裏話 中年憲兵の助言
夜間、ムステトの前に深刻そうな面持ちで座る中年の憲兵。
目の前の椅子に腰掛けるこの男は、以前天井裏に隠れていたカラーナを見つける際突っかかってきた、あの魔術師嫌いの憲兵であった。この憲兵は今夜の牢屋番として偶々憲兵所に残っていたらしく、先程まで夜警をしていたザクにより連れてこられた。
中年憲兵はジョゼと名乗ると、ムステトの前で深い溜息を吐く。
「…今回のことは黙っていてほしい。」
ジョゼはムステトが思っていたよりも、上の立場の者だったらしい。
憲兵隊の一人が今回の強盗事件を手引きしたのだと知れれば、憲兵の地元からの信頼はガタ落ちとなるだろう。その醜聞が広まることを避けるため、ジョゼは苦汁を嘗めるどころか飲み干す思いで、こちらに頭を下げている訳だ。
ムステトがすんなり「別に構いませんよ。」と答えると、頭を上げたジョゼは安堵した様子で息を吐いた。
「口止め料はいただけますよね。」
「…いくらほしいんだ。」
「では、大銅貨一枚と小銅貨七枚をお願いします。出来れば小振りな袋に詰めてくださるとありがたいのですが。」
もっとぼったくられると予想していたのだろう。ジョゼはムステトからの破格の条件に驚いたように目を丸くする。
「それで良いのか。しかも半端な額だな。」
「別に良いじゃないですか。気にしないでくださいよ。」
ムステトはわざと戯けて手を振った。ムステトは金に窮屈していなかったため、地方の憲兵所から金を巻き上げる気にはならなかったのだ。
…それよりも、カラーナには悪いことをしたかもしれない。
まさかゼルドが常に懐に忍ばせていたとは思わずに、ムステトの振るった剣が彼女の言っていた袋を掠ってしまっていたのだ。そのせいで中身はこぼれて、袋自体も汚れてしまった。
彼女は中身の方を重要視していたようだし一応問題はないと思うが…、せっかく見つけたのだから、袋は傷ついた状態でも返しておこうか。
ムステトは表情には出さずにそんなことを考える。
「まぁ、それはそれとして。身内に信用ならない者が一人いるだけでも大変ですよね。心中お察ししますよ。」
「…ふん。魔術師風情に察されてもな。」
…毎度のことだが、正確にはムステトは魔術師でなく魔法師である。しかし、今更訂正をするのも面倒くさく、言ったところで意味もないだろう。
聞けば、この中年の憲兵はムステトが異能を使えることを上司の憲兵以外に伝えてはいなかったそうだ。余計な混乱を抑えるため情報を制限していたらしいが、良い判断だったと思う。おかげで嘗めて斬りかかってきたゼルドに、ムステトは良い不意打ちが打てたのだ。
始めから魔術師だと思われていたらそうはいかず、そもそもザクの方に剣を向けられていた可能性の方が高い。
「これで良いか。」
「ふむ…、ちょうどですね。では帰ります。」
「いや、少し待て。」
手早く立ち上がったムステトを、意外にもジョゼが呼び止めてきた。
ムステトは内心首を捻る。用は済んだ筈だし、魔術師への嫌悪感を顎にした態度でまだ話す気があるとは思わなかった。さっさと帰る方がそちらにとっても良いだろうに。
「一つ聞きたい。貴様があの娘に関わるのは、それはあの子供の気が触れているからか?」
「…それ、貴方に関係あります?」
この憲兵なりに気付いたことあったのかもしれない。カラーナの歪さについて、思うところがあったのかもしれない。
でも、それが一体どうしたというのか。
「貴様がどんな目的を持ってこの地に足を踏み入れたのか、儂はそれを上に報告した際、一応ながらに聞いてはいる。正直化け物を増やすなど悍ましい限りだが…、儂はそれよりも、これからも町でアレと関わるのかと思うと勘弁ならんのだ。
あの娘が魔術を使えるか儂は知らん。が、貴様が関わるのならそういうことなのだろう。例えそうでなくとも好きに使えば良い。」
「ふむ、彼女のことは貴方が一番気にかけている様子でしたのに、数日の間に随分な変わりようですね。」
「うるさい、悪魔の卵は悪魔が持っていけということだ。必要があれば、番頭夫妻には儂が話を通しておく。」
…この憲兵にここまで言わせるとは、カラーナはこの男の前でどんな行動を取ったのだろう。
カラーナを天井裏より探し出し、外に連れ出した後の対応はほぼほぼ憲兵に丸投げしていたために、ムステトは詳しいことを何も知らない。
だが、始めはまともな大人らしく子供を心配していた憲兵相手にここまで言わせたのだ。彼女がそれなりのことをしでかしたことは確かだろう、とムステトは結論付けた。
ジョゼは今、ムステトに向かってカラーナを引き取れと言っている訳だが、この時のムステトはカラーナのことを珍しいものを見つけた程度にしか考えていなかった。気に入っているのは確かであったが、十九の身で引き取ろうとまではとても思えず、ムステトは迷いなく憲兵の言葉を濁すことを選択する。
「考えておきますね。」
これが後に助言と捉える日がすぐそこまで迫っていようとは、この時のムステトはまだ知らないのである。
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