裏話 夜に新米憲兵が見たものは 1

※時系列『第5話 帰り道に』の後


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 新米憲兵ザクは、その日も夜の闇に怯えていた。


 なにせ辺りはどこも見ても真っ暗で、ちょっと先ですら見えやしない。

 片手にある松明が足下を照らしてくれてはいるものの、こんな小さな光ではザクの心を支えるにはとても足りず、むしろザクの心は暖かな日差しを求めて恋しくなるばかりであった。


 今晩は月明かりもあるにはあるのだが、満月ではない上に、頭上の月は先程から雲隠れを繰り返している。こんな半端な月では頼りないと、ザクはいつも以上に太陽のありがたみを味わっていた。


 辺りに生きている生物が自分以外にいないかのような薄気味悪いまでの静寂も、ザクには恐ろしくてたまらない。自分が生み出す呼吸音や足音、松明の炎がたてるパチパチという小さな音までもが一つ一つ大きく聞こえた。


 見慣れた町の風景も、夜だけは別世界に思えて仕方がない。

 だから夜警の仕事は嫌いなのだと、ザクは心の中で少し愚痴った。


(何で先輩はこんな中をスタスタ歩けるんだか…。どうかしてるよ。何が潜んでるか分からないってのに…。)

 


 こんな時に思い出すのは先日あったばかりの強盗事件である。

 その事件ではここらで一番大きいとされるロマーニ商店が襲われて、多くの人が犠牲になった。強盗たちは夜間に奇襲を仕掛けただけでなく、慈悲もないのか、その凶刃は女性の従業員やまだ幼い見習いの子供たちにまで振るわれてしまった。


 何よりも不運だったのは、襲われたその日が憲兵の見回りがない夜と偶然にも重なってしまったことだろう。それに加え、その日ロマーニ商店ではトラブルが発生していたらしく、昼間のそれを引きずって普段よりも店に残る従業員が多くなっていたらしい。


 それを聞いた時、ザクは神は何故 不運に不運を重ねる振り分けをなさったのだろうと悲しくなり、身内を亡くした者たちに同情をした。

 


 犯行の現場は本当に酷いもので、翌朝になって先輩の憲兵と共に商店に呼び出されたザクは、その現場のあまりの惨さに吐いてしまった。


 そこにはどこも切り傷だらけで、赤黒く染まった数々のご遺体。その多くは内臓が出ていたり、腕や足などが取れてしまっていたりして、ザクにはそれがとても同じ人間によって引き起こされた惨状だとは思えなかった。

 喉を切り裂かれた遺体が多くなると、それは少しでも悲鳴を上げられないようにされたものだと理解してしまって、ザクはまた吐いた。二度目の嘔吐は口から酸っぱい胃液だけが溢れてきた。


 何故か現場に居合わせた帝国軍の士官によれば、その傷の多くは死後に傷つけられたものだろうと言われていたが、死んだからといって人の身体を好きに傷つけていいはずがない。ザクは死者を冒涜する行為を平然とやってのける輩がいるという事実に目眩がする思いだった。


 亡くなった人たちの顔は、今も瞼に焼き付いている。

 人間のものなのに、物となった目、意思の宿らなくなった虚ろな表情。店からご遺体を運び出す際に見てしまった光景を思い起こしてしまい、ザクの気分は悪くなった。

 それとともに、親しい者を亡くした人々の悲しみの声と、地面に両膝をついてまで嘆いていた母親の姿。


 やるせなかった。

 一刻も早く、取り逃がした賊を捕えねばならない。殺人を犯した者は正しき場所で裁かれるべき。賊は残り二人と言えど油断はできず、いくら夜警の仕事は嫌いでも、手を抜く理由にはならないのだ。


(…よし、だから怖くない。大丈夫だ。…………あれ?)


 そんな思いに奮い立てられたザクが松明を握る手を強く掴み直した時、ふと、ザクの耳は何かの音を拾った気がした。一瞬気のせいかとも思ったが、空耳ではないようで、複数人の男が会話をしているような声が微かながらにも聞こえてくる。


 残党だろうか。

 ザクの肩が緊張で強ばる。幾度目かになる唾を飲み込む行為を繰り返すと、ザクはカラカラになっている自分の喉を自覚した。恐る恐る足を忍ばせながら、その声の発生源の下へと近寄っていく。何と言っているかは聞き取れずとも、少なくとも争っているような様子ではない。


 しかし、少しずつ足を進ませるうちに明瞭になってきた声の一つに覚えがあったザクは、途端安堵の息とともに警戒の糸を解いていった。


(なんだ。先輩の声じゃないか。)


 これは自分と同じ今晩の夜警当番を任された相方の憲兵の声だと確信を持ったザクは、安心した足取りで声の下へと近寄って行く。曲がり角の先、自分とは別の松明によって明るく照らされた壁が見えてきたところで、ザクは地面に人間二人分の長い影を発見できた。その長い影二つは、炎によってゆらゆらと揺られている。

 

「……すから、運ぶのを手伝って頂きたくて。」

「いやぁ、そのぉ、俺ぁこれからやることがあるもんで。それにやっと松明つけられたところなのに、両手塞がっちまうのはちょっとぉ…。」

「そうですか。では、そこのもう一人の方にも声をかけた上でならどうですか。」

「え。」


「先輩、どうしたんすか? こんなところでさっきから誰と話して………、あ。」


 そうしてザクが目にしたのは、軍服姿の若い男だった。


 服も髪も黒いために夜道に佇む姿は見えづらかったが、いくら闇に紛れようと、この町で軍服を身に着けている者など一人しかいない。この男は現場にもいた、ここ何日か前から町に滞在している帝国軍の士官の男だ。


 男は以前にも見たような表情をにこにこと浮かべ、一方士官の前に立つ先輩憲兵であるゼルドは、半端振り返った形で驚いたようにザクを見ていた。もう少し注視すれば、ザクにもゼルドの顔が引き攣っていたことがわかっただろう。


 ザクは二人の足下へと視線を移す。彼らの足下には、何故か手脚のついた太い丸太のようなものが転がっていた。の丸太だ。


「どうもこんばんは。早速なのですが、このお二人の運搬を手伝って頂くことは可能ですか。」


 士官の男は二つの死体を前にしても一切変わらぬ、口元に笑みを浮かべた状態で佇んでいた。






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「いやはや、ザクさんのおかげで助かりました。自分一人では人間を二人同時に持ち上げるなどとても叶わず、一々引き摺って往復するしかなかったのですよね。ザクさんは見かけよりも存外力をお持ちですし、この分だと他の分野でも活躍なさっているのでは?」

「いや、そんなことは、はは…。」


 …何故こいつは死体を担いだ状態でペラペラと口を開くことができるのだろう。

 ザクはそんな、ずっとうんざりした気持ちで士官の話に相槌を打っていた。


 正直なところ、ザクは先程から自分がなんと言って士官に相槌を打っているのか覚えていない。それよりも一刻も早く、ザクは背中の荷を降ろしたいばかりであった。荷の内容は、士官が持っているモノと同じである。

 まだ商店で見たような血みどろでないことがまだマシだが、服越しでも伝わるその冷たさがザクには悍ましくて堪らない。冬でもないのに、雪のヒト人形でも背負っているような、芯が凍るような心地である。


 松明を持ってザクたちを先導する先輩のゼルドは心配しているようで何度も振り返り、そのくせおしゃべりな癖に何も言わない。普段なら煩くて他の憲兵に怒られているくらいなのに、心配する気があるならこの役を交換して欲しいと心底願った。


「そういえば気になったのですが、ここでは夜警を二人一組で行なっているのですか? そうであるなら、あのように個々で動くのは危ないと思いますよ。

 自分がおすすめするのは二人のうち片方が松明を持って見回ることですね。そのようにすれば一人の両手は空くのですし、誤認による相討ちの危険性も減りますので、更に安全な夜警を行うことが出来るかと。」

「そうなんすね…、覚えときます……。」


 本当によく回る口である。見習いたくもない。

 この夜警は今でこそ二人一組だが、本来の夜警なら当番の憲兵一人が町を巡回しつつ見回るものだ。ここ連日は残党を取り逃がしていたから二人に増やしていただけであって、明日からは通常通りに戻るのだから自分には関係ない。ザクは話半分に相槌を打つ。





 しばらくそのまま歩き続けていると、ザクが気付いた時には三人は憲兵所の前に立っていた。

 いつの間に着いたのだろう。

 冷たい荷物に気を取られすぎたのか、今まで歩いてきた道順一つですら覚えていない。入り口の前にある篝火が、風に吹かれて大きく揺れていた。でも消える心配はなさそうだ。


 ザクがやっとの思いで死体を身体から降ろし、精神的疲労を味わっていた時、黒髪の士官が「ああ、そう言えば。」と、ふと思い出したように口を開いた。


「少しお聞きしたいのですが、昼間憲兵所にこのくらいの女の子が来ませんでしたか。例の事件で生き残ったカラーナという子なんですが。」

「いや、俺は別の警備行ってたんで知らないすけど…。その子がどうしたんすか?」

「ええ。なんでも、自分の部屋を漁られた彼女は大切な物を盗られてしまったらしく、それをずっと探してるんだそうです。刺繍の入った、若葉のような緑色の袋ごと中身を持って行かれたらしいんですが…、お二人にお心当たりってありますか。」

「あ、すんません。それ盗ったの俺ですわ。」

「え!」


 あんまりにもあっさりと白状し出したゼルドの言葉に、ザクはびっくりしてしまった。そしてそんなことをする人だったなんて…!と愕然とする。

 けれど、その後に続いた先輩の台詞に、それは勘違いだったのだとザクは

 

「亡くなった子の物かと思って、後で親御さんたちに返そうと回収してたんですわ。でも間違えとったみたいで、悪いことしたなぁ。」

「あ、なるほど。そうだったんすね。」

「それは今どこにあります?」

「俺ん家の中ですわ。…なぁ中尉さん、今からちょっと取ってくるんで、少しついてきて貰えませんかね。」

「え、今からすか?」


 ザクは『今から』という言葉に難色を示した。


「先輩の家ってここからそれなりに距離あるし、別に今からじゃなくても良いんじゃないすか? 足下暗いし、明日にでも先輩が渡せば良いし、何も二人で行かなくても…。」

「…はは、それはお前、これの片付けが嫌なだけだろう。もうここまで来れば、お前一人でも大丈夫なはずだろぉ。」

「いや、でもっすねぇ…。」

「…。」


 先輩憲兵ゼルドは顔を片手で覆って夜空を仰ぐと、とても仕方なさそうに溜息を吐いた。


「…はぁ、まったくこのビビりくんが…。あんまり言いたくはなかったんけどな、お前は士官様に、遅くまで、全部の仕事を手伝ってもらう気だったのかぁ?」

「へっ? いや、そんなことは。」


 全部とは言わなくても、先輩が言ったことをあわよくばと目論んでいたザクは、それに慌てて首を振った。

 なにせ、死体を自分から触ろうだなんてザクには思えないのだ。一方で士官の男は最初から余裕の笑みを崩さないし、だったら嫌がる自分なんかより、この男に任せた方が余程効率とやらも上がるだろうと考えていた。


 こうして憲兵でもないのに残党を捕えてくれたのだから、おそらくは悪い人間ではないはずだ。賊をこのようにこ、殺してしまったのは…、そう、正義感のあまり刑を先走ってしまっただけなのだ。そう思いたい…。



 今更ザクは死体とひとりぼっちにはなりたくなかった。

 本当なら女の子とふたりぼっちが良いが、今だけはこいつだろうと我慢出来る。どれだけ場にそぐわぬ笑顔が薄気味悪かろうと、この男は手伝いを申し出て残ってくれるはず…。

 ザクは士官の男へと熱い視線を送った。


「それは困りますね。自分もそろそろ帰りたいですし、受け取った後はゼルドさんに送ってもらうつもりでいたのですが。」

「え。」

「それにゼルドさんとは、二人でお話したいこともありますしね。」


 ザクの期待はあっさりと打ち捨てられてしまった。


「…そういうこった。じゃあなザク、後は任せたからな。俺が戻った頃には全部終わってるように頼むぞ。」

「それではザクさん、また会いましょう。」

「えっ、ちょっ。」


 途端二人はザクを残して、夜の町へと消えていった。

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