裏話 夜に新米憲兵が見たものは 2
「え、えー…。」
先輩と士官が立ち去ってしまった後、ザクは呆然とした面持ちでしばらく憲兵所の前に立ち尽くしていた。
けれど、今の状況は突っ立っていても変わらない。
ちっぽけな勇気を振り絞ったザクは、嫌々ながらも二つの死体の前へと向き直る。そしてじっと見て、先程から感じていた違和感の正体に気が付いた。
(…あれ、あの士官、この二人を一体どうやって殺したんだ…?)
素人ながらに調べてみると、この男達には傷口が一切どこにもなかった。
先程までは運ぶのにいっぱいいっぱいで気付いていなかったが、人が亡くなるには原因が必要となる。そうあの士官の男が口にしていたのを、ザクは嘔吐きながらも商店の現場で聞いていたのだ。
出血がない。となれば病気だろうか。
しかし、病が原因だとすると二人同時に死ぬのはおかしい気もするし、もしかしたら逃亡中に変なものでも食べてあたってしまったのかもしれない。
あの黒髪の士官はこの二人を自分が捕えたとかなんとか言っていたが、おおよそは偶然死んでいるのを見かけて、それを自分の手柄としただけだろう。あの商店で死体を運んだ時はここまで冷たくはなかったように思うし、この感じだと今日のうちに死んだにしてはおかしいのだ。あの男はこちらに何かしらの嘘を吐いていたに違いない。
自分の読みはなかなか当たっているのではないかと思って、ザクは誇らしげに鼻を鳴らした。
(………ッ!?)
ザクはその時になって、人の死をただの物事として受け入れて平然と思考し始めた自分自身がいることに気付いてぞっとした。
冷や汗が止まらない。
視界がぐらぐらと揺れた。
ザクは今 断崖絶壁に立たされて、町に広がる闇よりもずっと暗い谷底へ強く突き落とされたような心地がした。その背を押すのは自分であり、谷底へ落ちていくのもまた自分である。
頭が真っ白になった。
自分は今、神の教えに叛いて獣へと成り下がろうとしていたのだ。
そのことに気付いたザクは段々と酷くなる視界に耐えきれず、地面に尻もちをついてしまう。その目の前には二つの死体。遺体。
二人とも目を開いたまま動いていない。腹が動かない。呼吸をしていない。先程の体温を思い出す。冷たかった。その全てが、ザクに死んでいることを突きつけてくる。
「ヒッ…!」
自分は先程まで何ということをしていたのだろう。
人の亡骸を物のように扱って、探って。悍ましい。穢らわしい。吐き気がする。人を悼むことも忘れて『今日のうちに死んだにしてはおかしい』? 何てことを考えていたんだ自分は…!
ザクは自己嫌悪でおかしくなりそうだった。
(神様、神様、ごめんなさい…!俺は今、とんでもないことをしていました…! 人の死を冒涜する怪物になる前に踏みとどまれたのは神様の教えのおかげです。反省してます。ごめんなさい、あんな穢らわしいこと二度としません。だからどうか許してください。ごめんなさい、ごめんなさいっ、未熟者で申し訳ございません、許してください…!)
彼は地面に這いつくばり、神へと一心不乱に懺悔を請うことを続けるのだった。
────
───────────
「あれ、どうなさったんです。具合でも悪いのですか。」
丁寧な言葉とともに、降ってきたドサッ、という鈍い音がザクの意識を浮上させた。
視線を向ければ、先輩の憲兵であるゼルドが何故か地面に倒れている。驚いたザクが慌てて背を揺するが意識がないようで、先輩は掠れた声をあげるばかり。篝火の加減でいくら視界が悪くとも、怪我をしていることだけははっきりとわかった。
すぐ側では口元に笑みを浮かべた士官が夜闇の中に佇んでいる。
「あ、あんた、先輩に何を…!」
「ああ、なんだ。受け応えは出来るんですね。このゼルドさん、例の強盗と内通してたんだそうですよ。」
「…え?」
ザクは一瞬、士官が何と言ったのか理解できなかった。
「憲兵隊の警備の日程を洩らしたり、朝の憲兵の到着を遅れさせたりと…、他にも色々やってたみたいです。詳しくは説明するのが面倒なので、後でゼルドさんご本人からお聞きくださいね。」
「は、はあ…!?」
ザクは勢いのままに立ち上がり、そんなことはありえないと相手の言葉を強く否定した。
「あんたは知らないかもっすけど、先輩にはあそこで働いてた彼女がいたんすよ…!? その彼女さんも事件の時に殺されて、先輩はすごく悲しんでた…! そんな先輩が、強盗を手引きするような真似するはずがない!」
そんなに自分の手柄にしたいのか、この男は。恋人を亡くしてしまった先輩に免罪を塗りつけてまで、そんなに手柄がほしいのか。なんて人でなしだ。
士官は貴族出身の者が多いと聞く。けれど、今はこいつが貴族だろうと知ったことかと、ザクは湧き上がる激情のままに士官を睨んだ。
しかしザクのそんな態度を前にしても、黒髪の男は飄々とした面持ちを崩さず「それはゼルドさんが上手く演じていただけなのでは?」と言い放った。それにザクは絶句した。
「それにしても、ザクさんはゼルドさんのことを随分信じてらっしゃるんですね。先程まで貴方は庇っているその人に殺されかかっていたというのに。」
「……、え…?」
「貴方達は最初、別々で行動なさっていましたよね。それ、先に言い出し始めたのはそこに転がっているゼルドさんじゃありませんでしたか?」
「……。」
…確かに、夜警が始まる前に二手に分かれた方が早く終わるだろうとザクに言ってきたのはゼルドである。でもそれに、一体なんの関係があるというのか。
「今は野党が出る危険性があるため、住民のみなさんは夜の出歩きを控えています。
とはいえ、出歩く者が全くいない訳でもないのに関わらず、例の残党かもしれないからと曲がり角から問答無用で斬りかかる憲兵…、どう思います?」
「…俺ならそんなことしないっす。」
「ええ、ええ。ではそうなんでしょうね。」
黒髪の士官は目を弓なりにしながら何度か頷く。三日月を描いた口からは、狐か何かのような印象を浮かばせた。
「でも、そこのゼルドさんは貴方の言う『そんなこと』をしたんですよ。ゼルドさんは曲がり角を偶然通りかかっただけの自分に斬りかかってきました。それも、一度松明の明かりを消して待ち伏せしてまで。」
「え…!?」
「あれ、貴方だったらどうなってたんでしょうね、本来あそこを通るのはザクさんであった可能性の方が高かったというのに。あの時は賊と見間違えたと言い訳されましたが、あの時のゼルドさんはやけに迷いのない太刀筋でして…。ねぇ、ザクさん。貴方、何かまずいものでも見たんでしょうか。それとも、単に邪魔に思われただけですか?」
まさか、そんな。先輩が命を奪うような、俺を殺すような真似するはずない。
だって先輩は、人を亡くすことの痛みを知る人だ。恋人を殺されたと聞いた先輩は、顔を掌で覆ってはがたいの良い身体を小さく丸めて泣いていて…。
(─────…ほんとうに泣いていたのか…?)
ザクはその時になって、あの場で先輩から零れ落ちる涙を一度も認識していないことに気が付いた。顔全体を覆っていた両手が、表情を隠すためのもののようにしか思えなくなり、頭が混乱する。
それに、商店での犯行が発覚して従業員が呼び出しに来た時、ザクたち憲兵は現場に向かうのが遅れてしまった。それは先輩が忘れ物をしたと言いだして変に手間取ってしまったからだ。
思い返すと、逃亡中の犯人たちを憲兵隊が追い詰めていた時、この逃した二人を相手取っていたのも先輩だった…。
狼狽え始めたザクを前に、目の前の士官は肩を揺らして戯けたように笑っている。
「それにしても、あの時の自分はよくゼルドさんを殺さなかったと思いませんか? 先程は話している際中に斬りかかられたので軽く応戦をしたのですが…、このように息があるのなら問題はありませんよね。まぁ、普段こういったことはしないものですから手加減が下手で、なんの手当てもなく放置したら流石に死んでしまうかもしれませんけど。」
「…ッ、あ、あんたはってやつは…!」
ザクの握る拳が、ぶるぶると震えた。
「あんたは、自分の所為で人が死んだとしてもなんとも思わないのか…!? 殺人は第二に重い罪、そして人を悼む心を無くすことは、世界で最も重い罪だ…! 神様がそうおっしゃってることは知ってるよな…!?」
ここで何も言わなかったら、先程の懺悔も無駄になる。
例え先輩が悪行を為していたのだとしても、それでも人が死ぬ絶対の理由にはならないのだ。神の教えに背く訳にはいかない、とザクは吠えた。
しかし、それに黒髪の士官はそれに動じた素振りを見せずに、ザクにとってあまりに衝撃的な発言を言い放つ。
「それ、あくまでもリモデウス教の教えでしょう? ここは帝国領ですし、信徒でもない自分がそれに従う理由はありませんよ。」
「なっ…!!」
「更に言えば、自分としては殺意には殺意で返すのが礼儀なんです。それを自制してここの流儀に従ったのですから、これは既に充分な譲歩と言えるのでは?」
そんな時、また先輩が呻いた。
「ほら、良いんですか? ゼルドさんを放っておいて。」
「……。」
良いわけがない。
ザクは無言で傷ついた先輩を担ぐと、黒髪の男に向かって悪態を吐いた。
「………あんたは悪魔だ。地獄に堕ちちまえばいい。」
「はは。それ、よく言われます。」
ザクにはもう、目の前の男が人の皮を被った化け物のようにしか見えなかった。
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