うことができたはずなのに、あいつらの所為で…!」
彼の恨みはなかなかに深いようだと、カラーナは冷静に眺めながら判断した。
目の前で何やらぶつぶつと言い始めたレウィスに「詳しいんだね。」とカラーナが溢せば、彼は少しだけこっちを見て動きを止める。
「レウィスさんって、やっぱり学校の先生より詳しいよね。先生からは、『紅蓮隊の魔術師が火を使って魔獣を倒してる』としか教えてもらえなかったのに。精霊様とか、十歳からなんちゃらってやつは初めて聞いた。」
「…ちょっと喋り過ぎたな。」
途端レウィスは「よーし、休憩終わり! 続き走るぞー。」と雑に切り上げると、カラーナの前を走りだした。その速度はカラーナが追い抜ける程にゆっくりである。
「はーいっ。」
それにカラーナは元気な返事をして、素直に後をついていく。
カラーナにはレウィスのあれが誤魔化しであると気づいていたが、敢えて口に出すようなことはしない。なんたってカラーナは気がきくので。
先程まで話していたのはちょっとした小休憩。ここからは、体力作りのための走り込みの再開である。ここからは真面目に頑張ろうと、カラーナは意識を切りかえていった。
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